見出し画像

ヴァニラ・ラテを注文し続けてみた


 私がアメリカへ移住したのは、2004年12月、36歳のときだった。
 旅行で何度か訪れていたので、英語は話せるような気がしていた。
 
 錯覚だった。

 なるほど、旅行で使う英語なんてしれている。
 いつも英語が話せる友達と一緒だったので、もしかしたら、私はほとんど英語を話していなかったのかもしれない。

 それでもESL(英語を補強するための授業)では、上のクラスに入ることができた。
 スピーキングとリスニングは苦手だけれど、グラマー(筆記)だけは、そこそこできたからだ。

 とはいえ、グラマーができても、先生は英語で授業をする。
 リスニングができないので、何を教えられているのか、さっぱりわからない。
 クラスメイトに、
 「何を言ってるの?」
 と聞いたところで、その生徒も先生の話を理解していない。
 中には理解している生徒もいて、教えてくれるけれど、その子も英語で教えてくれるので、やっぱりわからない。

 休み時間になると、東ヨーロッパ、韓国、ベトナム、カンボジア、色々な国の留学生とおしゃべりをする。
 とりあえず、知っている英単語を駆使して、話しかける。
 そして聞く側は、その内容を推測して答える。
 互いに、相手の話はもちろん、自分が話す英文が正しいのか、間違っているのかすら、わからない。
 ちぐはぐな内容で会話をしていても、ちぐはぐであることにも気が付かない。

 それでもえらいもので、しばらくすると、先生の話している内容が、ぼんやりとわかるようになる。
 私はぼんやりだけれど、若い人たちは、私の3倍、4倍速で英語を聞き取れるようになり、クラスメイトとも楽しそうに会話をしている。
 さすがである。

 さらに、彼らの素晴らしいところは、
 「知らない」
 と言えることだ。
 日本人と韓国人は、授業でわからないことがあっても、黙って聞いている人がほとんど。
 けれども他の国、特に東ヨーロッパの人は、私でも知っているような単語でも、
 「それなに?」
 と、先生に質問する。
 先生の答えがわからなければ、わかるまで質問し続ける。
 彼らには、「わからない」ことに対する羞恥心がないので、ぐんぐん英語を習得していく。
 「すごいなぁ・・・」
 と思っても、なかなか同じようにはできない。

 もちろん、英語を使うのは学校だけではない。
 ESLの先生は、留学生が理解できるよう、ゆっくり、丁寧に、根気よく教えてくれる。
 けれども一歩外に出ると、ただのアジア人である。
 普通のスピードで会話をされても、私にとったら早送りだ。
 会話の20%くらいしか理解できない。0%のときもある。

 相手の話を理解できないと困るけれど、こちらの要望を理解してもらえないときは、もっと困る。
 オーダーをしても、欲しいものが手に入らない。
 これは悲しい。
 
 渡米先、シカゴの冬はとにかく寒かった。
 スターバックスに入って、温かい飲み物が欲しいのだ。
 ミルクたっぷりのヴァニラ・ラテ(Vanilla Latte)は、その頃の私のお気に入りだった。
 しかし、日本人が苦手とする発音、「V」「L」「T」が名前に羅列されている。
 私の場合は、「A」「I」「N」の発音も嫌いだったので、全滅だ。
 「ヴァニラ・ラテ、プリーズ」
 「???」
 「ヴァニラ・ラテ、プリーズ」
 「???」
 「・・・アメリカン、プリーズ・・・」
 何度も聞き返されるので、ヴァニラ・ラテをあきらめることもあった。

 時には、
 「ヴァニラ・ラテ、プリーズ」
 「OK!!!」
 と素晴らしい返事が戻ってくる。
 けれども、ヴァニラ・ラテが出てきたことは、ほとんどなかった。

 毎回この状態で、恥ずかしい思いをするので、ついにはヴァニラ・ラテを注文することすらなくなってしまった。

 クラブに行くと、酒が飲めないので、オレンジジュース(Orange Juice)を注文したけれど、これも通じなかった。
 「オレンジ・ジュース、プリーズ」
 「???」
 「オレンジ・ジュース!!!」
 「???」
 「・・・コーク、プリーズ」
 オレンジジュースも注文できない自分が恥ずかしくなり、飲みたくもないコーラを飲み続けた。

 ある日のことだ。まったく羞恥心を持たない日本人を発見した。
 短期駐在でシカゴに単身赴任していた、クラスメイトのコージだ。
 彼は、マクドナルドで朝食をとってから会社に出勤するのだが、毎日ミルクをオーダーし、毎日、違う飲み物を受け取っていた。
 しかも、駐在していた半年間、ずっとである。
 コージがいつ文句を言うか、店員は賭けをしていたのかもしれない。
 それでも彼は、半年間、ミルクを堂々とオーダーし続けた。

 この話をコージから聞いて、大笑いした。
 英語が通じないことを恥ずかしいと思うから、元気がなくなる。
 けれども彼のチャレンジは、ひたすらおもしろかった。
 関西人としては、負けてはいられない。

 再び、スターバックスで、ヴァニラ・ラテ(Vanilla Latte)を注文するようになった。

 聞き返されずに、必ずヴァニラ・ラテが出てくるようになったのは、それから半年後くらいだったと記憶する。

 クラブでも、飲みたくもない「コーク」で妥協することをやめた。
 オレンジジュースがダメなら、パイナップルジュース、パイナップルが通じなければ、グレープフルーツジュースという風に、違う飲み物を試してみた。
 はずれのときもあるけれど、オーダーしたものが届けられるときもある。
 
 「知らない」「できない」という羞恥心を捨て、できないことをおもしろがれるようになると、海外生活で落ち込みがちな言葉の壁も、案外、楽しめるのである。
 

最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートは、社会に還元する形で使わせていただきたいと思いまーす!