第2回『待ちぼうけの幼稚園児…迎えに来ない母』
こんにちは。大阪男塾の塾長です。
今日から僕の過去のエピソードを書いていきます。
大阪で活動している僕ですが、生まれは長崎。
ちなみに今でこそ186cmという、速水もこみちサイズの僕ですが、3月生まれなので昔はそんなにデカくなかったです。
さて今日は、幼稚園時代のエピソードを書きます。
幼稚園といえば親の送り迎えがあるものです。
うちは母親が送迎担当だったんすけど、本当に迎えに来ないんです。たまに遅刻するとかじゃなく、来ないことの方が圧倒的に多く、来たとしても大幅な遅刻…。
遅れてくる理由は今でもわかってないんすけど、毎度毎度、大胆に遅れやがるので、僕はいつも幼稚園でひとりで待ちぼうけ。
他の園児の親は時間通りに迎えに来るので、先生にサヨナラしてすぐ帰っていくんですが、待てど暮らせどうちの親は来ないんすよ。
「ほんま、何しとんねん!」ですが、どうあがいても来ないものは来ない。これもう、しかたないんす。
園児がひとりだけ残されている姿を思い浮かべると、なんか寂しい感じですよね。
正直、そのときの僕は、寂しさを感じていなかったんす。ただただ「おせーなあ」「はよ来い」という感じ。
でも悪いことばっかりではなかったんです。
親を待っている間、幼稚園の遊具を独占して、最後まで遊べるんで、それは嬉しかったですね。
あとこの頃の経験によって、誰かに遅刻をされたとき「自分の時間ができて嬉しい!」と思える変なメンタルが培われ、それが今でも活きてるっすね。
そしてついに僕は、ある行動を起こすようになりました。
幼稚園が終わり、時間になると先生に「ひとりで帰る」と宣言し、ひとりスタスタ家まで帰るようになったんです。
あまりにも待たされ過ぎた結果、「うちの母親は、時間通り来ない生き物」と学習したんですね。
帰り道ひとりっきりならではのスリルを味わったり、毎回色んな道を通って帰るんで、見る景色の違いが楽しかったっす!
こうして振り返ると「人は変えられない」「変わるのは自分」「具体的な行動を起こすのが大事」というスタンスは、幼稚園時代からまるで変わってないんすね。
よく大阪男塾のツッコミ担当の幸太郎から「塾長は、約束の時間に毎回数分遅れてくる。改めてほしい」と注意されます。
これはほんとにその通りで、幸太郎の主張が正しいんすけど、今思えば、僕の遅刻癖は母親譲りかもしれないっすね。
毎回、お迎えに遅れて来る母親を見て「人は遅刻して当たり前!」と、誤学習した可能性が高いです。
って人のせいにしてる場合じゃないっすね笑
というわけで今回は、幼稚園時代を振り返りました!
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