「ただ君に晴れ」を好きだって言いたい

客観視が邪魔になる事って、意外と多いなと思う。
例えばそう。
「ただ君に晴れ」を聴くときとか。
 
 私はヨルシカというバンドが大好きだ。
ライブにも行くほどに。
どの曲も自分好みだし、LINEのバックミュージックにも設定して、数ヶ月に一回、「次はどのヨルシカの曲を設定しようか」という密かな楽しみだって持っている。

そんな私が、好きだと言えない曲が一つあった。「ただ君に晴れ」だ。
理由は単純明快。私が逆張りめんど人間だからだ。
TikTokでこの曲にあわせ、ダンスをするあちら側の人間。
教室でいつもドアを塞いで話す、あちら側の人間。
人と目を合わせて話ができる、あちら側の人間。

そんな人間も、この曲を口遊む。
悔しかった。
なんでも持ってるように見える人間が、自分と同じものが好きだなんて、同じ事を感じているだなんて、認めたくない。

「〇〇ってヨルシカ好きだよね?『ただ君に晴れ』聴いたよ!めっちゃ良くない?」

「ヨルシカは好きだけど、あの曲はそんなにかな…」

なんでも持ってる人間が、好きだと言うなら私は嫌いだと言おう。
私は「持っていない」ことにしよう。
だって彼らが「それ」を持ってるんだから。

こんな意地で、あんなに素晴らしい曲を嫌いだと言い張ってたんだ。

今朝、この曲を聴いた。
この曲の知名度とか、どんな奴が聴いてるとか、アイデンティティがどうとか、そういう醜くて惨めな客観視を乗り越えた、好きだっていう最高峰の絶対的主観に目を逸らせなくなった。
世界に自分ひとりだけだったら、どんなに良かったか。

私、この曲が好きだよ。



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