ときめかないなら、手放す。私にとってのこんまり流片づけコンサルタントプロへの道。
ここ1ヶ月、ずーっともやもやしてやる気が起きず何だか辛く、何だか苦しく。パソコンに向かうのがとても億劫だった。
こんまりさんの本を触ってみると、「うっ・・・」となるほどに。
プロのこんまり流片づけコンサルタントを目指すことが、わたしにとってときめかないことになっていることを認めざるを得なかった。
同期生である友人に自分の素直な気持ちを話し、分かったことがある。
きっかけは、こんまり流を打ち出した無料説明会の広告を打ったが、だーれも見に来てくれなかったことだ。
それまで本当に楽しんで、説明講座資料を作ったり、メールやLINEの動作を組んで、さあいよいよリリースだ!というところだったのに全くお客さんが寄り付かなかった。
「仙台で、こんまりの説明会が無料だよ!」
これだけで、人が来てくれるものと思っていた。それが「こんまり」のブランド力だと。
でも違った。
メンターに相談したところ、広告には視聴者が欲しい未来を見せなきゃダメだよ、とのご指摘をうけ、これから2週間自分が思わずクリックしてしまった広告をスクショで集めてみるといいよ、とアドバイスをもらった。
確かにそうだ。私が思わずクリックした広告を集めてみると、このブランドだから興味ある!と思ってクリックなんかしない。
「こんまり流」というブランドに人は集まらない。
それならば、私は何のためにこんまり流片づけコンサルタント養成講座修了生としてモニターレッスンに取り組むのだろう。
内向的な私にとって、集客というのが本当に辛い。
「知り合い全員にこんなこと始めたよってまず話すことが大事」だと講座内で言われていたので、高校以来、中学以来連絡をとったこともない同級生にまで話したが、一向にモニターレッスンをやってもいいよ、という方はいなかった。
そもそも私は非常に友達が少ないし、私の友達は私同様内気な方が多いのだ。
これ以上知り合いからの集客は難しいと感じたからこそ、仕組みかデザインのプログラムを受け、一般向けに広告を売った。
こんまり流と名乗ればお客さんがわんさか来る、と思っていたけれどそれは幻想だった。
では、私が今これほど辛い思いをしてプロになろうとする必要性はあるだろうか。
プロになることによって得られるメリットは公式HPに写真が載ること、こんまり流片づけコンサルタントですと名乗れるようになること、それだけではないか。
そもそも内向的な私は対面レッスンはできればしたくないと思っていた。
他人の家に上がるというのが、ものすごくストレスなのだ。
拘束時間も長い。
モニターレッスン10回分は対面レッスンで行うこと、という決まりがあったので、それが済んでプロになった暁には完全オンラインで自分のペースで個人の片づけを完走まで導ける、片づけの小さな学校みたいなオンライン講座プログラムを作ろうと思っていたのだ。
それが私にとってときめくことだ。
そして今、養成講座にかかった20万ほどの料金を絶対に回収するためにプロになるんだ!という意気込みを捨てることで、心が本当に楽になった。
そしてやりたかったことは死ぬほど気が乗らないモニターレッスンを超えた後しかできないと思っていたけれど、今この瞬間からはじめてもいいんだ。
プロを目指すことを諦めるなら「こんまり」とか「ときめき」とかっていうワードはもちろん使えないけど。
学んだことは活かせると思う。効率的な片づけ方や、取捨選択に感情を軸にすること。
モニターレッスンしてみない?という営業をかける中で、
「片づけには興味はあるけど、家に来るの?とてもじゃないけどそれはちょっと・・・」
そんな方が本当にたくさんいた。
内気で人見知りな私にはその気持ちが本当によくわかる。
わかるからこそ、それ以上強く自分のレッスンを薦めることができなかった。
そんな方に向けた、私なりの切り口で、誰かの役に立てたらいいな。
(書くのにかかった時間:26:23, 06:23over)