シェア
これから長々と私のヴェネツィア物語をお話しします私たち夫婦は、縁あってヴェネツィアとそこに暮らす人々に出会いました。 これまで長い間通い続け、そのコミュニティーに身を置き、自然環境と シンクロした昔ながらの暮らしに触れてきました。 #都市型スローライフヴェネツィア的生活ヴェネツィア、とりわけヴェネツィアのマンマに出会って、確実に人生が 変わったと思っています。 生活の質、ほんとうの豊かさ、自分らしく生きるということーー。 多くの人にヴェネツィアで暮らす人々の生活を知ってもら
イタリアの電車はアナウンスもなく黙って発車します。 それも時刻通りではなく30分や1時間遅れなどざら、 時には予定の列車を一本飛ばしたりすることもあるので、 ちゃんと乗車するまで気が抜けません。 しかし遅延であれ運休であれ表示されていれば幸いというもの。 あの時トリエステで起きた1件は、未だもって何だったのか 謎のままなのです。 ミステリートレイン〜 IL TRENO MISTERIOSO 2007年冬 トリエステに行ったのは初めてでした。クリスマスも近いある週末、 友人の
友人キアラの誘いで訪ねた北東イタリア、フリウリ州の山の奥。 何もかもはじめて見る小さな村の暮らしは、 子供の頃読んだハイジの物語のようでした。 あの夏のきらきら輝く思い出です。 フリウリの山奥、小さな村にて 2002年8月 イタリアの最北東のフリウリ州。その南岸は風光明媚な海岸地帯、 北部は豊かな自然に恵まれた丘陵地帯、そしてイタリアンアルプスを臨む 山と渓谷が広がっています。 オーストリアやスロヴェニアと国境を接しているため、言語を含め ハイブリッドな文化が形成された歴史
友人キアラの誘いで訪ねた北東イタリア、フリウリ州の山の奥。 何もかもはじめての山の暮らしは、 子供の頃読んだハイジの物語のようでした。 あの夏のきらきら輝く思い出です。 地上の天国 2002年8月 キアラの実家、フリウリの山奥の村で過ごしていたある晴れた日の朝。 私たちが寝ている上の家に下の家から子供たちが起こしにやってきました。 「今日は山登りに行くんだから、早く早く」と急かすのです。 天気がいいので、スロヴェニアとの国境に近いmatajurマタユールという 山に登り、