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イタリアナターレ狂騒曲、モミの木の下に

イタリアのナターレ(クリスマス)の準備やプレゼント作戦の顛末、
聖夜に繰り広げられる狂騒曲をお話ししましょう。
時は通貨がユーロに切り替わる2001年12月のことでした。


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ヴェネツィアで過ごす初めてのナターレ 2001年12月


先月亡くなったパパ・ヴィットリオのお墓参りと、ひとり暮らしになって
しまったマンマのお見舞いが目的という今回は、ヴェネツィアで初めて
過ごすナターレでした。家族みんなが集まるナターレの時期に行ってみたかったものの、こんな理由でヴェネツィアに向かうことになるとは、
思ってもいませんでした。
12月になり、まずは私だけ先に来て、仕事を片づけて後からやってくる
夫のイサオ君を待つことにしました。

イタリアでは喪中という感覚は薄いらしく、ふだんと変わりないナターレを迎えます。20日あまりの滞在の前半は、ナターレの準備をしながらしみじみと過ごすマンマとのふたり暮らしでした。
買い物や散歩はもちろん、郵便局での手続き、かかりつけのドットーレや、マンマがマッサージ治療と検査のために通っている病院(ザッテレ河岸の
元修道院という病院はとても美しい)にもくっついていき、凍るような町を毛皮のコートのマンマと腕を組んで歩くのです。
未亡人ばかりのお仲間シニョーラの集まりに混ざってトンボラ(ビンゴに
似たゲーム)やカードをしたり、バールへ行ったり劇場へ行ったり。
どこへ行くにもお伴する腰巾着状態です。
イタリアではこういうのをいつも一緒という意味でオンブラ=影というの
だそう。はじめのうちはさすがに元気がなかったマンマも、世話の焼ける
オンブラとナターレの準備が忙しくなってくると、少しずついつもの調子が戻ってきました。
そう、イタリアのナターレとは、おちおち沈んでなんかいられないほど、
それは大変な一大行事なのです。

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ナターレは美しく忙しく

ナターレには町中の広場や街角にアルベロ(木=クリスマスツリー)
立ち、街路には星屑のようなイルミネーションが点灯し、ショーウィンドウはきらきらと飾られ、町は夢のように美しい季節を迎えます。
ちょうど年の瀬の松飾りと同じように、モミの木売りが道端に店を広げ
はじめ、さらに24日が近づくと、プレゼピオというキリスト降誕を再現した
ジオラマ模型
が教会だけでなく町のあちこちに現れます。
等身大の大規模なものから、手のひらにのる置物サイズまで大きさや種類も様々ですが、ベツレヘムの馬小屋の中にジュゼッペとマリア、ふたりの間に幼子のイエスさまが配され、それを馬や牛などの動物達が取り囲んでいるのが一般的。さらにフルセットのバージョンになると東方の三博士(流れ星のお告げにより救世主を礼拝すべく訪問したカスパール、バルタザール、メルヒオールの3人)も加わります。
表通りや広場にメルカッティーノ(ナターレの屋台市)が立ち、趣向を凝らしたデコレーションや雑貨、フォルマッジョ(チーズ)やサラミやお菓子、イタリア各地の物産を売る木小屋も登場して賑わうようになると、いよいよ年末気分が盛り上がってきます。

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24日が前夜のヴィジリア、25日が主日のナターレ、続く26日はサン・ステファノの祝日で連休です。
おおいに書き入れ時となる24日の夕刻まで店は開いていますが、続く二日はどこも完全に休業になり、町は見事に静まり返ります。なので、皆24日の
ぎりぎりまでが勝負、買い物と準備に奔走することになるのです。
ヴィジリアの夜は、親兄弟から親戚家族全員が集まって食事をし、午前零時を回るタイミングでスプマンテを開け、パネトーネやパンドーロなどの
お菓子を食べてお祝いをするのが伝統的な決まり。

この時、予めアルベロの下に用意しておいたレガーロ(プレゼント)を盛大に交換しあうのですが、これが皆の頭を悩ませる最大の難題なのです。


センスまでも問われるナターレのレガーロ

イタリアには日本のようなお中元やお歳暮のようなものもなく、意外にも
日常的に贈り物をする習慣がそれほど多くありません。
その反動なのか、ナターレにはここぞとばかりレガーロを贈りあいます。
それはもう必死といっていいくらい。
レガーロは心をこめて渡すもの、とくに値の張る必要はないけれど、絶対にひとりひとりになくてはならず、うっかり誰かの分を忘れたりするのは、
非常にきまずく礼を失することになってしまいます。
おまけに人によってあまり差がついてもいけない、誰かと同じものを贈ってバッティングするのも避けなけれはならない、しかも相手の好みにあった、ちょっと気のきいたものという、贈る側のセンスや誠意みたいなものも
問われることになり、どんどんハードルは高くなるばかり。

日頃からどんなものが好きか、欲しがっているものをそれとなく気配りしておくのですが、毎年のことなのでそれも限界。
つまり、皆ネタ切れ状態なのです。切羽詰まって、直接本人に欲しいものを
聞いてしまう手もあるけれど、希望通りの品を確保するのもまたひと苦労。
それもそのはず、なにしろ町中、いや全イタリア中の人々が、こぞって
このソットアルベロ(モミの木の下)のレガーロを調達するのに躍起に
なっているのですから。

レガーロ大作戦の悲喜こもごも

しゃれたレガーロを思いついたら、他の人にアイデアを取られないように
秘密にしておかねばなりません。香水やボディローションなど、誰もが考えつくレガーロは、同じものを互いに贈りあう悲劇も起こりがち。
例えばルームシューズなど、よさそうだなと目をつけていても、考えていることは皆同じ、24日が近づくとみるみる売れてサイズ切れ、品切れになってしまうわけです。
狭いヴェネツィアの島内には大型の量販店はありません。唯一車の発着点となるピアッツァレ・ローマ(ローマ広場)から、対岸の本土側にあるPANORAMAやAUCHANなどの大型量販店行きのシャトルバスが出るので、皆キャリヤーバッグを提げて、年末の買い出しに繰り出すのです。
24日の夕方、目抜通りのデパートCOINの店先で電話をかけながらしくしく泣いている若い男性を見かけたこともあります。レガーロをめぐってどんな事態が起きたのだろうと、いろいろ想像してしまいました。

ちょっと値のはるスプマンテやシャンパンも、無難なレガーロとして重宝
がられますが、ファンシーにラッピングしてひと言メッセージをつけた
小さなビリエット(カード)をつけなくてはなりません。
買ってきたそのまんまだと、プラティカ=実用的、つまり無粋なやつだと
嫌味を言われかねません。
最終手段としてお年玉よろしくお金を渡すという手もありますが、この場合もチョコレートやボンボンなどのお菓子を添える配慮が必要。
ふだんならメンツにかけても避けたいところですが、今年はエウロへの通貨切り替えという千載一遇のいいわけを得て、エウロの入った包みを木の下に置いた人も多かったようです。
「エウロをソットアルベロに置きましょう!」
というキャッチフレーズで小銭入れもおおいに売れたそうです。
本当はみんな心の中では、かさばって面倒臭いレガーロよりお金が一番と思っているのかもしれません。
事実、重くて仰々しいチーズフォンデュセット、ど派手な模様のでっかい
サラダボウル、やたらと大きいボンボン付き鍋つかみ、など「もらったものの一度も使ったことのないレガーロ」コレクションが、マンマの家の戸棚の奥深く日の目を見ずにしまわれていました。

さて、泣いても笑っても24日の夜8時頃には準備万端整えて、食事会に
臨まなければなりません。血眼になって探したレガーロは半端な量では
なく、自動車で運ぶわけにいかないヴェネツィアでは、それぞれ大きな袋やカートに乗せて食事会の家へと向かいます。
この夕刻、ご同様の人々がバッボ・ナターレ(サンタクロース)さながら、大きな荷物を下げて道を行き交う様子はなかなかの見物。
なんだか皆すでにひと仕事終えたような安堵と疲労感が入り混じったなんともいえない表情なのが笑えます。


一極集中のナターレのご馳走攻め


ナターレの大仕事はもちろんこれだけではありません。最も重要なのは、
ナターレならではのご馳走の準備です。
日本の元旦のように、ナターレの24と25日は家族が集まり親密に過ごす
2日間です。一方、年末からカポダンノ(お正月)にかけては、友達と
スキーに行くなど別々に過ごすことが多く、年が明ければ早々に普通の
日常が始まります。
そのため、ナターレはまさに一極集中、このときとばかりにご馳走攻め
になるのです。

家族の間で、親の家、長男の家など持ち回りで食事会を受け持つのですが、担当になった家では、料理はもちろん飾りつけなどの準備に大忙し。
まず前夜の24日は、イタリアでは精進とされる魚料理(ヴェネト一帯では
干鱈=バカラの料理が多い)、25日の昼が正餐であり、ここで肉料理を
がっつり食べるのが習わしです。

ナターレといえばカッポーネ(去勢雄鶏)アナトラ(鴨)ファラオナ
(ほろほろ鳥)と鳥料理が多く、ローストにしたり、ボッリートにしたり。トルテリーニを浮かべたブロードは、まるで正月のお雑煮のように
どこの家庭でも作る定番料理です。
久しぶりに帰郷する家族のために、とっておきの郷土の味も用意します。
ヴェネトでは、モスタルダ・ヴィチェンツィーナ(ヴィチェンツァの
マスタードの意)
というナターレならではの味があります。
マルメロやリンゴをうす甘く仕上げたジャムに辛子を加えたもので、
甘いのにぴりっと辛い不思議な味は病みつきになります。
パンの薄切りにマスカルポーネ、その上にこのモスタルダをたっぷり
塗って食べ、年一度帰郷した懐かしさと辛子の刺激とで涙にむせぶと
いうわけです。

もちろんプロシュットやサラミ、サルシッチャ(ソーセージ)やラルド
(塩漬けした豚の脂)、フォルマッジョ
などなどふんだんに買い込みます。ジャンドゥイヤなどのチョコレートやボンボン、クルミやピスタチオ、
ピーナッツのナッツ類、ナツメや干しいちじくなどドライフルーツも篭に
山盛り。こんなカロリーの高い誘惑が、サロンのテーブルや家中に地雷の
ように散らばっていて危険なこと限りなし。
随時これをつまんだりするのですから、これで太らないほうがおかしい。
特にナツメにマスカルポーネを塗って食べるのは禁断の美味!
皆口々に「食べてばっかり!」といいながらも、結局食べてはお喋りと
一日中口を動かしっぱなしです。

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ナターレのヴェネツィアに雪が降る

そうやってバタバタと騒々しくしている最中にも、そこにパパの姿が
ないのにふと気がつくのは、やっぱり切ないもの。
ただ、しんみりしてしまうより、できるだけいつもと同じように賑やかに
過ごしたほうが慰めになるのではと思っています。
私たちがいることで文字通り毛色の違ったナターレになり、そのさみしさ
をやわらげるのに少しは役に立てたかもしれません。

ナターレの直前、ヴェネツィアに雪が降りました。
意外にもヴェネツィアでは雪はとても珍しいことだといいます。
サン・ミケーレ島にあるパパ・ヴィットリオのお墓も真っ白に雪化粧に
覆われて、それはきれいでした。きっと天国にいるパパが、みんなに
ナターレの贈り物をしてくれたのでしょう。

マンマからもらったレガーロは小さな銀の写真立てでした。
なかにはお墓にあるのと同じ笑っているパパの写真が入っていました。
パパも一緒にナターレを過ごしたに違いありません。
Buon Natale a tutti.






デザイナー、美術家、料理家。イタリアはヴェネツィアに通い、東京においても小さなエネルギーで豊かに暮らす都市型スローライフ「ヴェネツィア的生活」を実践しています。ヴェネツィアのマンマから学んだ家庭料理と暮らしの極意を伝えます。