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ヴェネツィア名物エル・サオール    ①おしゃべりがご馳走

誰もが夢見るヴェネツィア暮らし。
それは、私たちがちょっと忘れかけている濃いつきあいのコミュニティーに身を置く暮らしです。イタリア人の中でも飛びぬけておしゃべりな
ヴェネツィア人、常に最大級のコミュニケーション力を要します。

#チャーオで始まるヴェネツィアの1日

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*アパートの中庭コルテ
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*夕暮れ時のフォンダメンタ
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パリから夜行列車に乗って、朝のヴェネツィア、サンタ・ルチア駅に着く。
ここから目指す家まで荷物を曳きながら歩いていくのが常でした。
近所のバルビエレ(床屋)の前を通りかかると、目ざとく私たちを見つけた店の主人が、「チャーオ、またあの家にやって来たのか」とさっそく挨拶に飛び出してきます。
家に着いて、このことをマンマに話したら「あの床屋に見つかったら、もう皆に伝わってるね」あのおしゃべりめ、と言いたげ。
床屋がおしゃべりなのは、どうやらいずこも同じようです。
でも床屋をどうこういう前に、ここではすべてが筒抜けです。なにしろ
マンマを筆頭に近所のおばさんたちときたら、中庭に開いた窓越しに大声でチャーオ!と始まって、延々とおしゃべりが続くのです。
私たちの滞在中は格好の話題を提供しているので、あの子たち(マンマに
かかれば私たちはバンビーニ、子供たち!)がいつ来たとか、お土産は何々で、今日はどこへ行き、果ては何をいくらで買ったとかすっかり報告してしまいます。
次に誰かと道端で会えば、相手はこちらのことは先刻承知という具合。
家にも誰彼となくやって来ては、ついでの買い物の精算、さっき作ってみたマリネをちょっとお味見、お裾分けなどなど、昔ながらのご近所づきあい
そのもの。そのたびにまた強力にしゃべりまくるので、結局は一日中しゃべりっぱなしというわけです。

#おしゃべりがご馳走

*お喋りにスプリッツSpritzは欠かせない
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みんなで食卓を囲み、おいしいものを食べることこそ人生最良の時。
そしてヴェネツィアの人たちにとって、料理はもちろんおしゃべりも
何よりのご馳走なのです。

ある週末の夜、マンマの甥たち夫婦や私たちを含めて大勢で夕食。
わいわいがやがや、アペリティーヴォの時点ですでに相当騒がしい。
よくイタリア人と宗教、政治の論議=ディスコルソをしてはならないと
いいますが、ヴェネツィアではこれにお金の話も禁句として加わります。
しかし、このときは見事にこの三つのタブーをクリア、特に年金の話で激論が繰り広げられました。要するにこれらの話が大好きなのです。
折しもイタリア総選挙直前で、ヴィーノの瓶が次々と空になるにつれヒートアップ、口角泡をとばす勢いに皆の血管が切れるのではとヒヤヒヤですが、実はこれがなごやかに会話を楽しんでいる状態なのです。
初めて聞いたら喧嘩しているのかと思うくらい。

たしかに皆自分の意見を主張するのに夢中で、一種闘いの様相を呈します。
そうそうその通りと誰かに同調することはめったになく、
いやいやそうじゃない、私に言わせればと話に割りこんできます。
しかもいっぺんにしゃべりだすので論点はすぐ混沌となってしまいます。
大量のおしゃべりと同時に、料理もちゃんと平らげていきます。
食べたり飲んだりするのと同じ口でしゃべり続けるのも、長年のうちに
身についた技術のひとつなのだと感心するばかり。

ただし、この場で黙っていても何もいいことはありません。
無口でいいという価値観など通用しない世界。それどころか意見を発しない人間は、「何を考えているのかわからない」と警戒されてしまうこともあるのです。おしゃべりは自己表現、話し上手は尊敬されます。
テンションの目盛りをMAXにして、はっきり自分の考えを言い、ひとつや
ふたつ面白いことを言って皆を笑わせるくらいでなければなりません。

ディスコルソとバルゼレッタ

ディスコルソを盛り上げるため、イタリアには小噺=バルゼレッタという、強力なコミュニケーションツールがあります。つまりは、ひねりの効いた
笑い話なのですが、他愛もないダジャレから、政治や権力を皮肉ったかなり辛辣なもの、毒を含んだ人生訓や、きわどい艶笑話もあります。
この小噺のネタをどれだけ持っているか、気のきいたタイミングでぶつけるかが会話の技の見せどころ。
激しい口論になりかかっても、誰かがバルゼレッタをはさめば大爆笑と
なり、後腐れなく場は和みます。
バールの店主にバルゼレッタの名手が多いのも納得です。

*ジーナの家で料理を手伝いながらお喋り(2012年5月)画像5

*誰かの家に集まれば、そこはディベートの場(2012年5月)
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*女ばかりで賑やかすぎる食卓(2004年9月)
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お互いに考えをぶつけあう

経済危機、税金や年金、老齢化、環境問題、などなど社会が抱える問題は
イタリアも同じ
です。特に最近のヴェネツィアでは観光地ならではの移民
問題が深刻です。
彼らはバールではもちろん、仕事の休憩時間、家族団らん、路上の立ち話でさえ政治や社会的な話題を持ち込み、しゃべり通しです。テレビ番組も大半がトークショー、朝まで生テレビみたいな番組ばかり。
日本人から見れば、ズケズケとなんでも言いあうウザイくらいの社会です。「あんなにひどく口論になって、あとで気まずくなったりしないのかしら」と心配することもしばしばでしたが、大概それは杞憂に終わります。
やりあった同士も翌日にはチャーオ!と、元通り。
彼らにとって、思っていることを吐き出さない方が居心地が悪いのです。
この「社会の問題を自分のこととして常に隣人と共有する」「日頃から互いに自分の考えをぶつけあう」というベースがあるからこそ、何か事が起これば一緒に行動できるのだと思います。

舟漕ぎの歌、エル・サオール

さて、マンマの家での賑やかな食事会の最後には、なんだかんだいっても
やっぱりヴェネツィア暮らしはいいもんだということになりました。
歌の上手なアントニエッタが音頭をとって、舟を漕ぎながら歌う古い歌
「エル・サオール=EL SAOR」を合唱してお開きです。
エル・サオールとはヴェネツィアの名物料理の鰯の甘酢漬けのこと。
シンプルなメロディーのその歌は
「~ヴェネツィア暮らししたいなら、さあよくおきき、仕事をかえて漁師になりな。そしたら毎日うまいサオールが食べられるのさ~♬」
ヴェネツィア暮らしはやめられない、という思いは今も昔も同じようです。

「ヴェネツィア名物 エル・サオール」の続編 ②鰯の甘酢漬け では、
  ヴェネツィアのマンマ直伝のサオールの作り方=リチェッタを紹介します。

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デザイナー、美術家、料理家。イタリアはヴェネツィアに通い、東京においても小さなエネルギーで豊かに暮らす都市型スローライフ「ヴェネツィア的生活」を実践しています。ヴェネツィアのマンマから学んだ家庭料理と暮らしの極意を伝えます。