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『咲く花に寄す』 その7

     6 承前

 歩いて数分の山城逢谷駅に到着し、無言のまま並んで歩いていたみかの母親に、提げていたボストンバッグを手渡す。受け取る彼女は、軽く会釈は返すものの、いまだ自分の判断の是非に迷いがあるようで、思い詰めたような顔をしている。
 周囲はもうすっかり暗くなっており、駅前のスーパーの電灯がもの悲しい印象を与える。自転車に乗った高校生のカップルが、何やら話しながら通り過ぎてゆく。
 まだ気まずい思いを引きずっているのか、健吾に手を引かれたみかは、大人たちとは少し離れて付いて来ている。少し泣いた後のほっぺはまだ赤らんでいて、申し訳なさそうにうつむき加減でたたずんでいる。
「なあ、みかちゃん。お母さん帰ってしまわはるけど、ほんまにええのんか? 観音さまはおっちゃんが探しといたげるさかい、今度来た時にみんなでお参りしたらええやんか」
 おずおずと、しかしはっきりと、みかは首を横に振る。
「ちょっと、よろしいでしょうか……」
 と、母親は彼の肘に手を添えると、駅舎の外に連れ出す。
「実は……母の容態が芳しくなくて、ここ数日が山だと言われているんです。きっとあの子なりに、何か感じるものがあるのかも知れません」
「……そうなんですか」
「心苦しいのですが、あの子のこと、お願いできますでしょうか。できるだけ早く迎えに来れるよう、万全を尽くします」
「はい。どうか、安心なさって下さい。毎日必ず、病院にも連絡入れて容態を確認します。あの子の想いに添えるよう、心つくします」
 そう言って、彼はにっこりと微笑む。
「ねえ、お母さん。ぼくねえ、“うめかんのんさま”の話しを聞いたとき、ふっと胸おちするものがあったんですわ。ずっと昔から、ぼくのことを護ってくれてた存在があって、その暖かさに気づけたっていうかね。この小さいけど美しい町には、確かに不思議な神さまが存在して、愛すべき人々の想いを聞いてくれてる……そんな確信があるんです。みかちゃんの願いは必ず叶いますよ。ぼくはそう信じてるんです」
「……はい」
「それと……ねえ、お母さん、どうぞ、みかちゃんのこと、抱きしめてあげて下さい」
「はい?」
「さっき、みかちゃんに会うたとき、お母さん、咄嗟に抱きしめようとしはったでしょう。なんで止めはるんですか。ぼくらに遠慮なんかせんと、抱きしめはったらええのに」
「あ……。ふふっ……そうですね……」
 虚を突かれたように、初めて彼女の表情が緩む。
「あたしの、悪いとこなんです。いっつも気い張って、まわりの眼えばっかり気にして」
 言葉に、関西のイントネーションが交じる。少し赤らんだ瞳を細めて笑って見せるその貌は、とても魅力的に見える。
「どうぞ、お母さんの一番の気持ち、伝えてあげて下さい」
「美佳……ねえ、美佳」
 蛍光灯の頼りない明かりに満ちた駅舎の中で、健吾と並んでポスターを見上げいていたみかに近づくと、彼女はしゃがみ込んで、ゆっくりと抱きしめる。
「お母さんこれで帰るけれど、おじさんの言うことちゃんと聞いて、いい子にしてるのよ。お仕事の用事が済んだら、すぐに迎えに来るから」
「……うん」
「ねえ、美佳、あなたがいなくなって、お母さん、ほんとに心配だったのよ。もしこのまま、美佳が帰ってこなかったらどうしようって、お母さん心配で心配で、胸がつぶれそうだった」
「おかあさん……」
「ほんとうに、無事でよかった。美佳が無事で、ほんとうによかった……」
「おかあさん……」
「お願いだから、もう黙っていなくなったりしないで。ね、約束してちょうだい」
「うん……やくそくする。おかあさん、わたし、やくそくするね……だまっていなくなって、ごめんなさい」
 母の肩にうずめたちっちゃな顔が、涙でくしゃくしゃにゆがむ。
 遮断機の音が響きはじめ、ホームのアナウンスが京都行き列車の到着を告げる。ライトを灯した丸っこい車両が、ゆっくりとホームに近づいてくる。


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