スロヴェニアの森にて
少なくとも年に一度はヴェネツィアの空気を吸わないと、
自分らしさが保てないような気がしていた。
大切なものに気づいてかみしめる、自分の軸みたいなものを確認する、
私にとってヴェネツィアはそういう特別な場所だ。
2007年の冬、久しぶりに過ごした北イタリアのナターレは
いささか後遺症をもたらすほど濃い日々だった。
クリスマスの大切な思い出シリーズ、その3は、
国境を越えてスロヴェニアの銀世界でスプマンテとパネトーネの
ピクニックをした、素晴らしい1日。
スロヴェニアの森にて 2007年 12月
まぶしいほどの晴天に恵まれた12月のある日。
この日は友人のキアラとその姉のジェンニ一家と一緒に、車2台の総勢10人
(と子犬1匹)でハイキングに出かけた。
けっこうな山道もあるらしく、皆しっかりアウトドアな装備だ。
まずはNATIZONE渓谷沿いに車を停め、近くの小山の中腹を目指す。
例によって案内役のキアラによればイタリア、スロヴェニア、オーストリアの3国が境界を接する重要な場所なのだそうだ。
山の空気は冴えわたり、山肌を流れる伏流水がところどころ凍っているが、30分も山道を登っていくと、マフラーやダウンコートの重装備では汗ばんでくるくらいだった。
ようやく辿り着いた展望ポイントには、自然農法の酪農家があった。
残念ながら、この日はナターレの休暇に入っていたが、普段は新鮮な牛乳やチーズ、卵や鶏肉、それに兎肉の直売をしているという。
雪を冠したアルプスをバックにした農場に鶏が走り回っているのは、のどかというより、唖然とするほどの絶景である。昨夜訪れたトラットリアの滋味溢れる豊かな食卓も、この目の前に広がる自然の恵みの先にしっかりと
繋がっているのだと実感した。
山を下りたら、いよいよスロヴェニア入りである。数年前に来た時は、国境にはまだものものしい警備やパスポートコントロールがあったが、今回は(ほんの数日前に)EUになったばかりで、もちろんフリーパス。
道路脇に何気なく真新しいブルーのEUマークのサインがあるだけだ。
国境なんて地図上の概念なのだから、越えたところで違いなどないはずと
思っていたが、やはりスロヴェニアに入った途端にぐっと空気の密度が
変わり、どこか素朴で鄙びた気配が漂っていた。
おまけにあれほど晴れていた空にも、鈍く輝く銀灰色の雲が広がりはじめて
いる。今にも雪が落ちてきそうな空模様の下、森の入り口に車を停めて
川べりに向かう。
途中抜けていく森の木々は皆すっかり凍りついた氷細工になり、まるで
クリスマスカードの世界に入り込んでしまったようだ。
実は、あの映画「ナルニア国物語」のシリーズもこの森でのロケによる実写映像なのだ。あたりまえだが、まったくナルニア国そのままの世界。
河原の石もひとつひとつ白いビロード状の霜に覆われて、ふんわりした白いマリモみたいになっている。
スロヴェニアの森は、まるで時を止めたようにしんと静まり返っていたが、どこか遠くの方でカランコロンというのどかな音がして、やがて彼らの姿が見えてきたのだった。
それは簡素な木の柵に囲まれた牧場に飼われている、たくさんの山羊たち。白いのや、黒っぽいの、茶色いの、はたまた斑のや、いろいろな毛色の山羊が混ざっている。我がちに近寄ってきて、ひとなつこく顔を出すが、
何も食べ物を貰えないことが分かると不満気になるでもなく、また同じようにおとなしく散らばっていった。
何だかおとぎ話の中のように、山羊たちと自然に言葉を交わしたみたいな
感じ。その後ろ姿を見送りながら、いいようのないほど平和な気持ちに
満たされたのは私だけではなかったと思う。
この後、同じく様々な毛色のインテルナツォナーレな我々一行は、
持ってきたスプマンテとパネトーネでBUON NATALEの乾杯をし、
この氷の銀世界で世にも贅沢なピクニックをしたのだった。
デザイナー、美術家、料理家。イタリアはヴェネツィアに通い、東京においても小さなエネルギーで豊かに暮らす都市型スローライフ「ヴェネツィア的生活」を実践しています。ヴェネツィアのマンマから学んだ家庭料理と暮らしの極意を伝えます。