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秋月夜(七)

     四

 家に帰ると、座敷わらしが座っていた。
「ひっ」と叫ぶと一旦外に出て、壁にもたれて呼吸を落ち着かせる。心臓がドキドキと早鐘を打つ。自分には霊感はないつもりだが、のんびりした田舎暮らしで急に開いてしまったのかと、嫌な冷や汗が出る。
 今自分が見たものを反芻してみる。確かに、板間の囲炉裏端に、おかっぱ頭の女の子が座っていた。見間違いなどでは決してなく、日本人形じみた白い横顔と、黒々とした髪のコントラストが目に焼き付いている。
「この家には座敷わらしさん居はるねんよ」にこやかに微笑みながら、祖母がよくそんな事を言っていたのを思い出す。そういえば、さっき見たのとそっくりなおかっぱ頭の女の子と、仲良く遊んだ記憶があるような気もするが、それが実際のものなのか、イメージで作り上げたものなのか判然としない。
「なかったこと」にして、もう一度畑を見に行こうか……などと後ろ向きな思念もよぎるが、ここは気合を入れて真実を確かめることにする。きっと近所の子が勝手に上がり込んでるんだわ……と、自分に言い聞かせる。こんな時にこそ頼りになりそうな優希は、また遊びに出ていて帰ってこない。
 裏口から、そっと家の中を覗き込む。「座敷わらし」ちゃんは、消え去りもせずにまだ黒光りする床板にちょこんと正座している。
「こ、こんにちは〜。まいにち暑いよね〜」声をかけながら、恐る恐る近づく。見た感じではリアルな女の子に間違いないように思える。
「あら、あなた、綺麗な髪の毛してるのねえ」わざとらしくそう言って、黒々とした髪に触れてみる。確かな感触はあるが、まだまだ気は抜けない。いきなり消失してしまう可能性もある。
「おばあちゃんは?」
 小さいけれど、はっきりした口調で、女の子がそう言う。
「おばあちゃん?」いきなりの問いかけに少し戸惑うも、普通にコミュニュケーションできたことに美佳は安堵する。
「おばあちゃんって、この家に住んでた静枝おばあちゃんのこと?」
ちょっと考えてから、女の子はこくりと頷く。
「おばあちゃんねえ……」どう伝えるべきなのか一瞬迷うが、少女の理解力を信じて、ありのままを伝えることにする。
「おばあちゃん、亡くなったの。死んじゃったの。分かるかな? 天国にね、帰っちゃったのよ」奥の間の遺影を示しながら、美佳はそう言う。
「あなた、おばあちゃんのお友達だったの?」
 よく見ないと分からないくらい微かに、女の子は頷く。
「そうなのね。せっかく来てくれたのにごめんね」
 女の子は、一重まぶたの特徴的な顔を少し俯けて、床の辺りを見つめている。祖母の死を伝えても、全く表情は変わらない。お友達だったなら、もうちょっと悲しんでくれても良いのにと、美佳は軽く思ってしまう。
「あなた、お名前は?」
「さ え き ふ く み」
「ふくみちゃん? じゃあふくちゃんって呼んで良いかな? あたしは美佳。静枝おばあちゃんの孫でね、これからここに住むことになったの。よろしくね、ふくちゃん」
 こくりと、ふくみは頷く。
「あなた一人? どこから来たの?」
「くすみからきたの」
「久住……って嘘でしょう? あそこから一人で来たの?」久住町は国道沿いの集落で、直線距離で7キロほど離れており、車でも20分以上はかかってしまう。
「やまみちあるいてきたの。ちっちゃいおっちゃんがおしえてくれはった」
「“ちっちゃいおっちゃん”って、よく芸能人が見たとか言ってる妖精みたいなやつ? あなたも見えるの?」美佳の問いに、ふくみは事も無げに頷く。
「ねえふくみちゃん、気を悪くしないで欲しいんだけど、そのちっちゃいおっちゃんが見えちゃうこと、あんまり他の人には言わない方が良いかもしんないね」一時期巷で話題になっていた、“小さいおじさん”のキモカワイイビジュアルを想起しながら、美佳は言う。
「わかってる」全くトーンを変えずにふくみは言う。「ほかのひとにはゆわへんけど、おばちゃんにはゆってもだいじょうぶやって」
「それもおっちゃんが教えてくれたの?」
 こくりと頷くふくみを、ちょっと変わった子なのかな? と正直思ってしまうが、ただの幼児の妄想にしては話の筋はちゃんと通っている。
「ねえふくちゃん、もらい物のスイカがあるんだけど、スイカジュース作ってあげようか? 出来が悪くて、そのままで食べてもあんまり美味しくないんだって。あれ? ふくちゃん?」
 ふくみの白い頬がみるみる紅潮し、くしゃっと泣き顔になったかと思うと、一重の瞳からぽろぽろと涙が溢れだす。
「ちょっ、どうしたの? ふくちゃん? なにか嫌なこと言っちゃった?」
「おば……おばあちゃん、しんでまはった……。おばあちゃん、しんでまはった」
 わーん、と声を上げて、ついにふくみは泣き出してしまう。
「そっか……今きたか。今きたのか。おいで、ふくちゃん」そう言って、美佳はしゃくり声を上げて泣きじゃくるふくみを、しっかり抱きしめる。
「ふくちゃん、おばあちゃんと、仲良くしてくれてたのね……。ありがとね。居なくなって、寂しいよね。会えなくって、寂しいよね」
 日本人形じみた恬淡さからは、想像もできないくらいの激しさを見せて、ふくみは泣き続ける。ひくひくとしゃくりあげる少女の背中を、美佳は労わりを込めてトントン叩く。少女が小さな胸に秘めていた、静枝に対する慕情がジンジンと伝わり、美佳も貰い泣きしてしまう。

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