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【母の介護について】…少しずつ。⑬

母が倒れ、家での介護をするようになり、それまで、しばらく母もしていなかった、お正月の門松飾りや、新年のお箸の箸袋に家族それぞれの名前を書くことを母にしてもらったりいたしました。

それまで、おせち料理は母が作ってもいましたが、病気になってからはそれはできなくなりましたので、頂き物や姉が作ってくる黒豆などを楽しむようになりました。

私は、自分が子どもの頃に母が作ってくれた、そぼろ丼や、甘めの卵焼き、煮魚などを作ってみたり、いちごがある時は、いちごをつぶして、ミルクを入れたいちごミルク。バナナでは、バナナを輪切りにして、ミルクとお砂糖をいれ、フォークと、半分から切ったストローを2本にして差し、食べてもらうようにしました。

「よく覚えているね?」と言いながら、母も喜んで食べてくれていました。

要介護になってから、母はこんなに可愛くて、面白い人だったのか?」と気がつきました。
母の在所へ車椅子の母を乗せて行ったとき、近くの家の前で「ここ、元カレの家」と言ったと言う事は以前書きました。

ベッドから動けなくても、父にいつも近くにいて欲しい母は、すぐに父を呼ぶ、「お父さん、お父さん!」
父が聞こえないふりをしていると、「右近さん、西川うこんさ〜ん!」と呼び、父は、笑いながら母の近くへ行く。と言う事もたびたびありました。

リハビリデイサービスで、いつもお花を持ってきて受けてくれているおじいさんがいるので、何かプレゼントを買ってあげようかなぁと母が、デパートに行った時に言いましたが、「お母さんが、個人的にその人に興味があると思われると困るでしょ?」と私が言い、「お父さんがいるのに、お母さんのファンになられても困るよね!」と言うと、「ほら、ほうだ」ととっても素直な面もありました。

母の気分の良い時は、時々、トイレ介助の時などに、
「八重子さん!今日は、初めて担当させていただきます。西川陽子です!よろしくお願いします。今日は、お歌を歌いましょうか?〜若っかく明るい歌声に〜、なだれも消える、は〜なも咲く〜!」と歌いながら介助をして、母を笑わせていることも多くありました。

大変なことではある介護生活!
でも、とにかく楽しく、母を笑わせちゃおう!と言う気持ちで、父も私も毎日母に接していました。

西川陽子

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