夏が来れば思い出す〜はるか遠き田舎の日々
子供の頃、夏休みといえば気が遠くなるほど時間がたっぷりあって、
毎日何をしようかとわくわくしていました。
終わりのないように思えた夏休み。
私の心の大部分は、あの懐かしい夏の日々でできているように思えます。
夏休みは九州の田舎で
小学生の頃、母の実家である九州熊本の田舎に行くのが
夏休み最大の楽しみでした。
祖父母の住む熊本の家は典型的な古い農家で、夏になると
そこに孫たちが集合するのです。
実家に同居する孫たちも含めてその数なんと13人。
母は女ばかり7人姉妹に育ち、女系の系統なのか、いとこたちも圧倒的に
女子の数が優勢でした。
私の両親も含めそれぞれの親たちは、まず夏の初めに子供たち(我が家は
3人兄妹)を実家に連れて来て、一緒に数日間を過ごした後、
子供を残したまま自分たちだけいったん帰ってしまいます。
そして夏休みの終わる頃に、またピックアップに来るのが常でした。
つまり、田舎の家には祖父と祖母、同居する長女の伯母夫婦、
そして年齢もばらばらな10人あまりの子供たちという夏限定の大家族
で過ごすサマーキャンプのようなもの。
預けていく方も、預かる方も実に鷹揚というか、今では考えられないようなおおらかさです。
夢のようなワイルドライフ
さて、この熊本の田舎暮らしは、一応都会っ子である私には
こたえられない夢のワイルドライフでした。
母の実家は絵に描いたようなフルスペックの田舎家で、藁葺き屋根の家の
玄関は広い土間、台所の煮炊きはもちろん竃、風呂も(九州地方では通常仕様の)五右衛門風呂でした。
昼でも薄暗い奥の間や、大きな長持ちのある納戸、味噌や高菜漬けの瓶が
並ぶ土蔵、その昔は蚕を飼っていた屋根裏の蚕棚もあり、広い家の中で
かくれんぼもできました。
庭先には豚小屋、鶏舎、農作業用の馬もいて、当時もう既に使っていませんでしたが、タバコの葉を燻す小屋もありました。
庭の向こうには田んぼや畑が広がり、鎮守の森や川へ田舎の道が
続いています。
朝早くから日が暮れるまで、いとこたちと川遊びや探検ごっこ、
庭でリヤカーを引き回したり、とにかく夢中で遊びます。
家の周りの石垣の隙間には小さな蟹が棲んでいて、それを糸の先に
小石を結んだもので釣り上げたり。
川の橋の下に潜むナマズを手ぬぐいですくったり。
豚や鶏の餌やりや小屋掃除の手伝い、芋掘りにスイカやトウモロコシ採り、梅干し作りやみょうがの葉で巻いた団子作りも、子供にとっては
みんな遊びの一種でした。
鞠つきの歌「あんたがたどこさ」や「おてもやん」は、従姉妹に教えて
もらいました。
お盆の準備や送り火に盆踊りなどなど、昔ながらの暮らしを
肌で感じることができたのも大切な経験でした。
夜、庭に縁台を出して仰向けに寝転ぶと、真っ暗な空に星がぎっしりと
またたき、天の川も手に届きそうに見えるのです。
田んぼ脇の用水路のあたりには蛍が飛び交っていました。
夜は一番広い部屋に大きな蚊帳を吊り、その中に布団を敷き詰めて雑魚寝。廊下の突き当りの木戸の手洗いが、夜にはちょっと怖かった。
今思えば、三度三度の食事の支度、伯母たちはさぞやたいへんだったこと
でしょう。米や野菜は自給自足が基本、漬物や煮物ばかりの質素な食卓
だったと記憶していますが、ふだんは好き嫌いを言って親を困らせていた
私たちなのに、田舎の家では何一つ文句を言わずに食べていたと思います。
練った小麦粉を伸ばして、野菜と一緒に汁に入れた郷土料理「団子汁(だご汁)」は、大好物でした。
毎朝鶏舎に卵を採りにいくのは子供たちの仕事でした。
おやつはふかし芋やトウモロコシ、井戸水で冷やしたマクワウリにスイカ、もぎたてキュウリにトマト、それにみんなで丸めたみょうが団子。
天日干し中の梅干しをつまみ食いして叱られたこともありました。
歩いて10分くらいのところにちり紙やパンを買いに行くよろず屋があり、
その店先で食べる白蜜がけのかき氷「みぞれ」のなんと美味だったことか。うすピンクのぼかしが入った花びら型のガラスの器が、子供心に高級そう
に見えました。
祖父は無骨で無口、典型的な(笠智衆に似た)熊本の男でしたが、手先が
器用で、近所の祝い事や法事などの仕出し料理を請負うほどの腕前でした。
家にはお膳の一式があり、鰻でもなんでも捌くのは祖父でした。
ある時どういうタイミングだったか、今夜はごちそうなのだといって、
祖父が鶏を1羽しめたことがありました。
首を切った鶏は血抜きのために土間の天井から逆さ吊りにされました。
子供たちにとって、鶏をしめるのを目撃するのは、もちろん初めてであり、かなりショッキングな出来事でした。
従姉妹のひとりはこの時の光景がトラウマになって、以来鶏肉が苦手に
なってしまったほどです。
私はといえば、じいちゃんのいう「ごちそう」とはどんなものなのだろうと(鶏の丸焼きかなにかを想像して)期待していたのにもかかわらず、
出てきた料理が鶏肉入りの筑前煮(この地域ではがめ煮という)だったので、ひどくがっかりしたのを覚えています。
熊本の家で一同集合して撮った記念写真。夏の着物に扇子で正装した祖父母の姿。何人か女の子たちは手作りのお揃いのワンピースを着ています。
#遠い夏の日は大切な記憶の宝物
田舎の家にはテレビもなければ、とりたてて玩具も絵本もなく、ひたすら
想像力と創造力を駆使して遊んでいました。
絵本や紙芝居やゲーム盤は自分たちで作るものでした。
それよりも、ただそこらを駆け回るのに忙しかったけれど。
こうして自然の中で放し飼いになった田舎の夏を過ごすと、
両親が迎えにくる頃には、都会っ子もすっかり日焼けし、地元の子供と
見分けがつかないくらい野生化してしまいます。
東京に戻りたくないと駄々をこねるも、その度になんとか親に説得されて
渋々連れ戻されるのが常でした。
この田舎で過ごした夏のなにもかもが、子供時代の貴重な思い出として、
細胞レベルで私の中に刻み込まれています。
この体験がなかったら、今の私の心は違う形になっていたかもしれません。
草むらでバッタを探し回っている時の草いきれ。鎮守の森の蝉時雨。
ひんやりした土間の米糠や藁の匂い。
広縁で種を飛ばしながら食べたスイカ。冷たい麦茶をかけたお茶漬けの味。お盆提灯のぼんやりした灯り。
お寺の横を通りかかる夕暮れの帰り道の心細さ。
年長のいとこに手をひかれて聞いた祭り囃子。
線香花火が燃え尽きた後の煙の匂い。
遠い遠い夏の日の、大切な記憶の宝物です。
デザイナー、美術家、料理家。イタリアはヴェネツィアに通い、東京においても小さなエネルギーで豊かに暮らす都市型スローライフ「ヴェネツィア的生活」を実践しています。ヴェネツィアのマンマから学んだ家庭料理と暮らしの極意を伝えます。