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僕の人生

この記事を見てくれてありがとうございます。
きさっちと言います。よろしくおねがいします。

まず、僕の名前に触れたいと思いますが、ずっと前にガラケー時代のケータイゲームで「きさ」と名付けたのが始まりです。そして今もスマホのゲームには「きさ」と名付けているし、SNSの名前も「きさ」にしていました。

とあるSNSのライブで配信者に通っていたのですが、私へ言う名前は「きさ」と呼ばれるではなく、「きさっち」と呼ばれていたのでした。
配信者が勝手に呼び名をを変えてたんですね。
しかしながらそれが妙に新鮮な感じがしまして、「きさっち」と名付けるようになったのがはじまりで今に至ります。

でも、どうやら見づらさがあるようでして。

僕はよくSNSのライブをサーフィンするかの如く観に行って私が配信者へコメントをすると、
配信者のほとんどが「さきっちさん」と言ってくるんです。
たぶん半数以上はそう呼ばれます。
僕にとっては少し残念な気分になりますが、違うとコメントして訂正してもらってもしょうがないし、もう慣れたということもありあえてスルーしてます。

「き」と「さ」が並ぶとわかりづらくなるのでしょうか。
どうやら間違えやすい名前みたいなので、今日この記事を読んでる方は「きさっち」と覚えてくれるとありがたいです。

ここからは、僕の人生について書いていきたいと思います。

僕はもう40代のおじさんと言われる世代です。
日本人男性の平均寿命の半分を越えたのだと思うとちょっと寂しい気持ちになります。
気持ちはもっと若くいるつもりなんですが、どうも体の衰えには逆らえないみたいですね。
白髪も結構生えてきています。

生まれてから40代のおじさんになるまで、自分のことを振り返ってみると、「苦しい」の一言です。
もちろん、嬉しかったことや楽しかったこともあるんですが、それをかなり上回るくらい辛く苦しい思い出ばかりが結構あります。

たぶん同年代の男性と比較しても、僕より苦労してる人は間違いなく少ないのではないだろうか。
そう思っています。

人間は、良い所よりも悪い所のほうが目に入りやすくできていて、そして悪い出来事は記憶に残りやすいそうです。
だからというのもあると思いますがとにかく苦しい人生です。

僕はごく普通に長男として生まれてきました。
父は国家公務員で母も元国家公務員。 
いわゆる職場結婚というやつです。

だから決して貧乏ではなく、どちらかというと普通よりか少し上のまずまず裕福な家庭だと思います。

子供の頃は、そんな裕福だとか貧乏だとかの概念というか評価というかそんなもの考えもしないで生きていましたから、大人になって考えてみるとまぁいい生活をしていたんだなと感じています。

家はたしか僕が3歳の時に一軒家に住み始めましたし、友達は一軒家の人もいれば県営住宅の人もたくさんいたので、比較をするならば貧しい生活ではなかったんだと実感しています。

小学生の時には当時大人気だったファミコンを買ってもらったり、ゲームボーイを買ってもらったりと、今考えればなんて幸せな小学生なんだろうと。

もしかしたら生活に苦しいながらも買ってくれたのか、それともまぁ余裕があったから買ってくれたのかはわかりませわんが、子供の頃は親の苦労なんてわからなかったし、私が大人になって振り返ってやっとわかる。
これは僕だけではないと思います。

大人になってわかりましたが、この頃はバブル全盛期でお金に困る人は少なかったんじゃないかと思います。

もちろん困っている人も一定数いたかもしれませんが、今の世の中と比較してみれば断然少なかったんじゃないかなと思います。

そんなまぁ僕にとっては裕福な生活の中にも、その頃から苦労がありました。まだ小学生なのに苦労だなんてと思うかもしれませんが、今考えてみたら周りの友達やクラスメイトにはいなかったんですよね。
同じ境遇の人が。
この時点で苦しい事なんだなと思うわけです。

僕の人生は苦しさの連続です。

小学生の頃から40代のおじさんになるまで、苦労しっぱなしなんです。

ここで、苦労を辞書で見てみるとこんな事がかいてあります。

苦労とは
仕事、生活、心配ごとなどのために肉体や精神を使って、疲れたり、苦しい思いをしたりすること
。 また、そのさま。 心配やほねおり。

だそうです。
上記の意味から感じたことは、人によってその出来事が苦労といえるのかいえないのかはあるかもしれませんが、少なからず生活に弊害があったりする時点で苦労なのかなとも思ったりします。

こんな事を思ったりもします。

レールの上を走る列車。
駅から駅への一本道。
何事もなく進んでいけば
何の問題もない。
しかし
何かの理由で
一本道を踏み外すことは
一大事なことである。

まさしく、僕の人生は一本道のレールからはみ出したのか、停まったのか、転げ落ちたのか、とにかく僕にとっては一大事な。
そんな感じの人生であるのです。

こんな事を人に話したところで、共感を得ようとか、同情を得ようとか、そんな事は思ってはいません。

僕の人生をこうして書き留めることで、自分の人生を振り返えるとともに、僕の人生が他人から見たらどうなんだろうか。

ただそれだけなんです。

僕は

今も苦しさから解放されてはいません。

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