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7回目の投稿 お遍路さんとおばあちゃんのお話

9月というのに、なんという暑さ。
月一回、バスツアーでの88ヶ所お参り、今年は逆打ちの年、88番から回り始めて、今回で46番所まで終えました。

お遍路さん、同居していた母方の亡き祖母が、2周結願しました。地域の老人会での参加、宿坊でお世話になったとか。

参加し始めて、ようやく要領もわかってきて、心の余裕もできてきました。
山の中にあるお寺、何百段も登らないと辿り着けないお寺、街中にあるお寺、本堂とお大師さん、2ヶ所に蝋燭、お線香を供え、お経を唱えます。
「数十年前、ここにおばあちゃんも来たのだなぁ。何を思い、願い、歩いていたのかな。」毎回、その思いが湧いてきます。きっとおばあちゃんと共に、お遍路さんさせてもらってるのかもしれません。

阪神大震災で、私達親子をある意味、助けてくれ、身代わりとなってくれた祖母。
2ヶ月近く名古屋の叔母のところに滞在、あの日の前々日に、帰ってきたのです。それというのも、母が骨折し、パーキンソン病を患っていた祖母のお世話が、幼子2人抱えた私に降りかかり、もちろんお店の母の代わりもしなければならず…
そこに、助っ人叔母夫婦登場!急遽、名古屋へ行った祖母。

母も完治し、連休に帰る予定でした。でも、あの頃、名神は雪で通行止め、大渋滞だったので、次の週に変更しようとしていたらしいのですが、帰る支度をして、お玄関で待っていたらしく…その姿を見ると、別ルートを探してでも、連れて帰ってやろうと、伯父が決心したようです。のちのち、伯父は、送ったことをとても後悔していました…名古屋を出た時から、もう祖母の命は半分、あの世へと足を踏み入れていたのかもしれません。

曽孫達をとても可愛がっていた祖母、早く会ってお年玉をあげたかったんだろうなぁ。

私達一家は近くに住んでいましたが、母の骨折で、私と子供たちは実家に泊まり込みの2ヶ月余り。主人には迷惑かけてしまってました。
あの日、まだ泊まる予定をしていたけれど、祖母が「帰りなさい。パパ(主人)ひとりぼっちやのに、今日は帰りなさい!」と頑なまでに、何度も帰れと連呼した祖母…

「じゃあまた明日、ゆっくりとね!」
「帰り!年玉ー!明日でええか?」
「明日ね!おやすみ」
「ほな明日な!おやすみ!はよ帰ったり!」

これが祖母との最後の会話。

その翌日、あの大震災に見舞われたのです。

震災の事は、風化してはいけないと思います。なので、少しずつ、記憶を辿りながら、次の投稿に記したいと思います。

拙い文章よんでくださり、ありがとうございました!

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