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これから長々と私のヴェネツィア物語をお話しします私たち夫婦は、縁あってヴェネツィアとそこに暮らす人々に出会いました。 これまで長い間通い続け、そのコミュニティーに身を置き、自然環境と シンクロした昔ながらの暮らしに触れてきました。 #都市型スローライフヴェネツィア的生活ヴェネツィア、とりわけヴェネツィアのマンマに出会って、確実に人生が 変わったと思っています。 生活の質、ほんとうの豊かさ、自分らしく生きるということーー。 多くの人にヴェネツィアで暮らす人々の生活を知ってもら
亡き母は「暮しの手帖」の熱心な愛読者であり、この本は子供の頃から いつも私のそばにありました。今の私のライフスタイルの原点といえる ものかもしれません。 1969年発刊「戦争中の暮らしの記録」 1969年発刊の「戦争中の暮らしの記録」も、今も古びたまま実家に置いて あります。はじめて読んだのは、中学生の頃でした。 戦争中の日々の暮らしの細かな描写や普通の人々の物語は、それまで見聞きできなかったことばかりで、興味は尽きず何度も繰り返し食い入るように 読みふけったものです。 集
3.11直後、節電モードになった東京は一時ヨーロッパの町のような灯りの量になり、町としての風情を取り戻したように見えました。 本来陰影礼賛の文化を持つ国なのだから、抑制のある美について感じるものがあるはずだと、少しほっとしたものです。 25年前にヴェネツィアとそこに住む人々の自然とシンクロして生きる暮らしに出会って、生活の質、本当の豊かさとは何かに気づかされました。 以来、ヴェネツィアに通い、東京においてもヴェネツィア的生活と称して 小さいエネルギーで暮らす都市型スローライ
少なくとも年に一度はヴェネツィアの空気を吸わないと、 自分らしさが保てないような気がしていた。 大切なものに気づいてかみしめる、自分の軸みたいなものを確認する、 私にとってヴェネツィアはそういう特別な場所だ。 2007年の冬、久しぶりに過ごした北イタリアのナターレは いささか後遺症をもたらすほど濃い日々だった。 クリスマスの大切な思い出シリーズ、その3は、 国境を越えてスロヴェニアの銀世界でスプマンテとパネトーネの ピクニックをした、素晴らしい1日。 スロヴェニアの森にて
少なくとも年に一度はヴェネツィアの空気を吸わないと、 自分らしさが保てないような気がしていた。 大切なものに気づいてかみしめる、自分の軸みたいなものを確認する、 私にとってヴェネツィアはそういう特別な場所だ。 2007年の冬、久しぶりに過ごした北イタリアのナターレは いささか後遺症をもたらすほど濃い日々だった。 クリスマスの大切な思い出シリーズ、その4は、 北イタリアのフリウリの山村で過ごしたクリスマスイヴ。 「私たちの住むこの世界はは思ったよりずっと小さく閉じていて、 確
北イタリアのコウノトリが住む村の農場で、アグリツーリズモ体験。 自然の中にすっぽりと包まれて、お腹も心もこれ以上満たされることはないほど一杯になる。 5月のとある日、我々の車は北イタリアはフリウリ州のウーディネ郊外の 田舎道を走っていた。 我々というのは、例によってアントネッラとダニエルのカップル、キアラとエマニエル夫婦と子供たち、そして私たち夫婦といういつものメンバー。 目指すのは、FAGAGNA(ファガーニャ)にあるファットリア、そのまま 訳せば「農場」だけれど、つまり
イタリアのナターレ(クリスマス)の準備やプレゼント作戦の顛末、 聖夜に繰り広げられる狂騒曲をお話ししましょう。 時は通貨がユーロに切り替わる2001年12月のことでした。 ヴェネツィアで過ごす初めてのナターレ 2001年12月 先月亡くなったパパ・ヴィットリオのお墓参りと、ひとり暮らしになって しまったマンマのお見舞いが目的という今回は、ヴェネツィアで初めて 過ごすナターレでした。家族みんなが集まるナターレの時期に行ってみたかったものの、こんな理由でヴェネツィアに向かう