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秋月夜(10)

     五(承前)

「そうかあ、一人で行ってしもたんやね……」
 伊都子と名乗ったふくみの母親は、そうポツリとつぶやく。
「あの子、おばあちゃん……ごめんね、馴れ馴れしくって、静枝さんにはほんまよう懐いててね、亡くなったことよう言えんと、病気になって入院してはるとか、だましだましで今まで来てたんよ…… 」
 母親二人はキッチンのテーブルに着いて、しばし語り合っている。派手派手しくない落ち着いた調度のキッチンで、美佳の好みに合っている。物は多いが、どれも愛情が込められていて、きちんと整頓されてあちこちに収まっている。
「あの子、ちっちゃい時からちょっと変わった子でね、あまりこっちの言葉に反応してくれへんというか、じ〜っと一点を見つめて、何時間も動かなかったりするの。表情もあんまり変わらへんし、言葉も、二歳近くになるまで一言も話さんくてね、あんな子、どっか病気やわとか、あんたの育て方が悪いんやとか、義理の母にも散々責められてな……」語りながら、伊都子は眼を赤くしている。
「義母に言われて、専門の病院連れて行ったらな、重度の自閉症ですって……。発達障害の疑いがあるから、定期的に検診受けさせて下さいって」
「あれねえ、“障害”って言葉が悪いと思うのよ。病気じゃなくって個性よね。ふくちゃん、あたしとは普通にお話ししてくれたよ。それは、ちょっと反応が独特だなあとは思ったけどね」
「人によるねん。この人アカンって思ったら、石みたいに心を閉ざしてしもて。その医者の前ではな、眼も見いひんどころか身体もコチコチで動かんくなってしもてなあ」
「それきっと、医者の方に問題があるんだと思う」
「症状を和らげるって、薬出されてんけど、あの子、珍しく『イヤ! イヤ!』って大暴れしてな」
「ダメよ! 薬、ダメだからね! 絶対!」どうしてそんなに強く否定しまったのか、自分でも分からない。
「うん。飲ませられへんかった。だからな、もうええかなって。あの子の良さはうちがよう分かってるし、それでええかなって思ってん。ゆっくり時間かけて、あの子と向き合っていこうって」
「ええ」
「静枝さんと逢うたんは、そんな時やった。道の駅のマルシェにね、静枝さん、お野菜のお店出してはったんよ。買い物に夢中になってるうちに、ふくみとはぐれてしもて、必死で探してたら、優しそうなおばあさんと仲良くお話ししててな、それまで、他所の人と口きくなんてあり得へん買ったから、うち、もう目を疑ってしもてなあ。『なんて可愛い子なの』って静枝さん、何度も言うてくれはって、いつでも花城の家に遊びに来てねって」指で涙を拭いながら、伊都子は続ける。
「きっと社交辞令やろて、うちはそんなん、行くつもりはなかってんけど、あの子がおばあちゃんおばあちゃんひつこくてなあ、あつかましいけど、思い切って行ってみたら、静枝さん、ほんま喜んで、歓迎してくれはってな」
「おばあちゃん、社交辞令とか言わないからね」
「何度かお邪魔するうちに、すっかり仲良くなって、しまいにはあの子だけ、週に二、三回も預かってもらうようになって、申し訳ないからシッター料お支払いします言うたら、静枝さんちょっと怒った顔になってな、『お友達と遊ぶのに、なんでお金もらわなあかんの?』って」
 見て……と、伊都子はケータイのフォルダから画像を選び、美佳に示す。
「ふふ、笑ってる。良い写真ね」
 裏庭の花々に囲まれた静枝とふくみが、ケータイの画面の中で微笑んでいる。
「人づてに、静枝さん亡くなったって聞いて、うち、ショックでな……。ふくみのことだけやなくって、うちも、いろいろ話し聞いてもうたりしてな、ほんまのおばあちゃんみたいに感じててん」
「そう言ってくれる人、多いのよ。いったい何人、孫やひ孫がいるんだろうって」
「そう言えばあんた、お葬式の時、居てたね。喪服着た綺麗な人が居るなあ思ててん。お孫さんやったんやね」
「いやいや。来てくれてたのね。ありがとね」
「いや、もう8時前やん! すっかり話し込んでもうた。ちゃっちゃとご飯作らんなあかんな」
「あたし手伝うね」
「頼むわ」
 ざっと見たところ、既に煮物が二品ほどできており、ちくわと玉ねぎの天ぷらが後は揚げるだけの状態まで下ごしらえしてある。
「ごちそうじゃない! いつもこんな感じ?」
「旦那がよう食べよるから量だけはな。時間ないし、後は肉焼いてサラダちゃちゃっと作るわ。あんた、天ぷら揚げてくれる?」
「オッケー」コンロの火を点けて、エプロンは……と思ったところで、後ろから伊都子が手渡してくれる。
「ありがと。あたしもお料理、ちょっと得意なのよ」
「そうなん? 静枝さんも料理上手かったもんなあ」
「うん、おばあちゃんにもみっちり仕込まれたし。実はね、今度あの家で、料理屋さん開く予定なのよ」
「ほんまに!?」
「ほんまほんま。おばあちゃんの料理中心に、花城で採れた食材を使った、自然料理、プラス、カフェ……って感じで」
「面白そう! 手伝わせて!」
「あー、嬉しいけど、お客さんどれだけ来てくれるか分かんないし、お給料払う余裕とかないかも知れないし……」
「ええねんええねん、お給料なんか。こっちの押しかけやねんから」
「いやあ、さすがにそう言う訳には……」
「それよりさあ、今年畑はどうなってんの?」
「ああ、ツレが見てくれてるのよ、畑も田んぼも。なかなか良いのが出来てるわよ。でも、なんで?」
「ほな、お給料の代わりに、畑の作物採り放題って言うのは? 静枝さんがよう畑の野菜くれてはってんけど、美味しくてなあ、忘れられへんの。もし繁盛して、余裕があったらお給料くれたらええし、なくても美味しい食べ物の現物支給でもぜんぜんええし」
「えっと……ほんとに良いの? そんなんで?」
「こっちが頼んでるんやん。もちろん、しんどいと思ったら辞めさせてもらうし、そっちもこいつ使えへんって思ったら遠慮のう言うてくれたらええし」
「ディ〜ル!! 決まり! よろしくね、いっちゃん!」
「うん、こちらこそ。めっちゃおもろなってきたわ!」
 二人はパチンとハイタッチを交わす。
「あの子たちも仲良くやってけそうだし、なんだか一石四鳥くらいな感じよね」
 隣の居間で、小鳥みたいにちょこんと並んで、同じ絵本を仲良く読んでいる幼児二人の姿を見て、また伊都子は涙ぐんでしまう。美佳は愛情を込めて、伊都子をハグする。彼女が控え目につけている品の良い香水の匂いを感じて、好感を持つ。幼い頃に生き別れた姉に再会したような、不思議な懐かしさが胸の奥で弾けて、美佳の瞳もじんわりと熱くなる。

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