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【シリーズ第18回:黒人アーティストの人生】🎵ソウル(魂)を感じたい🎵

このシリーズでは、私の大好きな黒人アーティスト、特に、1970年代、80年代に活躍したR&B、SOULミュージシャンを紹介しています。

・・・さて、誰でしょう🎵


さて、誰でしょう🎵

ヒント

  1. R&B、ソウルシンガーです。

  2. 作詞作曲もします。

  3. 1982年から1985年までは、ファミリーバンドのリードシンガーでした。似顔絵はその時代のもの(微妙かも・・・)。

  4. 兄弟バンドで、モータウンでは、Jackson 5の次に世間が大騒ぎした人気バンドです。

  5. キーボードも演奏します。

  6. ユニークなハイテナー、素晴らしいファルセットシンガーです。

生い立ち

 *今回は、バンドのメンバー、ブラザーたちについて書いてみたいと思います。

 10人兄弟です。
 バンドで活躍したのは、バニー、ボビー、ランディ、マーク、〇〇、ジェームスの6人です。
 敬虔なチャーチガールのママは、子供たちをクアイアに入れて、毎日教会に通わせた。
 彼らの音楽ライフのスタートはチャーチだった。

 彼らの人生は壮絶だ。
 1953年、白人のパパと、黒人のママが結婚したときから、その不幸は始まった。
 ミシガン州、デトロイトでは、黒人のママと結婚した白人のパパは、社会から受け入れられず、ドライヴァーの職を失った。
 そんなパパはいつも怒り、ママと子供たちに暴力を奮うようになった。
 痣だらけのママを見ても、警察はパパの味方しかしない。
 パパのボビー(長男)に対する暴力は特に激しかった。
 あまりの激しさに、ボビーは、一番年少で可愛がられていたジェームスに憎しみを抱くようになる。
 その怒りは尋常ではなく、ジェームスはボビーに殺されると思っていた。
 長女のバニーは、7歳から13歳まで、パパから性的暴力を受けた。
 子供たちは、パパのことはもちろん、パパを恐れて助けてくれないママのことも信用できなくなった。
 
 暴力から解放されたのは、ある日、おじさんがパパをボコボコに殴ってくれたからだ。

 ところが彼らの苦悩は家の中だけではなかった。
 ライトスキンの彼らは、
「お前は黒人ちゃう」
 と学校でもいじめられた。
 いじめから解放されたのは、ボビーとタミーが、幼馴染のグレッグとバンドを組んだからだ。
 彼らはデモテープを手に、モータウン・レコードに乗り込んだ。
 その音源に興味を持った人物が、元Jackson 5、ベリー・ゴーディーの娘の夫、ジャメインだった。

デビュー


 1977年、ジャメインのプロデュースでSwitch(スウィッチ)が誕生する。
 リードシンガーはボビーだ。
 リリースした「There'll Never Be(ゼア・ウィル・ネヴァー・ビー)」はスマッシュヒットする。
 こうして彼らは、いじめられっ子から、人気者へとのし上がる。

 ボビーの成功は、他の兄弟たちのお手本となった。
 ランディ―、マーク、バニー、〇〇もLAに乗り込んみ、1979年、モータウンとの契約に成功する。

そのグループ(人物)とは・・・





DeBarge(ディバージ)でーす。
似顔絵はエル・ディバージです。



大ヒット


 1982年、ジェームスも加わり、「I like it(アイ・ライキ・イット)」が大ヒットする。

 続いて「All This Love(オール・ディス・ラヴ)」。

 そして1984年、「Love Me In a Special Way(ラヴ・ミー・イン・ア・スペシャル・ウェイ)」だ。
 この曲の途中で入るハーモニカソロは、スティーヴィー・ワンダーだ。

ブラザーズ


 ライトスキンの、キュートなディバージブラザーズは、若い女の子から大人気だった。
 ルーサー・ヴァンドロスとのツアーでは、ルーサーよりもディバージ・ファンのほうが多かった。
 ところが、キュートといっても彼らはゲトー出身だ。
 彼らは、誰のことも信用しない。
 モータウンのスタジオに入ってくる人々を、鋭い目つきで睨み、今にも飛びかかる勢いだ。

 1983年、ジェームスは、ジャネット・ジャクソンと結婚したけれど、1年以内に離婚した。
 理由は・・・
 「俺は誰も信用せん」
 私もよく聞くフレーズだ😁

 他人を信用できないディバージブラザーズの問題は後を絶たない。
 ディバージが売れてすぐ、スウィッチを辞めた、ボニーとタミーが、再びドラッグに走る。
 すると、エルを除く他のメンバーも、ドラッグライフに戻ってしまう。
 怒り、不信感、不安から解放されない彼らは、人気が出れば出るほど不安になったのかもしれない。 
 エルだけは酒もたばこもドラッグも何もせず、ひたすら音楽を作り続けたけれど、他のメンバーは、全員ドラッグ中毒だ。
 リハーサルの時間すらわからないような状態だった。

 1985年、「Rhythm of The Night(リズム・オヴ・ザ・ナイト)」をリリースする。
 この曲は、映画「ラストドラゴン」でも使われるけれど、エル以外のメンバーはバックシンガーだった。

ブラザーズの不幸


 この後、モータウンはディバージとの契約を解約し、エル、バニー、チコとソロ契約を結ぶ。
 けれども最終的には、働き者で、クリーンなエルだけが残る。
 ところが、エルは、歯医者で処方された痛み止めがきっかけで、ドラッグに戻ってしまう。
 ディバージブラザーズは、音楽業界から姿を消した。

 1988年、ボビーはドラッグ売買、チコはドラッグ保持で逮捕される。

 その後、ボビーはHIVポジティブと診断され、1999年、ヘロイン中毒が原因で亡くなる。
 幼い頃からずっと、パパの愛情を欲していたボビーは、意識不明のまま、パパが会いに来るまで生き続けた。

 エルはドメスティックバイオレンス、チコはドラッグ保持で再逮捕される。

 2010年に復活した時のエルは、まだドラッグと切れておらず、ストリートでドラッグを探し求める姿を目撃された。
 タミーは長期に渡るドラッグ使用で肝臓疾患で亡くなった。
 ジェームス、ランディ―、バニー、マークはどうかな?
 音楽活動はしているように書かれているけれど、テレビのスクリーンで彼らを見たのは一度だけだ。
 リハビリを繰り返しながらの生活かもしれない。
 
 ディバージ・ブラザーズは、10人中10人が、ドラッグに走った。
 彼らがライトスキンじゃなかったら・・・、父親が暴力を奮わなかったら・・・、母親が体を張って、子供たちを守っていたら・・・・・・
 色々浮かぶことはあるけれど、人種差別がなければ、肌の色で差別されることがなければ、彼らの人生は随分違ったに違いない。

最後に・・・

 ここ数年、ドラッグからも立ち直り(と思う)、テレビでも活躍するようになったエルのパフォーマンスを2本。
 アイズレー・ブラザーズのロナルド・アイズレーと、アニタ・ベーカーをトリビュートして歌っています。
 黒人はエルのファルセットが大好き、メロメロでーす♬




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