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[小説] 行ってきます

 「行ってきます」
 誰も返事をしない。ドアを閉めて鍵をかける。家の前の道路に立ってもう一度「行ってきます!」と叫ぶ。
 屋根の上で寝転んでいるお母さんは寝返りを打ち、石壁の上で布団のように体を折り曲げているお父さんは風に揺られている。最近、二人ともずっとこの調子。段々とこの状況も見慣れてきたところだけどやっぱり寂しかった。
 「…行ってきます」独り言のように呟いててくてくと歩いていく。
 一つ角を曲がる。見慣れた住宅街がそこにあって手前から三本目の電柱の側でお婆ちゃんがブランコを電線に引っ掛けてアハハハハと笑いながら漕いでいた。「学校に行ってくるね」と目を合わせて言おうとしたがお婆ちゃんは全く目を合わせてくれなかった。学校へ歩いて行った。
 公園を横切った。公園の砂場でおじいちゃんがうずくまっていた。おじいちゃんは一生懸命手で砂を掘って、できた穴に向かって髪のフケを落としていた。砂のついた手で髪を触るもんだから土が絡まって、何度髪を叩こうとハラハラとゴミが落ちてきた。おじいちゃんには何も言わずに通り過ぎた。
 みんな狂ってしまった。原因は分かっていた。それは僕があまりにもできない子だからだ。幼稚園の時にお受験させられて、そこから小学校も中学校も私立に行かせてもらった。放課後はピアノ、塾、水泳にサッカーと習いごとをいっぱいさせてもらった。欲しいものは何でも買ってもらったしずっとよくしてもらった。
 ある日からぼくは学校に行かなくなった。なぜかってつまらないから。今まで自分がしてもらっととに盲目になれるほど、自分は自分勝手だった。親のことなんて考えていなかった。
 家族はそんな親不孝の僕を見て気を狂わせてしまった。
 ある日朝起きるとリビングの机の上に1000円札が一枚置かれてあって家族は誰も僕と話そうとしなかった。家族は家事も仕事も辞めてみんな重い思いの行動に走った。
 今日はようやく学校に行こうと思ってたのに。
 なんだか嫌になっちゃった。
 僕は走り出した。町中の選挙ポスターをビリビリと破いてかき集めた。
 汗でシャツがぐっしょり濡れた。両手一杯にポスターを抱えた後、僕はそれをテープで繋げて大きな一枚にした。
 道端にリュックを下ろし紙を半分に折った。もう一回。もう一回。一心不乱に降り続けた。どんなに紙が小さくなろうと必死に降り続けた。
 32回目。辺りは真っ暗になっていた。
 見上げるとそこには一つの月があった。
 せーのでジャンプして月に飛び移った。
 そこは更地で何にもなくて。 
 僕はなんとなく歩き始めた。
 学校とか見つけたら地球に帰ろうと思った。

 


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