眩しすぎる光は、却って自分をぶっ刺しに来るよね

 高2の文化祭でのことを話そうか。
2日目のダンスステージを見たときのことだ。
私の高校のダンス部は、結構な功績を出していて、練習もそれはそれは厳しかったそうだ。
中でも評価の高いダンスを、文化祭で披露してくれた。爪の先までも身体の一部だと再確認させてくれるような、研ぎ澄まされた動きを見て、純粋に凄いと思った。
そこまでだったら、私も遠巻きに拍手をして、傍観的感情のままで終われたのだ。

どうやら、この日、3年生が他の部員と踊ることのできる最後のステージだったらしい。
1、2年生が泣きながら感謝の言葉を紡ぎ、
花束を震える手で渡した。
部員全員で抱き合って、観客に一斉に例をして、弾幕が降りる。

ステージの光が鋭すぎて、自分がひどく重い影になっていることに気づいてしまった。
私は、高校時代の思い出を、大人になって思い返すことは決してないだろう。
思い出したとしても、良い思い出ではないことは確かだ。

だが、彼らはどうだ。何年経っても、何十年経っても、今日のこのステージを思い出すんだろう。

周りの観客が、笑顔で、人によっては、涙を浮かべながらその一部始終を見守り、耳を圧迫するほどに、拍手の一部になった。

私は劈くような拍手の音と、眩しすぎる照明と、自分と乖離しすぎたその光景に耐えられなかった。


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