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ミゼラブルロイスがミゼラブルじゃなくなる日

 私は、シアトルにある、老人ホームのレストランでウェイトレスをしている。この職場で働くようになって、約5カ月が経った。5カ月も働くと、住民のこともわかってくる。住人のほとんどは、穏やかで優しい。そんな中で、多くの従業員から煙たがられている人がいる。ロイスだ。

 レストランに入ってくるや否や、私に向って、突進してくる。
「音楽を変えなさい!皆、快適な時間を過ごすために来ているのよ!食事をする時間に合った音楽にしなさい!」
「OK」
 返事はするものの、これが難しい。ソウルやR&Bなら「任せて!」と言えるけれど、ロイスの好みがわからない。
 迷った結果、ナット・キング・コール、レイ・チャールズ、ルイ・アームストロング、フランク・シナトラなど、ソウル・ジャズというカテゴリーを選んだ。これを嫌う人はいないはずだ。
 理由は忘れたけれど、却下された。
 スムース・ジャズを選んだ。土曜日の朝にピッタリだ。
「なんなの、これは?皆、歌詞を聞きたいのよ!」
 やっぱり却下された。インストゥルメントは、好きではないらしい。
 王道で、ビートルズカーペンターズにしたら、何も言われなかった。この他、エルヴィス・プレスリーも好きらしい。
 彼女の好みはわかった。とはいえ、毎日聞いていたら、こちらも飽きる。他の住民も違う音楽を聞きたいかもしれない。ファンクはムリでも、モータウンや、スウィートなフィリー・ソウルなら大丈夫だろう。
「あなたが選んだの?曲を変えなさい!」
 見事に却下だ。私にとったら、大正解の選曲なだけに残念だ。
 この日以降、曲を探すことを放棄した。60年代のオールディーズの、ヘヴィーローテーションだ。

 オーダーを取りに行くと、
「あぁ・・・ここには、私が食べられるものは何もない・・・」
 うつ向いて、子犬のように、ブルブル震えている。
「ここはチーズやオイルばかり使う。見てみなさい!私の腰の肉を!どんどん太っていくじゃないの!肌もカサカサになってしまったのよ!」
 70代前半のミゼラブルロイスは、スリムで、美しい女性だ。腰の肉は、老化と運動不足による、たるみだと思う。カサカサの肌も、私とそれほど変わらないカサカサ加減だ。とはいえ、チーズやオイルが多いのも事実だ。
「そうやねぇ。ごめんね」
「・・・あなたが悪いわけじゃないのよ!」
 確かに私は悪くない。けれども、自分の怒りをコントロールできない、ロイスが悪いわけでもない。 

 料理を運んだあとも大変だ。
「この肉を見てみなさい!脂だらけじゃないの!クックは誰なの!?」
「塩からい!私たちを病気にしたいの!?」
「こんな不味いもの、食べたことがないわ!魚は固いし、ココナッツの味も、カレーの味もしないじゃない!これはメニューから外しなさい!」
 その日のメニューは、「白身魚のココナッツカレー風味」だった。あとで味見をしたら、魚は確かに固いけれど、薄味で、ものすごーく美味しかった。ロイスが言っていることが正しいときもあるけれど、料理も音楽同様、人それぞれ、好みだなぁと、つくづく思った。

「ソーシャルルームのフルーツは、いつも、バナナとりんごとオレンジじゃない!皆、ペア(洋ナシ)を食べたいはずよ!3種類のペアを準備しなさい!」
「サラダバーにアプリコットやピーチを準備しなさい!フレッシュがいいけれど、缶詰ならシュガーの入ってないものよ。コスコに行けばあるわ!」
 彼女の要求は、後を絶たない。毎月4千ドルも支払っているのだから、理解できないわけではない。とはいえ、自由に持ち帰られる果物として、バナナやリンゴ、オレンジが選ばれているのは、傷みにくいからだ(と思う)。ペアのように、すぐにジュクジュクになるフルーツは、難しいかもしれない。
 サラダバーに出す、アプリコットやピーチは、カットして皮をむく必要がある。クックに、それほどの時間の余裕があるとは思えない。
 このサラダバーは、現場を知らない本社からの指令で、最近、始まったものだ。バーには、10種類くらいの野菜と、スープが準備されている。サラダバーができたおかげで、我々はさらに忙しくなった。
 本社は気付くべきだ。住民のほとんどが、歩行器だということに。彼らは、サラダバーにたどり着いても、サラダやスープを取ることができない。取れたとしても、歩行器を押しながら、皿やボウルを、テーブルまで運ぶことができない。ウェイトレスに頼む以外ない。結果、スイスイ歩けるロイスが、このサラダバーのナンバーワン利用者となった。オンリーワン利用者の日もある。
 一番利用している彼女の希望を、叶えてあげたい。けれども、彼女のためだけに、1つの商品を卸で購入するかどうかはわからない。ここは家庭ではなく、ワシントン州内で、6つの施設を経営する企業だ。仕入れ先も決まっている。マネージャーにリクエストはするけれど、彼女が思うほど、簡単ではないはずだ。

 施設で供給されない場合、多くの住民は「自分で買いに行く」「家族が持ってくる」「あきらめる」という選択をする。推測だけれど、ロイスの息子は、4千ドルを収める以外、彼女に何もしていないはずだ。彼は、ロイスが亡くなるまで来ないらしい。娘が来るのも、年に2回だ。おそらく、ロイスには、自由になるお金が、少ししかないのだろう。

「私は、クレイマーじゃないのよ!」
 ロイスは言う。もちろんわかっている。彼女は、どこから見ても鬱だ。鬱の人は、音にも敏感だ。少しにぎやかな音楽も、たまらなく苦しいのだろう。決断力もなくなる。オーダーが決まらない理由のひとつだ。
 しんどいのはロイスだし、仕事だし、病んでる人に、腹を立てるつもりはない。そして、ロイスに寄り添う住民たちが、私を応援してくれる。

 メリリンは、ここ最近、ロイスと一緒に食事に来る。部屋が向かいなので、ロイスに誘われるのだろう。食事中の会話を、ずっと聞いているわけではないけれど、ロイスは、この施設に対する愚痴しか言っていないと思う。私なら、一緒に食事をしたくない。向かいの部屋なので、逃げられないのかもしれないけれど、偉いなぁといつも思う。
 さらに、ロイスが私に文句を言っていると、
「彼女には、どうすることもできないわよ」
「肉がイヤなら魚を食べたらいいじゃない」
 横から、助けてくれることがある。ロイスに見られないように、メリリンの手を握って、お礼を伝える。
 
 リチャードも優しい。彼は、私が住民に手を貸すたびに、
「ありがとう」
 小さな声でお礼を言ってくれる。
 私が、ロイスの愚痴を聞いている間、リチャードは食事の手を止めて、ずっと、その様子を見ている。「ありがとう」と思ってくれている気がして、私が「ありがとう」と言いたくなる。

 ヴァージニアも、ロイスと同じ席につくことが多い。彼女は、表情ひとつ変えず、ただ黙って話を聞いている。
「気の毒に。彼女は変われないのね」
 ロイスがいないとき、こう言っていた。そんなヴァージニアに癒されたのか、ロイスが歌を口ずさんだ。
「あなた、歌が好きなのね」
 ヴァージニアも、一緒に歌い出した。97歳、ヴァージニアにしかできないことだ。
 
 ロンは、いつも明るく、誰にでも声をかける、ナイスガイだ。ロイスの話もきちんと聞くので、彼女のターゲットになってしまった。食事のとき、食事の後、庭で日向ぼっこをしているとき、ロイスはロンを見つけると、すっとんで行って、愚痴を言う。
「ユミ~、色々な住民がおって、ユミも大変やなぁ。忍耐強いなぁ」
 こう言ってくれるのは、ロンが忍耐強く、ロイスの話を聞いているからだ。私は仕事中なので、スーッと逃げられるけれど、ロンは、足が悪いので、逃げようがない。ロンの方が、大変だ。

 他にも、ロイスのターゲットになった人はいる。ゴードンの娘さんも、そのひとりだ。先日は、せっかくパパを訪ねて来たのに、延々と、ロイスの話を聞かされていた。
「申し訳ないけど、今日は、二人で食事を楽しみたいから、別のときにしてくれる?」
 このように言ってもいいはずだ。けれども、ゴードンも娘さんも、ロイスが席を立つまで、黙って彼女の話を聞いていた。

 ロイスの怒りは、喉元まであふれている。ほんの小さなことも、もう入らないのだろう。子供の頃につらいことがあったんだろうなぁ、なんとなく思っていた。どうやら、孤児院で育ったらしい。美しいロイスは、美しくない人以上に、つらく、悲しい目に遭ったのかもしれない。
 ダンナにロイスのことを話した。
「老人やろ?その年齢になるまでに、自分で、自分の怒りの原因に気付かなあかん」
 怒りの原因に気付いたダンナは、シビアだ。ロイスは模索したまま、答えを見つけられないまま、終わるのかなぁ・・・そう思った。
 
 ところが!

 私が、4週間のヴァケーションを終えて、6月に職場復帰をすると、ロイスが変わっていた!
 いや、変わろうとしていた!
 音楽、サラダバー、料理、あらゆることに対して、文句は言う。ロンのことも、追い回している。けれども、オーダーを取りに行くと、できるだけ文句を言わず、早く、決めようとしていることがわかる。

 すごいぞ!ロイス!

「ロイス、変わったよね?」
 同僚のヴィッキーに聞いた。けれども、私と違い、彼女はずっと働いていたので、その変化に気付いていなかった。
 数日後、
「ユミの言う通りや!彼女、変わろうとしてる!」
 当初はロイスを嫌っていたヴィッキーも、あるときから、ロイスに寄り添うようになった。彼女の話を1時間以上聞いていたこともある。私には、とてもできないことだ。ヴィッキーの影響も大きかったと思う。
 
 先日、掃除をしていると、ロイスがやって来た。
「あなたにお花をあげたいの。でも、お花の容器は返して欲しいの」
 ジップロックの容器に、庭でとった1本の薔薇が入っていた。
「ありがとう!ロイス!」
「良かった。感謝してくれると思ったの。容器は返してね」
 容器を返して欲しいと3回くらい言って、彼女は部屋に戻って行った。お金をかけられない、彼女の生活を思った。

ロイスがくれたお花

 ロイスがくれた薔薇は、窓際に置いておいたら、自然とドライフラワーになった。元気に咲いていたときよりも、素敵な香りを放っている。
 優しい住民や、元気なヴィッキーの温かいエネルギーに包まれて、ロイスも、素敵な香りを放つ、心穏やかな老人になれるかな。
 ミゼラブルロイスが、ミゼラブルから解き放たれる日が訪れますように!

 

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