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秋月夜(九)

     五

 エンジ色のスズキに幼児たちを乗せて、山道を走っている。
 引っ越しに合わせて、この軽自動車を購入。ちょうど欲しかった型が新古車で出ていて、新車よりも二十万ほどは安く買えてしまった。
 たまに社用車を使う事があったので、運転にはそこそこ慣れている。あれこれ忙しくて、まだこの子でロング・ドライブには行けてないが、夏のうちに健吾を誘って海にでも行ってみようかと思う。
 信号待ちのタイミングで、バックミラーから後部座席の様子を伺うと、二人は仲良く手を繋いで、身体を揺らしてなにやら歌を歌っている。気が合うという以上に、二人は同じ感覚とリズムから世界を視ているのがわかる。
 ふくみの道案内は的確で、家はすぐに分かった。
 道路脇のスペースに車を停めて、呼び鈴を鳴らす。山里なのでもうかなり薄暗い。さぞかし心配してるだろうなあと、何度目かの憂慮が胸をよぎる。
 対応に出たのは、ほっそりした体型の女性で、瞬間的に好感を抱くが、やはりかなり心配していたのか、愛嬌のある顔つきも硬く、どことなく態度がおかしい。
「ごめんなさいね、すっかり遅くなって。二人で遊びに夢中になっちゃってたみたいで、なかなか帰ってこなかったのよ」
 美佳の言葉には全く反応せず、女性はフリーズしたまま、優希と並んで佇むふくみを強ばった貌で凝視している。
「先に電話だけでもって思ったんだけど、ふくちゃん、電話番号知らないって言うから……」
「ちょ、ちょっと、うちのふくみ、おたくの子と遊んでたん?」
「はっ?」女性の声音にただならぬ響きを感じて、下手に出ていた美佳も、さすがにムッとしてしまう。
「うちの子がおたくの娘さんと遊ぶことに、何か問題でも?」
「違うねんちがうねん!」小刻みに頭を振りながら、女性は言う。
「うちの子……ふくみ……今まで、お友達できたことなかってん。誰とも一緒に、遊んだことなかってん」
「え? そうなの?」美佳はまじまじと女性の貌を眺める。
「なんだか一目で意気投合しちゃったみたいで、ずっと仲良く遊んでたよ」
「信じられへん……」女性の垂れ気味の瞳に、みるみる涙が溜まってくる。
「近所の子に会わせても、試し保育に連れて行ってみても、あの子ずっと一人でうずくまってな、誰とも目も合わせようとせえへんのよ……」
「そうだったのね……」
「ちょっと、ふくみ、あんた、そのお友達と遊んでもうてたん?」
 表情を変えないまま、ふくみはこくりと頷く。
「なあお友達、こんにちは」女性は優希に近寄ると、真ん前にしゃがんで顔を覗き込む。
「お名前は?」
「ゆきちゃんやで」
「ゆきちゃんか。あんた、可愛いらしい顔してんなあ」
「うん、よういわれるねん」
「あはは、よう言われるか。なあ、ゆきちゃん、あんた、うちのふくみと友達になってくれんのか?」 
「なってくれんのかて、あたしらもうおともだちやんか。なあ〜、ふくちゃ〜ん」呼びかけにほとんど反応を示さないふくみだが、微かに顔と身体を揺らせて、なんとなく照れてもじもじしているのが分かる。
「なあおばちゃん、きょうはラッキーデーか?」瞳をうるうるさせている女性を、優希はにこにこと眺めている。
「そやな、ええ事あったし、ほんまラッキーデーやな。でもなんでや? わかんのか?」
「キラキラしたてんしさん、いっぱいおばちゃんのまわりとんではるで」
「あはは。あんた、ちょっと変わった子やな」
「うん、それもよういわれるねん」
 そう言って、天衣無縫の笑顔を見せる優希の顔に、女性はまじまじと見入ってしまう。可愛いだけではない、向き合っているだけで、心の澱をじんわりと解きほぐしてくれそうな不思議な愛くるしさを、少女は有している。
「なにあんた、天使かなにか?」
「ん? あたしはゆきちゃんやで」
「なあ、ゆきちゃん、ハグしてもいい?」
「ハグてなにい?」
「ギュってしていい?」
「いたいことせんといてな」
「せえへんせえへん、痛いことせえへんから」
 そう言って、女性は優希を優しくハグする。
「ゆきちゃん、ありがとうな。うちもふくみも、あんたに逢えて、ほんまに嬉しいわ。これからふくみと仲良うしたってな」目に涙をいっぱいに溜めて、軽く鼻をすすりながら、女性は優希に語りかける。
「いやあ、今日はええ日や! お祝いせなあかんわ!」すっくと立ちあがると、女性は腰に手を当てて声を上げる。
「なあ、あんたら、今日ご飯食べて行けへん? 食べて行けるやろ? 食べて行き?」
「えっと、うちは良いんだけど、急なことでそっちは大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫! チャチャっともう二三品作っちゃうから。ええもんは出せへんけどね」
「うん、じゃ、お邪魔しちゃおうかしら!」
「決まり! 入って入って!」笑顔を弾けさせると、女性は玄関を開けて美佳たちを誘う。

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