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ぞうの話

群盲象を評す、ということわざがあります。Wikipediaで検索すると、

この話には数人の盲人(または暗闇の中の男達)が登場する。盲人達は、それぞれゾウの鼻や牙など別々の一部分だけを触り、その感想について語り合う。しかし触った部位により感想が異なり、それぞれが自分が正しいと主張して対立が深まる。しかし何らかの理由でそれが同じ物の別の部分であると気づき、対立が解消する、というもの。

と、なっておりました。
私、結婚以来この話を肝に銘じるようにしています。

子どもを産む前、私はスーパーで買い物をしているお母さんたちを見て、どうしてど真ん中をカートで行くんだろう。脇によればいいのに、自分のことしか考えられないのか、と憤っていました。
ベビーカーを広げたまま電車に乗る人や、荷物をベビーカーに乗せて大変そうにしている人にも思ってました。
子ども育てるのにお金がないっていう人とか、親の手を借りるなんて無責任!とも思っておりました。なまじ自分が子どもの頃からヤングケアラーに近かったので、それをかわいそうだったとは思わず、子どもの私にできることは大人にもできるはず、できないなんて怠慢だ!と思っていたわけです。

土下座したい。

なんならスライディングで。
カート脇に寄せると子どもが手を出して棚からものを落としたり万引き(親が気づかないまま握りしめて店内から出ちゃう)することがあるなんて知らなかった。抱っこしたままベビーカーたたんで、それもって電車乗るのはバランス的にも大変なんて思わなかった。ベビーカーから抜け出す幼児がいることも想像しなかったし、ベビーカーはたたんでたり空っぽよりも荷物を載せる方が動きやすいって知らなかった。
子どもの人数が何人でも親にとってはその人数の子育てに対応するのが初めてで、誰かに助けてもらわないとにっちもさっちもいかなくなることもしりませんでした。そこで無理すると血尿でることも(出た!)。

そもそも我が家は今でこそ子だくさんですが、最初はなかなかうまくいかず世間的に見てかなり若くして不妊治療しています。人より知識はあったけど、知るとやるとは大違いだったし、それは妊娠も出産もそうでした。不妊治療を経た人によく「一人でもいるだけいいでしょ」とか言われるけど、私の場合は一人生んだことで、こんなにかわいいならもう一人どうしても欲しいと思いました。愛情を分散させないと一人目がおぼれるんじゃないかという気持ちもありました。
そうして二人産んでみると一人目の子と違ってとても手がかかって、慣れてる分かわいいと思う気持ちと、いうこと聞いてくれないことにイライラする気持ちでなるほど、このまま追いつめられると手を出したり死んだりするんだなと理解できる程度には産後うつも通りました。それもこれも経験しないとわからなかったことです。

今育児をしていて、子連れが子どもに縁のない人にとってどれだけ迷惑に感じるか、あなたお母さんでしょって押し付けが相手を追いつめること、そういうのを忘れないようにしたいと思います。本当はいろんな人が自分が好きな人数を産んで、楽しく子育て出来たらいいのになと思う。
何か言う人は絶対何か言うんだけど、それに傷つかずに済むくらい言われた人が幸せならいいのにな、と思います。
育児に限らず、介護でも仕事でも受験でもなんでも、その人のつらい気持ちをそのまま聞き入れたり、一緒に考えられたらいいのになと思います。

まとまりないけど。土下座の代わりに土下寝している子らに挟まれて体バッキバキになりながら寝ます。おやすみなさい。

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