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今年もこうして二人でクリスマスを祝う

クリスマスイブにひとり、KANさんのバラード「今年もこうして二人でクリスマスを祝う」を聴いている。

亡くなった直後から追悼とともに一気に再評価が進んだ感があるKANさん。長年聴き続けた身としては少々複雑なところもあるけれど、それでも皆が改めてKANさんの残した音楽に触れ、心を寄せていることはとても嬉しい。

KANさんのクリスマスソングといえばやはり真っ先に「KANのChristmas Song」があげられるけど(そしてもちろんそっちも大好きだけど)、僕はこの静かなバラードがとても好きだ。訃報を聴いたときから今年のクリスマスには必ずこれを聴こうと決めていた。

イブの夜、いざ曲をかけてみるとさまざまな思いが込み上げてきてとまらなくなってしまった。いなくなってしまったKANさんのこと、自分自身の苦しかったこの一年のこと、色々と思い返しているうちに何か書きたくなったので、こうしてNoteを綴っている。この気持ちを来年の今日、また思い出せるように。


今年も一年、あっという間に過ぎ去って、今夜は再びクリスマスイブ。

昨年の暮れ、要介護5になった母。2010年の暮れから始まった介護生活も早いもので13年。状況は緩やかに、しかし確実に悪化していき、精神的にまたかなりしんどい一年だった。

去年の時点で母はもう寝たきりに近かったので、身体的にはほぼほぼ足踏み状態。ただ、見当識障害というのだろうか、時間や今の状況がわからないことがますます増え、昼だろうが夜中だろうがとにかく四六時中携帯で呼び出されるので私はまともに眠れず、落ち着いて外出もできない(父は健在だがいても何もしないしいつも好き勝手に出かけて帰ってこないので、結果24時間365日ワンオペ介護)。

また、短期記憶がますます衰えてしまい、新しいことや予定などがおぼえられず、何か気になることがあると一日に何十回、ひどいと数週間に渡り毎日毎日同じことを何百回も聞かれ続けるなど、これがまた地味にきつかった。

どう考えても認知症だろ、と思いきや実はまだ診断はついていない。母の状況的に病院に検査に連れて行くとなると相当に大掛かりになるのだが本人が嫌がっており、無理やりつれていくわけにもいかず。先日の往診の際、先生に認知症診断用のテストをしていただいたが、一昨年に続き今回もまさかの「正常範囲(の下のほう)」・・。

(わりと介護あるあるだと思うんですが、介護度判定とか認知症テストとか、重要な時に限ってなぜか親が妙にシャキッとするんだよね・・あれ介護者はまいるよね・・。)

先生に状況を説明し、お願いして幸い薬を出していただけることにはなったが、効いたとしても進行を緩やかにする薬であって治せるわけではない。それでも何もせず手をこまねいているわけにもいかず。

決して本人が悪いわけではないので、毎日できるだけやさしく対応するようにはしているが、寝不足続きや体調不良などこちらに余裕がないとなかなかそうもいかず、ぶつかることもしばしば。時にずいぶん悲しい思いもさせたけれど。・・クリスマスくらいはやっぱり、何があっても優しくしてあげたいし、季節を感じさせてあげたい。

そう思って今年もローソンで昼間のうちに買っておいたケーキ。去年は出す直前でまさかのキャンドルがついてないことに気がついてなんだかとても悲しい気持ちになったけれど、今年はちゃんと事前に100均でキャンドル買ってあるんだ。

すぐ出せるようあらかじめキャンドルはたてておこう。調子悪そうだから、ケーキ食べれるよう夕飯の量は少し減らして、食が進まなくなったら夕飯は素早く片付けて、さっと出せるように準備して・・。

ここ最近、口腔内の状態が悪く、唾液に血が混じっていて、食欲も落ちている母。もともと脳梗塞の後遺症で麻痺があり、さらに嚥下機能の低下も進んで自然に唾液を飲み込めず、いつもティッシュが手放せない。そこに血が混じってとても気持ちが悪い様子。歯科の往診の予約はとれたが来週半ば。こまめに口を洗ってすすいであげるくらいしかできない。案の定、今日は昼も夜も食の進みが悪く、ひどく元気がない。出した夕食もあまり減らないまま母が「ごちそうさま」と。

それでもせっかく用意したし・・去年あんなによろこんでくれたから。食器を下げると急いでキャンドルに火をつけ、部屋の電気を消して、ゆっくりとケーキを持っていく。するとさっきまで暗かった母の顔がぱぁっと明るく・・


明るく・・・



ならない・・・😢


「ごめん・・食べられない・・」

・・・そうかそうか、仕方ないね。「じゃあふーってして消そうか。気分だけでもクリスマス。ね。」

ふー・・ふー・・頼りない息で一生懸命ロウソクを吹き消す母。

少しでもと一応すすめてはみたものの、残念だけど一口も食べてはくれなかった。

「お口洗ってもう部屋に連れてって・・ごめんね。」いやいやいや、いいんだよ、喜んで欲しくて俺が勝手にやっただけだから。無理かもなと思ったけど出したんだから。いいんだよ別に。・・・ただただ喜ばせたかっただけなのに・・悲しませてどうする・・。

なんとも言えない寂しさをこらえゆっくりと歯を磨き、トイレに連れてく。横に付き添っていると「ぽちゃん」と水音。・・あれ?? もしかして・・

・・出た??

これはびっくり。最近自力で排便できることがだいぶ減ったので、訪問看護(週2回)のたび、ほぼ毎回浣腸&摘便をしていただいているのだが。ちっちゃいけれど久々に自力で排便できた。・・最近はこんなことですらたまらなく嬉しい(シモのはなしでごめんなさいね)。

「よかったねぇ、ちっちゃいけどこれクリスマスプレゼントだね😅」お尻を拭いてあげつつ、沈む気持ちを吹き飛ばそうと努めて明るく軽口をたたくとようやく母も少しだけ笑ってくれた。

ベッドに寝かせると、すぐにしんどそうに目をつむる母。

寝る前の準備を一通り整え声をかける。「じゃあ、とっておくからさ、明日昼にでも食べれたら一緒に食べようね」

ゆっくり目をあけると母が訝しげに問う。

「・・・なんだっけ」

・・・

そうかそうか、忘れちゃうんだね。そうだよね。・・ごめんね。

「ケーキだよ。クリスマスケーキ。今夜はクリスマスだよ。さっきは食べられなかったけどちゃんととってあるからね。お口がだいじょうぶだったら一緒に食べようね。あったかくしてもう寝よう。おやすみ、メリークリスマス☺️」

かすかにうなづくと再びゆっくり目を閉じる母。寒くないようしっかり布団を整えなおすと電気を消して部屋を出る。窓の外は雪。

自室に戻りひとりきり、クリスマスソングをかける。

曲は先日亡くなった大好きなKANさんの「今年もこうして二人でクリスマスを祝う」。今夜聴こうと思って、訃報から敢えて聴かずにいたこの曲を聴いていると、涙とともに何かが溢れてきたのでたまらず今こうしてこれを書いている。

"ぼくのそばで白く 聖なる夜に深く 少しつかれた君がねむりはじめる
今年もこうして二人で神様に祈る いつまでもいつまでも 一緒にいられますように"

KAN「今年もこうして二人でクリスマスを祝う」より

今年は本当に悲しい別れが多すぎた。なかでもKANさんのことはショックが大きすぎていまだに受け止めきれていない。けれど、星が流れて夜空から消えてしまっても、うたは残り、今こうしてくじけそうなこころに寄り添ってくれている。これからもずっとずっと、共にある。

"夜空に流星を 見つけるたびに 願いを託し 僕らはやってきた
どんなに困難で くじけそうでも 信じることさ 必ず最後に愛は勝つ"

KAN「愛は勝つ」より

何もできなくても、少しずつ記憶が手のひらから溢れていっても、まだこうして一緒にいられる。それだけで充分。願わくば来年もこうして一緒にクリスマスを祝いたい。あと一年、もう一年、そうして少しずつ、一歩ずつ。

みなさんがだいじなひととほんの少しでも長く、共にいれますように。メリークリスマス✨🎅🎄

追記 : アップから半日ほどタイトルが「今年もこうしてクリスマスを祝う」になってました😭 大好きな曲なのにここでタイトル間違えてどうする・・。お恥ずかしい。正しくは「今年もこうして二人でクリスマスを祝う」です。修正しました🙇‍♂️

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