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『咲く花に寄す』 その20

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 美佳は、おばあちゃんの家が大好きだった。
 新幹線にのって京都まで来て、さらに長~い時間バスにゆられて、やっとたどり着けるその場所。
 木でできた、とてもおっきなお家。屋根は「かやぶき」って言って、わらみたいな草をつみ重ねてできている。それは、昔話に出てくるような、どっしりとした可愛いお家で、バス停から歩いて、丘の上にあるお家が見えてくると、嬉しくて胸がワクワクしてしまう。
 おばあちゃんはいつも、前のお庭であたしたちを待っててくれる。あたしを見つけて、大きく手を振るおばあちゃんの姿を見ると、あたしはもう我慢できなくなって、夢中で走り出す。
 お家に続く坂道を駆け上って、おばあちゃんの胸に飛び込む。かすかに、お花の良い匂いがする。むせ返るような植物たちの息吹きが、このお家には溢れている。
「おかえり、美佳。あんた、よう来たなあ」
 そう言って、おばあちゃんはギュッと抱きしめてくれる。おばあちゃん! 美佳の大好きなおばあちゃん!
 いっぱいお話ししながら、お家に入ってゆくと、土と干し草の香りと、少しひんやりした空気に包まれる。お家そのものが〈おかえり〉って大歓迎してくれてる気持ちになる。
 おばあちゃんのお料理は美味しいとみんなに評判で、美味しいだけじゃなくって、食べると元気がわいてくる。調子の悪い人がおばあちゃんの家に泊まっていると、みんな元気になって帰ってゆくそうだ。
 美佳たちが行く日はいつも、綺麗な重箱に特別なお料理をいっぱいに詰めて、待ってくれている。あま~い卵焼きに、おふの天ぷらに、野菜の炊いたんに、お魚のかんろ煮に、蕗みそが入った焼きおにぎりに……とても書ききれないほどの、色とりどりのたくさんのお料理!
 お天気の良い日は、みんなで外に出て食べる。特に春の桜の時季には、桜並木のある近くの小川まで行って、お花見の宴会になる。
 まだほんの赤ちゃんだった頃にも、誰かに抱っこされながら、舞い落ちる桜の白い花びらを見上げていた記憶がある。小さな手をいっぱいに伸ばした先に、白い雲のような桜花がふわふわと揺れていた。

 去年の夏休み、初めて一人でお泊まりした。寂しくて泣いたこともあったけれど、おばあちゃんとおじいちゃんとの三人での暮らしはとっても楽しくて、夏休みが終わらなければ良いのにって、何度も思った。
 朝涼しいうちに起きて、畑で野菜をとって、それを朝ごはんにいただく。とれたての野菜は宝石みたいにツヤツヤしていて、びっくりするくらいに美味しかった。
 地元の子たちとも友達になって、虫取りに、川遊びに、山歩きに、神社のお祭りに、花火に……いくら遊んでも楽しいことはつきなかった。
 めいっぱい遊んでくたくたになった後に、おばあちゃんが入れてくれる梅ジュースは、最高に美味しかった。東京にも送ってくれているのに、味は全っ然違って、魔法でもかけているのかしらと不思議でしょうがなかった。
 一度だけ、おばあちゃんは「おおたに」という町に連れて行ってくれた。
 ふしみのおじさんの所に寄ってご挨拶して、お昼を食べてから、さらに電車にのって、「やましろおおたに」という駅に着いた。
 青々とした田んぼ沿いの道を、手を繋いで一緒に歩いていた。この日のおばあちゃんは、いつもとちょっと違っていて、どこか悲しそうに見えた。
「なあ、美佳、この逢谷っていう町はな、おばあちゃんにとって、特別な想い出のある場所やねん。今日、一緒にここに来たことも、これからお話しすることも、おばあちゃんと美佳だけの、内緒にしといてくれるかなあ」
 そう言って、静かに笑って見せるおばあちゃんに、はっきりと意思を込めて、美佳はうなずく。そんな特別な場所に、自分を連れ来てくれたおばあちゃんの気持ちが分かる気がしたし、二人だけの秘密を持てたことが、嬉しくもあった。
 歩きながら、この逢谷がとても梅の花の綺麗な場所であり、ず~っと昔、おばあちゃんの大好きだった人と、一緒にお花見をしたことを聞かせてくれた。つらい戦争のせいで、私たちが結ばれることはなかったの……と、おばあちゃんは悲しそうに笑っていた。
 家並みを抜けて、ずっと山道を上った先に、“うめかんのんさま”があった。薄暗い竹林の中で、そこだけ明るい陽だまりになって、キラキラ輝いてていた。
「この観音さまにお願いするとな、なんでも願いを叶えてくれはるの。ちっちゃくて可愛いけど、大そうご利益のある観音さまなんよ」
 そう言って、おばあちゃんは笑っていた。
「おばあちゃんは、どんなお願いをかなえてもらったの?」
 そう問いかける美佳に、おばあちゃんは静かに笑ってこう答えた。
「おばあちゃんの大切な人が、戦争から無事に帰ってきはりますようにって、お願いしてたの」


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