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”文学少女読者”と悔しかったシャニマス5thLIVE

未来は明るく素晴らしいと、お目出たい想像をしてみて!

野村美月著「"文学少女"と繋がれた愚者」

※2023年4月公開記事を「アイドルマスター シャイニーカラーズ」noteシャニマス感想コンテストへ応募するため加筆修正しました。

はじめに

2023年3月18日(土)、19日(日)にTHE IDOLM@STER SHINY COLORS 5thLIVE「If I_wings.」が開催されました。このライブでは特殊な演出が盛り込まれており、二日間のライブ体験について、各種SNSで賛否両論の感想が飛び交う事となりました。筆者も二日間リアルタイムで観賞し、その後1週間アーカイブを繰り返し見た一人の観客として、心動かされた貴重なライブ体験の感想を記しておきたいと思います。

本稿は演出の賛否を語る事よりも筆者がライブ体験によって感じた気持ちを優先して、ライブ鑑賞で「突き付けられたメッセージ」と「悔しいと思わされた感情」を整理するために、「特殊な演出とはどういったもので、筆者はどういう解釈をしたのか」「筆者はこのライブを体験した事で何を突き付けられ、何にくやしいと思ったのか」を記していきたいと思います。 重ねて言いますが、筆者はシャニマス5thLIVEに好感を持っているものの、ここで賛否を語るつもりはなく、本稿は筆者の解釈とお気持ち表明をまとめた自分語りしか書いていません。それでも良ければお付き合いください。

特殊な演出とライブ体験について

今回のライブを簡潔に説明する事は難しいですが、鑑賞した全員が同じ認識をした事があります。それは、今回のライブではタイトルにある「IF」を描いていて、ライブ初日と二日目それぞれに「もしも~だったら」という設定でパフォーマンスやセットリストが作りこまれていた事です。
具体的に初日は「もしも彼女たちがアイドルではない未来を選ぶことになったら」の設定、二日目は「もしも彼女たちがアイドルを続ける未来を選ぶことになったら」の設定で作りまれていました。

では、なぜ今回のライブで「IF」を描くことにしたのかですが、発想のもとになったのは去年開催されたシャニマス4thLIVE「空は清み、今を超えて。」だと筆者は考えました。4thLIVEではアイドルが過去と未来の自分へ手紙を送る事で「今だから見える過去と未来」を表現していました。 (4thの話が出たので余談にはなりますが、筆者は4thの演出にも好感を持っています。アイマスライブのアイドルを表現する事に貪欲な姿勢は大好きです。)
4thLIVEで描いたものから、さらにアイドルの表現を広げようとした結果、5thLIVEでは「もしもあの時こうしてれば、ああしてればと想像できる全ての未来を描ききる事」に挑戦したのだと考えます。

セヴン#スの覚悟が思い出されます

この「未来を描ききる事」は、一般論で今を生きる我々では実現しえない事です。さらに言うと、製作者の都合で世界の時間をループさせて年齢を重ねさせないなど登場人物の未来を奪う作品、シャニマスのようなキャラコンテンツでは踏み込めない表現になります。
しかし皆さまもご存知の通り、シャニマスは未来を描く事が破綻を招きかねない難しい表現にも関わらず、果敢にも表現に挑戦を続けている作品でもあります。

シャニマスが5年間丁寧に描き続けてきた物語の中で、白瀬咲夜はモデル時代のファンに昔のカリスマモデルに戻るようせがまれて未来の選択を迫られたり、幽谷霧子は自分が蹴落とした子にアイドルを譲って医者になる進路を考えこともあったり、有栖川夏葉は家業の関係でいつまでも続かない放課後について向き合う事などありました。
これらアイドルの彼女たちにある「未来」を描くために、避けては通れない「可能性」に向き合って表現する事に挑戦した結果、シャニマス5thLIVEは「IF」をテーマにした二日間を描いたものだと考えられます。

以上の事から、シャニマス5thLIVEは「アイドルの未来をテーマにしたライブ」「アイドルの未来ある可能性を描くため、様々なIFを連想できる演出を行った」ものだと筆者は解釈しました。
この「様々なIF」の中には、惜しくも引退する未来もあれば、新たな挑戦をするため前向きに引退する未来もあって、ライブ鑑賞者は、各々が考えられる(良い未来も悪い未来も含めた)全ての未来を予感できるようなライブを体験したわけです。

これが筆者がライブ体験などから感じ取ったシャニマス5thLIVEの演出意図、表現内容になります。そしてこの演出によって、筆者は一つの事実を突きつけられ、苦しめられることとなりました。

ここからは筆者のお気持ち

皆さまは野村美月著ライトノベル「”文学少女”シリーズ」はご存知でしょうか。 有名なビブリオミステリー作品で、名作文学作品になぞらえた事件が起きて”文学少女”が事件を解き明かしていく物語です。登場人物はみな心に大きな傷を抱えていて読んでいてつらい部分も多いのですが、それでも前を向こうと希望を感じられる物語になっているので、シャニマスが好きな人にお勧めできる作品になります。

冒頭に記載したセリフは”文学少女”シリーズの登場人物が口にするセリフで、上辺だけのきれいごとで飾ったような言葉です。しかしこの言葉に含まれている文脈は筆者にまっすぐ届き、日々を生きていくうえでの大切な人生訓になっていました。
どうしようもない出来事がたくさん襲い掛かってくる世の中ですが、周囲の人間関係や趣味など自分が対処出来る範囲では冒頭のセリフのように前向きに考えられるような人になりたいと考えていて、少しはそういう人に私はなれていると思っていました。

しかし、シャニマス5thLIVEの体験で、結局自分は傲慢で独善的な人間だと突き付けられることになりました

正直に言うと、筆者はライブを鑑賞しただけでは「未来にある可能性を描くため、良い未来も悪い未来も描ききる」表現だと解釈する事はできませんでした。特に初日の解釈は「P不在説」や「風野灯織283未加入説」などSNSで様々な説が話題になっていて、そのなかでも筆者は「WING敗退説」が自分の解釈に近いものだと考えていました。これは初日の演出が不穏な内容によせられており、ステージで演出される世界観から「アイドルをやめさせられる不幸な彼女達」と解釈させられるよう大きくミスリードされていたからだと言えます。事実、初日の演出について希望を感じている感想はほとんどなかったと思います。

「初日はアイドルをやめる不幸な彼女たち、二日目はアイドルを続ける幸せな彼女たち」といった解釈は、もちろん間違った解釈だったわけではなく、ライブで一人一人が受け取ったそれぞれの「IF」は全てあったかもしれない、あるべき未来の一つとして存在します。それぞれの観客が感じとったアイドルのステージについて、ライブ後に感想を言い合いたくさんのアイドルの姿を考えられた事自体は、とても有意義なライブ体験ができたからこそだと思っています。

では筆者が何に悔しがったのか、それは「アイドルをやめる彼女達が不幸せである事」を信じて疑わず「アイドルを続ける彼女達こそ幸せだ」という自分勝手で傲慢な考えを押し付けていたからです。 アイドルゲームに登場する人物だからアイドルをやめたら不幸になる、登場人物としての価値が無くなるといった言い分はおかしいものではありません。 しかし、シャニマスを遊んでいて、かつ、”文学少女”に教わった気でいた筆者に限って言うと、「アイドルじゃない未来を選んだ彼女達も幸せでいるはず」、せめて「幸せでいてほしい」という解釈に少しでも考えが及ばなかったことに、大きな自己嫌悪を覚える事となりました。
未来は明るく素晴らしいと、お目出たい想像をしてみて!』と教わっていたのになぁ…

シャニマスのゲーム内には

「後悔があるであろう寡婦」や、

「アイドルを引退して重くも新しい一歩を踏み出した女の子」、

「生と死の線で引き裂かれてしまったお孫さんとおばば」、

「死ぬまでひとりぼっちかもしれないかいぶつ」など、

幸せを願わずにいられない人たちが多数登場します。筆者は彼ら彼女らに出会う度に、幸せでいてほしいと何度も願ってきました。どんな状況でも幸せになれる世界であってほしいと思っていたのに、肝心のアイドルたちの幸せを願いきれていなかった、信じていなかったわけです。

あ~~~くやしい!!!

これが今も尾を引いているシャニ5thに「突き付けられたメッセージ」と「悔しいと思っている感情」です。悔しいですがライブが嫌だったわけではありません。ネタバレなくリアルタイムでライブ鑑賞ができたからこそ、当日心の中で渦巻いた感情が生まれたわけですし、今でも貴重な体験ができたと宝物のように思っています。

幸せを願うことの難しさと、それでも願おうと思えるライブ体験ができた事に最大の感謝と、この先もアイドルと一緒にワクワクを感じられる新しい未来を体験できる事をシャニマス運営に期待しつつ、本稿を締めたいと思います。
ここまで長いお気持ち表明にお付き合いいただきありがとうございました。

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