第57回『水商売と無縁で「ハイパー人間嫌い」だった僕がホストクラブで感じた人情』

うぃす! 大阪男塾の塾長です。

早いもので、水商売の世界に入って約20年。

ほんまに、あっという間でしたね。

何度もnoteで書いてるっすけど、僕がホストクラブで働こうと思った動機は「NSCの学費を溜めるため」でした。

NSC24期生として、お笑い芸人を目指したまではよかったんすけど「俺はお笑いを知らなすぎる」と痛感し「このままじゃ絶対に、プロで通用せえへん」と早々に、一旦お笑い活動をやめました。

2003年の11月にホストとして働き始めた僕は、当時の新人記録を塗り替えるなど『マリオカート』のスタートダッシュのようにビュイーンと幸先いい発進ができたんすね。

最初の方は「起きている間は、ひたすら仕事」って感じで、全力でホスト業務に没頭したこともあり、当時の新人記録を次々に塗り替えることができたんです。

それもあって実は最初の2ヵ月のお給料で、すでにNSCの学費を払えるようになってました。

「目標金額を貯められたので、ホストをやめてお笑いに戻ろう」と思い、お店のトップの人に「辞めさせてください」と伝えたものの「あかん!」の一点張り。
なんなら「幹部になってほしい」とさえ言われました。

多くのホストを見てきたオーナーからすると、僕はかなりホスト適性がある人材だったそうです。それもあって「将来の稼ぎ頭のこいつを、手離すわけにはいかん」ってなってたんでしょうね。

思えばここが、人生の岐路でした。

過去のnoteから読んでくれている人は、すでにご存じかもしれないっすけど、僕は昔っからかなりの人嫌いだったんすよ。

長崎にいた頃は、偏差値の高い高校にちょっとだけ通ってましたけど、まあぷっぷちゃんだらけで、ほんま面白くなかったっすね。「頭いいってされている人間が、この程度の思考力と哲学しかないんかい」と失望してたんです。

釣りに誘ってくれたサッカー部の先生だけには心を開いてましたが、基本的にかなりシャットアウトした状態で10代を過ごしました。

人間に絶望しかけたタイミングでホストになったもんすから、そりゃあ最初は先輩や同僚ともギクシャクするっすよね。

当時を振り返ると、相当トガってて扱いづらい野郎だったでしょう。

特に水商売の世界へ大きな期待をすることもなく、元カノが繰り返し口にした「ホストに向いている」って言葉を信じてホストデビュー。働いてみると「意外と優しい人が多いやん」というのがわかりました。

ホスト2ヶ月目、2003年の12月に「もうちょっとで、売上100万を達成できそう」っていうとき、特にそれを実感したっすね。

僕が「新人で100万円を達成できそう」という事情を知った先輩や同僚は「たくま、今日は店の方は俺らに任せて、キャッチして自分のお客さん探して来いよ」と快く送り出してくれたんです。

店には、僕のお客さんが何人かいたのにです。

ホストは、我の強い個人事業主の集まり。まあ言ってみれば、同じ店で働くキャストは全員ライバル。本来なら自分の利益を最優先しても、全然おかしくないんすよ。
にもかかわらず「お前が100万円達成できるように、俺らも協力するわ」と言ってくれたのは、マジで嬉しかったっすね。

もちろん店にいたお客さんらも、快く外に送り出してくれました。

僕は付き合いが長くなるにつれて、100発100中で「サイコパスやね」って言われるんすけど、若い時期に人の温かみを教えてもらえたのは、デカかったっすね。

あのまま人間嫌としてズンズン突き進んでいたら、かなりヤバイ奴になっていたかもしれないです。

僕はホストを辞めたあと、ホストクラブのオーナーとなり、30代後半で再びお笑い芸人として活動し始めました。
「もしあのとき、あの若さでホストを辞めて、NSCに入り直してたら、どうなってたんやろ?」と思わなくもないんすよ。

でもホストとしてキャリアを積むうちに、いろいろな出会いもありましたし、人として成長できたんで全然悔いはないっすね。

まあお笑い芸人としては、まだ全然結果を出せてないので、お世話になった人に恩返しする意味でも、もっと頑張らんとあかんてと思ってます!!

最後まで読んでもらって、あざしたぁ!!

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