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秋月夜(五)

     三

 縁側に腰掛けて、庭をぼんやり眺めている。
 ここの所色々あったせいか、すっかりお疲れモードに入り、隙を見つけては何もせずにボ〜ッとしてしまう。できることなら、空調の効いた薄暗い部屋で日がな一日体育座りをしていたい。
 今日は昼前に業務用冷蔵庫の搬入があるが、まあ来てから動けば良いかと、のんびり構えている。スペースはもう空いてるし、業者さんには簡単な指示とお茶を出すくらいで良いだろう。
 庭では健吾がガーデニングの作業中。門柱から店の入り口までの通路が分かりやすくなるように、植え込みとの境にアンティーク調のレンガを埋め込んでくれている。仕上がりも丁寧で美しく、手際が良いというレベルを完全に超えており、どうやら一時期、庭師の下で修行をしたこともあったらしい。
 祖母の性格をよく表して、外界とはっきり区切るような生垣や塀はなく、ウメ、モチノキ、キンモクセイなど、低めに仕立てられた庭木がバランス良く植えられ、後ろに広がる集落の景色を借景として取り込んで、楽しめるようになっている。
 美佳たちが越してくる前に、すでに健吾は剪定や草刈りを済ませてくれており、祖母が居た頃と変わらない快適な空間をキープできている。可憐なセージの青い小花が、あちこちで揺れている。祖母が春に植えたものなのかな? と思い、少し胸が痛くなる。
 縁側から植え込みまでの間に、十平米ほどの芝生があり、ここにもいくつかテーブルを置いて、天気の良い日は客席として開放するつもりである。基本的には今までの状態を活かしたまま、あとは威圧感がない程度に垣根を巡らせてもらうのと、駐車スペースの表示板と簡単な区分けまで、健吾にお願いすることになっている。
 ああ、良い男になったなあ……と、美佳は作業に集中する健吾を眺めている。
 熱中できる仕事に出逢えたからか、言葉遣いにも物腰にも、男らしい力強さが溢れてきている。チラチラと不安定に動くことが多かった視線も、ゆったりと落ち着いて、優しさと包容力を感じさせる。
 この数ヶ月、単純に彼がこなしてくれた作業だけをとっても、どれだけ助けになってるか分からない。田畑や庭の手入れにとどまらず、どこで覚えたのか漆喰壁の塗り替えまで済ませてくれた。脚立の上で器用にコテを使う彼の後ろ姿を、半ばあきれ顔で眺めつつ、思わず「ねえ、結婚しない?」なんて口走ってしまった美佳だが、冗談だと思ったのか、彼はちょっと肩をすくめて見せただけで、そのまま作業を続けたものである。
 一気に進展するかに思えた彼との仲は、今だに“ツレ”同士のままである。
 だいたい、満開のシダレザクラを前にしての「あの子を育てる手伝い、俺にもさせて」発言は、てっきりプロポーズだと思っていたのだが、本人には全くそんな気は無かったようで、それとなく問い質してみたところ「何?」みたいな顔をされ、慌てて取り繕わざるをえなかった。その辺の照れや苛立ちが、彼に対するぞんざいな言葉遣いとして出てしまったりする。
 女の直感で、自分に好意を持ってくれていることは間違いないと思うのだが、彼の方は一向に煮え切らない。たまに誘えば、屈託のない様子で昼食も夕飯も食べてゆくが、それとなくOKのサインを出してあげてるのに、気づいてないのか気づいててスルーしてるのか、笑顔で礼を言ってあっさり帰ってゆく。
 もしかしたら、人並みの定期収入がないことを気にしているのかも知れない。男って馬鹿だなあってつくづく思う。女は……少なくても自分は、相手の誠実さを本能的に見抜くことができる。具体的な数字や成果を見せられるよりも、不安定でも「一緒に苦労して欲しい」って、飾らない愛情をぶつけてくれる方が、何倍もなんばいも嬉しいのに。
 勿論、そもそも自分は女性としてみられていないという目もあるし、最近その可能性が高いんじゃないかという気がしてきている。自分の方からモーションをかける事も考えたが、もし、万が一、彼に拒絶されてしまったらと思うと、どうしてもそんな勇気は出せない。
 これ以上、大切な人が周りから居なくなることに、もう自分は耐えられない。
 どっちつかずでも良いから、もう少しだけ、この居心地の良いゆるい関係を続けていきたいと思う。
 視線に気づいて、ふと物思いから現実に回帰する。庭作業の手を止めた健吾が、タオルで汗をぬぐいながら、あきれたような顔で自分を見つめている。
「何?」
「いや、おれが働いてる横で、何してはんのかなあって思って」
「ぼ〜っとしてたんだけど、何か?」
「別に。でもさあ、君がめちゃ働いてる横で、おれがぼ〜っとしてたら絶対怒るやろ」
「怒る怒る。めちゃ怒るね! 人の苦労も知らないで! ってめちゃ怒るから」
 二人は目を合わせてくすくすと笑う。
「なに? 横でぼ〜っと見てられて不快だった?」
「いや、むしろええ感じやったけどな」
 そう言って、白い歯を見せる健吾の笑顔が眩しくて、美佳はちょっと目を逸らしてしまう。
「今日ね、信吾さんが来るのよ」
「へえ、信吾が? なんで?」
「ほら、お店用の冷蔵庫入れるついでに、厨房のおっきい冷蔵庫も会社で用意してくれてね、今日搬入だから、確認がてら打ち合わせに行きますって」
「へえ、太っ腹やん。さすが若社長」
 料理に添えるお酒として、大谷酒造の清澄を扱わせて欲しいと打診してみたところ、ならぜひ小売もやってみないかと、信吾の方から提案があったのだ。蔵の支店扱いで、必要な設備はこちらで用意するという、願ってもない提案であり、料理提供の他に、現金収入のあてがあると、かなり心強い。
「って、言ってるそばから。お〜いっ!」小橋を渡って近づいてくる、大谷酒造の白いバンに向かって、美佳は大きく手を振る。

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