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秋月夜(四)

     二(承前)

 簡単な昼食の後片付けを終えて、上がり框(かまち)から中央に囲炉裏が切ってある板間に上がり、直に座り込む。冷んやりした板間の感触が心地いい。開放した玄関から裏口まで、よく風が通り抜け、扇風機だけでも十分快適に過ごせる。
「寝た寝た。よう寝てはるわ」
 奥の間で優希を寝かしつけてくれていた健吾が、小声でそうつぶやきながらこちらにやってきて、美佳の隣にあぐらをかいて座り込む。
「ありがとね」身体を横に伸ばして、冷風機の風を浴びてスヤスヤ寝息を立てている優希を確認しながら、美佳はそう言う。
 歓迎すべからざる客が立ち去ってすぐ、重い雰囲気を察した健吾は、何食わぬ顔で優希を川遊びに連れ出してくれた。良い頃合いに帰宅して、一緒に昼食を食べて、絵本を読んでそのままお昼寝に持ち込むという、まったく、お金を払って雇いたいくらい有能なベビーシッターぶりだった。
「いやいやしかし、たいがいな話やね」ふっと息をついて、健吾はそう切り出す。
「畑いてたら、えらいごっつい車が君んとこの方、向かってたからさあ、ちょっと心配なって見にきてみてん。嫌な予感が当たってもうたなあ」
「うん、やっぱり男性が居ると向こうも気勢を削がれるみたいで、あなたが来てからはあまり強く言わなくなった。ありがとね、助かった」
「で、優希を渡せって?」
 無表情のまま、美佳はこくりと頷く。
「何を言うんやろな、今さら……。今の今まで放ったらかしにしてたくせに。ちゃんと筋は通してあんねんろ?」
「ええ、直接挨拶に行ったし、児童相談所通して確認もして、あたしが優希を育てる事には納得してくれてたはず。なのに……」
 二人とも、優希の方を気にしながら、声はひそめている。能天気な見かけによらず聡い子である事はよく分かっている。
「寂しくて急に孫が恋しなったってとこかな。それにしてもいきなり『一緒に暮らす』はないよね。君ら二人の気持ちを全く考えてないよね」
 美佳はこくりと頷くと、視線を床に落とす。
「まあ、誰が観ても道理は君の方にあるしさ、あちらもさすがに強硬手段に出ることはなさそうやし、お互いちょっと落ち着いてから、もう一っぺん話し合ってみたら?」
「話しが通じる相手かしら?」
「う〜ん、まあだいぶこじらせてる、ヘンコなおばはんには見えたけどなあ」
「レナちゃん、よく言ってたのよ。オカンにはええ思い出ないって。ひどい目におおたって。『このアホ』言われてようどつかれたって」
「その辺はさ、心配してもしょうがないことやん。根拠のない心配って、恐怖感だけが何倍にもふくらんでたち悪いしね。レナちゃんのお母さんなんやから、話したら分かってくれるって信じようよ」
「だからこそ、なのよ。親子の感情が絡んでるからこそ、一回もつれたら、たちの悪い憎しみに変わっちゃう事もあるしね……」
「憎しみ、ねえ」
「は〜あっ」美佳は大きくため息をつくと、両手で顔を覆ってしまう。
「またトラブルだ……。やっぱり会社を辞めて、店を開こうとしてること、間違ってるのかしら。間違ってるから、こんな良くないことが次々起こるのかしら」
「いや、違うよ」健吾は表情を引き締めて、ちゃんと美佳に向き合う。
「君は間違ってない。むしろ、正しい道やからこそ、乗り越えるべき試練が現れるんやないかな。そこをちゃんとクリアしたら、さらにはっきり道は見えてくるよ」
「はあっ……。試練とかいらないから、もっと楽に進める道はないものかしら」
「あるんやろけど、君があえてこっちを選んでるんちゃう?」
「そっか、選んでたか。じゃあしょうがないね」
 二人は眼を合わせて、クスッと同時に笑ってしまう。
「ねえ、コーヒー淹れてよ。健吾のコーヒー飲みたい」
「ええよ。熱いの? 冷たいの?」
「めっちゃ熱いの!」
「オッケー。じゃ湯沸かすか」
「ねえ、ランチ後はカフェ営業もしようと思ってるんだけど、コーヒーの淹れ方、教えてくれない?」
「ええけど、奥深いで」
「いいわよ。望むところ!」
「試練好きそうやしね。まずドリップの種類があってな……」
 台所の土間に並んで立って、あれこれ言い合いながら二人は作業を続ける。


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