木下藤吉郎の大冒険

息も白い朝、那古野城の若い主は寒さで目覚め、外への戸を開けた。

庭は一面真っ白な雪景色、主は庭に出ようとするが履物がない。

横で何やら話し声がする。

「何奴!?」

声の方向には主の履物の上に、長身な男と少年と思しき座っている2人がいた。

長身な男の身なりは、ボロの紺の着物、反りのある六尺棒と風呂敷を背負い、腰には細い縄を何重にも巻き、瓢箪を4つ下げ、脇差しとは思えぬ長さの刀を1本挿していた。

手には細い枝を持ち、雪に何かを書いている。

少年は背負った刀の位置を直しながら、雪の上に書かれたものを見つめている。

長身の男は振り向きながらこう切り出した。

「人に尋ねる時は自分から名乗るものだぜ。」

主は長身の男と少年が自分の履物の上に座っているのを見て

「拙者の履物の上に座るとは不届き千万」

「ん?これか?、この雪の上に経つも辛いし、座っても寒い、丁度良い敷物と思ってな。」

男と少年は立ち上がり、若き主に履物を渡した。

「丁度温くて懐に入れていたのと同じ位の温かさだぜ、感謝しろよ。」

「無礼な、手打ちにしてくれる。」

若き主は刀を抜くと構える隙もなく、長身の男の持っていた枝に叩かれ刀を落とした。

「若!何事ですぞ。」

騒ぎに駆けつけた老人に対し弾かれた手をさすりながら

「爺、このうつけ者を即刻切り捨てい!」

男は高笑いして

「うつけ者かぁ、そいつはいいや!」

「若、この男は父上君より教育にと呼び寄せた…」

「拙者は木下藤吉郎、こいつは秀吉…宜しくな、吉法師(後の信長)」

主は自分の名を知っている男に驚いた。

「木下殿、確か貴殿のみとお聞きしていたのだが…」

「気にするな、こいつは単なる足軽頭の息子だ。」

秀吉はムッとして反論した。

「おいらはこれでも…」

藤吉郎は秀吉の口を塞ぎ…、耳打ちした。

「だからお前は一人前になれないんだ。」

顔を真赤にする秀吉、吉法師はまだ怒りが収まってない様子。

「ええい爺、構うもんか」

刀を抜いて斬りつける吉法師、太刀筋を交わすと腰につけていた瓢箪で頭を叩いた。

藤吉郎は、吉法師を睨むと

「吉法師、俺を切りたきゃ、この辺りの腕の立つ奴集めても無駄だぜ!」

おでこに軽く赤い痕が付き、吉法師は腰を抜かし、その場にしゃがみこんだ。

爺の隣りにいた部下が大慌てで誰かを呼びに行った。

「何でえ、噂ほど大した事ねえな、お前さんより、まだこの秀吉の方が強いぜ。」

爺は辺りを見回した。雪の上には足跡一つ残っていない。

『今朝方見た時には誰もおらなんだ、足跡付けずに一体どうやってここまで来たんだ?』

藤吉郎は草履を吉法師にポンと投げ渡し

「せっかくの雪、一番最初の足跡をつけたらどうだい?草履を温めてあるのだからさ…楽しまなきゃ損だ」

囲炉裏の前で藤吉郎、秀吉、吉法師が濡れた服を乾かしている。

吉法師は震えながら、温かい茶を飲んで藤吉郎に突っかかった。

「こんな雪の中で走り回るとは…とんでもない傾奇者じゃ」

藤吉郎は気楽に答えた。

「そうかい?後から吉法師の方が燥いでおった気がしていたがのう…」

「それは…」

囲炉裏の炎が照らす中、吉法師は俯いた。

「話は父君から伺っておる、この立派な那古野城の主であると…」

秀吉は辺りを見回す、大きな屋敷ではあるが、それ程手入れが行き届いているようには見えない。

吉法師は炎を真剣に見つめながら

「父上からは元服し、名は自らつけろと…」

「で、吉法師は何て名が良いと思っている?」

「拙者には兄上が2人おる、だから三郎と…」

「ほう、これまた慎まやかな…そうだ、父君の名を一字頂いて信長ではどうだ?」

「考えさせて貰う」

「それじゃ俺は三郎にちなんでサブと呼ばせてもらうがな…」

吉法師はふと藤吉郎に尋ねた。

「父上から、私に何を教えろと申されたか?」

藤吉郎は高く積み上げられた書物を見て

「これは全てサブが読んだのか?」

「はい、私めには書物を読む事以外、何の能も御座いません」

「噂とは違い、勤勉で真面目に勉強しておるしのう…う~む、何を教えたら良いものか?」

腕を組み、悩む藤吉郎。

「そんないい加減な…」

藤吉郎は腰から下げている瓢箪を取り出し、飲み始めふと思いついた様に

「そうかあ…まだ知らぬ習った事のないのを教えよう…世の中は広い、知らなければならない事も沢山有る、まずはこいつを飲みな」

ポンと投げた瓢箪を受け取り、中身を飲む

ほんのりとした甘みがあり、口当たりが良いのだが、喉が焼ける様に熱くなる。

「ケホッケホッ、何でござるか、この飲み物は…」

藤吉郎は瓢箪を受け取り笑いながら

「こいつは酒って言う代物だ、大人って奴はこいつを嗜む…鍛錬する時もこいつを飲む。」

ほろ酔いで気分の良くなった藤吉郎はすくっと立ち上がり、三郎の持つ扇子を手に取り立ち上がった。

「ふむ、ちょっとその扇子をお借りするぜ」

藤吉郎は歌いながら舞った。

その舞は美しく、信長は持っていた茶碗を落とした。

秀吉はニヤニヤと信長を見ている。

「そこのうつけもの、吉法師に対する狼藉や怪しげな振る舞い、覚悟~」

木戸が勢い良く開き、綺麗な着物を着た少女が薙刀を持って突進してきた。

藤吉郎は舞を止めるどころか、舞ったまま薙刀を交わし、持っている扇子で払った。

勢い良く突進してきた少女は、払われた反動でつんのめり、ひっくり返った。

舞っている藤吉郎の腕の中にすっぽりと収まる。

「おおっと、美しい姫君を傷つけては、俺の名が廃る。」

姫は頬を赤らめた。

「中々良い太刀筋…姫は良い剣客になられるぞ」

見事な動きに、信長は藤吉郎の前に土下座した。

「藤吉郎殿、拙者を弟子にして下され…」

藤吉郎は天井を見上げて

「俺は弟子を取らない主義たからなあテン」

「ではこちらの秀吉は…」

「おおヒデか…俺は弟子を取らないが義兄弟の契を交わしておる。こいつは拙者の弟分だ。弟分ゆえ、困ったときはお互い様。って事で困った事は教えておるかな?」

「では、拙者も弟分として義兄弟の契りを交わしたい!是非教えを…」

「慌てるな…もう酒も酌み交わした仲ゆえ、俺らは兄弟だな…」

「いや、願わくばちゃんとした杯を交わしたい」

藤吉郎は瓢箪を振り

「お主は真面目だなあ。仕方がない、一緒に酒を取りに行くか?」

姫は藤吉郎の腕の中でモジモジしながら

「あの~もし…」

「おお、すまんかったなあ」

藤吉郎は姫を腕の中から降ろした。

「今から酒を取りに行くが、一緒にいくか?」

爺が慌てて

「藤吉郎殿、さすがに若を外に出す事は、いささか問題が」

藤吉郎はジロジロと姫を見つめる。

「何か?」

赤らむ姫に藤吉郎は腕組みをして…

「ふむ、背格好はサブに似ておるなあ…兄弟ゆえ、顔つきも似ている。「姫、申し訳ないのだが…弟君の身代わりをしては頂けないか?」

「へっ?」

姫は驚いた、確かに背丈はほぼ一緒なのだが、まさか、弟の身代わりを務めるとは…

「先程の事…責任をとって下さるのなら…」

藤吉郎と秀吉、信長は、蓑姿で深い山間へと入っていった。

流石に山間は雪が深く、膝まで雪に埋まる。

「そろそろこいつの出番かな?」

秀吉は背中に背負っているかんじきを取り出した。

3人は足に付け、秀吉はピョンピョンと跳ねる。雪には埋まらない。

「こいつで大丈夫」

「準備ご苦労!」

「いやいや、兄貴の役に立てればそれに越した事は無いです。」

信長は来た道を心配そうに振り返る。

「どうした?何か心残りがあるのか?」

「身代わりとなった姉上の件が心配で…」

藤吉郎は笑いながら

「ふむ、奇行に及んでいた吉法師の噂は聞き及んでおるが…静かになって良いのではないかな?」

「あれは姉上の事です。父上は拙者ではなく、姉に家督を継がせたいと…心の底では思っているはずです。」

「ほう?」

「負けん気の強い姉は、旅の法師から武芸を学び鍛え上げ、今では那古屋城は愚か、近辺にて勝てる者はおらず…」

秀吉は笑いをこらえている。

「縁談も闘剣を持って語れ!と言って全て返り討ちにししまい、貰い手がない次第で、最近は今川頭首をこてんぱんにノシてしまいまして…」

秀吉はついに吹き出した。

「これ、人の事を笑うでない。サブは真剣に悩んでるんだぞ」

「姉上の事は、織田家の恥として内密にされており、奇行は全て私めが肩代わりしております。身内では女弁慶、織田弁慶と呼ばれておりまして、その勇ましさを私めの箔にと…」

秀吉は雪の上で笑い転げてながら

「それじゃあ、更に箔が付くんじゃないか」

不機嫌そうにする信長に対し藤吉郎は

「あいつは収まるまでほっとけ」

信長は不安げに

「姉上に元服の義を任せて大丈夫なのでしょうか?」

「更にうつけ者に磨きがかかるのでは?」

秀吉は茶化したが、

「姉は確かに変わっておりますが、誰にも負けない正義を心に秘めております…ただ行き過ぎるのが…」

「元服の義までに帰れば良いだけの話だが…」

信長は思い出したように

「あの美しき舞は一体…しかも尾張一の姉上の太刀筋すら交わしてしまうなんて。」

「あれか?あれはウズメの舞といって古来から伝わる芸能だ。天照大御神が天岩戸を開けてしまう位優雅な動きで、俺の好きな舞の1つである。」

「姉上に負けぬ立派な主になる為にも、ぜひ伝授を…」

「あれは元々女が舞うモノであって、男が舞うものではない…女ですらマトモに舞えないと言われており、俺も舞える様になるのに何年かかった事か…」

肩を落とす信長

「考え方を変えれば俺でも舞えるのだから、いつかは舞えるだろう。生涯を通して学べば良い。生きるなんてある意味、人生と言う舞台の上で舞っているようなモノだろう…」

信長は疲れながらも元気よく返事をした。

「はい!」

余裕で歩く秀吉、対象的に息が上がっている信長に対して

「まずは体力を付けなきゃあかんなあ。春になったら体力づくりから初めないとな」

「はい」

信長は行き切れ切れれに返事をした。

「なるほどな…それであいつは俺の太刀を欲しがった訳か…」

風景は開けた尾張とは違う、山々が連なう山奥へと入っていった。

雪も段々深さを増していく。

『兄貴は一体何処へと向かっておるんだ?』

信長はあまりの距離を歩き続けているのに疑問を感じた。

藤吉郎は唐突に二人に向かって質問した。

「サブ、お主は将来、どうしたい?」

「私は当主になるようにと父上に言い遣わされている、尾張を纏め上げ、無事御役目全うできればこの上ない…」

「ヒデはどうしたい?」

「あっしっすか?う~ん…」

秀吉は少し考えこんだ。

「そうだ、あっしは、この乱れた世を直すべく統一したいと思います。」

藤吉郎は笑いながら感心した。

「そいつは又、大きく出たなあ」

「一国一城の主でもあるまいし、農民風情が天下統一など出来るはずはない。」

信長は小声で呟いた。

「まあ、そう言うな、夢は大きい方が面白いし、遣り甲斐もある。それにわからんぞ?この乱世、こやつ本当に天下を取るかもしれん。」

秀吉は照れて

「えへへへへへ」

「サブ、戦において、一番基本的な事は何か知っているか?」

「それは、戦術と優秀なる武将だと思います。」

「おいおい、戦において、最も基本なのは兵だろ?手足となる兵がいて、初めて武将と言うものの価値が出て、戦術、戦略が使える。頭だけで戦は望めんよ」

信長は赤面した、確かに書物などにおいてはしっかりと頭に叩き込んではいたが、物事に関する基本は知らなかったのである。

「兵は民である。どんなに領土を広げても、民が居なけりゃ何の価値もない。」

秀吉が話に割り込む。

「田畑を耕すものも居なけりゃ飯も食えないっすよね。」

「その通り、民を愛し、民を想い、民を大事にしている事が、自ずと国力になる。国は民あっての国だからな。民が戦い、民で勝利している。俺の兄弟には、この教えを忠実に守り、民と共に暮らした戦に強いのがおる。」

信長は何かを感じ尋ねた。

「それは晴信公の事であるか?」

「さすが博識だなあ、晴信の事は知っているのかい?」

「景虎公と共に尊敬できる御仁である、兄貴は晴信公と縁があるのか?」

「なあに、一緒に酒を酌み交わした仲さ…そういや景虎も一緒に飲んだなあ、あいつ大酒飲みで泥酔すると…おっとこの話は兄弟の名誉として話せぬなあ…そう考えるとサブの兄貴分という事になるんかな?」

心なしか信長が少し微笑んでいたが

『何故、、兄貴は各地の主に会えたのだ?しかも戦中だというのに…』

信長の心配を他所に、藤吉郎は燥ぐ秀吉を相手にしながら歩いていた。

夕暮れ迫り、辺りは薄っすらと暗がりになり、山林の間が少し開け、朽ち果てているあばら家が見えてきた。

秀吉が戸を開けようとしても開かない、藤吉郎は重い戸を持ち上げ横に置いた。

中に入ると大きな仏像があり、どうやら寺のようである。

住職も誰もいない荒れ寺、床には大きな穴が空き、焚き火の跡がある。

「ヒデは薪を、サブは火起こしをしてくれ」

ぽんっと小さな袋を渡された。ずっしりと重い袋を開けると石が2つ入っていた。

「なんでえ、火打ちも知らないのか?」

藤吉郎は信長から石を取り上げると、建物の済においてある藁を一掴みにし、火打ち石を叩いた。

火花は藁に移り、薄っすらと煙を上げる。

藤吉郎はそっと持ち上げると息を吹きかけると藁が燃え始め、穴の開いている床の真ん中で焚き火をした。

薪を背中に沢山背負って秀吉が戻ってきた。

「ほう、城の主殿で火起こし出来ているとは…」

信長が俯いた。

「俺が起こしたんだ、誰でも初めてっていうものがあろうに…冷やかすものではないぞ」

秀吉は薪を脇において

「へーい」

藤吉郎は腰にぶら下げている一番大きい黒い瓢箪を紐から外し、信長に渡した。

「こいつに外の雪を詰めてくれ」

手渡された大きな驚嘆が手の中でその重さを感じた。

『これは鉄?』

「雪を詰めたら、焚火に入れてくれや」

外の軒下で薪を束にしていた秀吉が

「こんなボロ寺なら、そのまま薪にした方が早くない?」

背後から渋く低い声が響く

「これこれ…そんな罰当たりな事を言うものではない」

美濃に包まれた大入道の様な男が背後に立っていた。

「何奴!」

秀吉はとっさに身構え、背中の刀に手をかけた。

『こやつ、私より年下なのに、足軽の倅と申しておったが、ただならぬ動き、これも兄貴のお教えなのか?それとも又別か?』

手には六角六尺棒、後ろには信長や秀吉と変わらぬ年齢の少年少女が隠れている。

同じ様な蓑装束ではあるが、少年は腰に二本差しと笛を差しており刀に手をかけている。

「これ、慌てるな秀吉、こいつは敵ではないぞ…」

藤吉郎は焚火におにぎりを串刺しにした枝を側に立てていた。

「何かいい匂いがしとるのう」

大入道の様な男は寺の中に入り

「おお、兄弟久しぶり、あいも変わらずじゃのう…」

大男は焚火の前にドカリと座り、火にあたり、遠火で炙っている握り飯を見て

「なかなか美味そうな匂いじゃのう」

秀吉と信長が重い戸を閉め、秀吉は焚火の近くに薪を置き、信長は鉄の瓢箪を焚火の横に置き、二人は藤吉郎の隣りに座った。

秀吉は小声で藤吉郎に。

「兄貴~、この大入道は何者?」

大入道は笑いながら

「わしは長井新九郎規秀(後の斎藤道三)と申す元は僧侶じゃ、昔は法蓮房と申してな、この荒れた美濃を見て何とかせねばと思い、この地にて根を下ろしている。こいつは娘の帰蝶(後の濃姫)と甥の十兵衛(後の明智光秀)じゃ。」

信長は不安げに思った。

『美濃…敵地か。こんなに尾張から離れて大丈夫なのか?』

帰蝶と十兵衛は藤吉郎に軽く会釈した。

「息子と言うものは駄目じゃのう、甘やかして育てたせいか、わしの言う事なんぞ聞きやしない。その点この娘の帰蝶と甥っ子の十兵衛は、兄弟の教えを真面目に受け継いでおる。」

「これはこれは…俺の話は面白いかい?」

藤吉郎の優しい声に二人は頷いた。

「わしも元仏門だが、その教えは気にいっとるぞ!」

藤吉郎は腕を組み

「そんなものかねえ…」

「中々為になる話っすよ。他の教えは偉そうで、中身ないっすから…特に私情論や感情論は勘弁して欲しいっすよ。」

「ヒデは色々な師から学んでいるからなあ…」

秀吉は照れ笑いして

「えへへへへへ」

「もう良い頃だろう」

藤吉郎はほんのりきつね色した握り飯を信長に渡した。

「旨い…」

薄っすらと味噌が塗られ、固くなっていた米が熱によって柔らかくなり、周りが火によって軽く焼けてパリパリとした食感。

「こいつも食うかい?」

信長は差し出した干し肉にかぶりついた。

ただの干し肉ではない…肉の臭みもなく、塩味とほんのりとした甘みを感じた。

「さすがは育ち盛り…良い食いっぷりだ」

秀吉は肉を見ながら

「兄貴~、これはこないだの…」

「こないだの熊だが、何か問題あるか?」

信長の食べる手が止まった

規秀はかぶりつきながら

「この熊肉は旨いのう…こんな肉、今まで食ったことがない」

「こいつは滋養強壮にも良い、いわば薬膳だな…結構手間かけて作ったから臭味もなく旨かろうに」

信長は安心してかぶりついた。

秀吉はニヤニヤとしながらかぶりついた。

「そういえば兄弟、美濃守護代の斎藤利良殿が、わしに後を継ぐようにと煩いんじゃが、どうするべきかのう。」

信長は思い切って話の間に入る。子供が大人の話に割り込むのは当時としてはご法度である。

「拙者織田家縁の者、長井殿の心中は察します。が、しかし、民を思うのであるなら、民の為に継ぐべきと思われます。」

「ほう、この坊主、なかなか言うではないか…気に入った!名は何と申す。」

「拙者、織田三郎信長、以前は吉法師と名乗っておりました。」

「おお、お主が吉法師殿か…噂には聞いておるが礼儀正しい…まるで別人じゃのう」

「藤吉郎殿とは義兄弟の契りを交わしにここにまいった所存…」

「ほほう、その兄弟の杯、わしも入れてはくれんかのう。」

藤吉郎は規秀をなだめるように

「兄弟、拙者との杯はもう済ましておろうに…」

「がははは、そうじゃった…まあ、その…旨い酒を酌み交わすのが好きなもんでのう。それに、この地では不心得者が多くていかん、安心できる兄弟が1人でも多ければ、わしは嬉しいものだよ」

藤吉郎は仏像の裏から瓶を引っ張り出して

「そっか~」

信長は仏像の裏に酒の瓶が置いてある事に驚いて

「何と言う罰当たりな…」

藤吉郎は笑いながら

「こいつは仏様が守って下さる有り難い酒だぞ!」

「がはははは、確かにその通りじゃ…しかし、そんな所に隠しておったとは…」

藤吉郎は瓶に被さると

「勝手に飲むなよ、こいつを取りに行くのは大変なんだ。」

瓶のフタを開けると、盃に注ぎ、残りは瓢箪に詰めた。

藤吉郎は盃を信長、秀吉、規秀、十兵衛、そして帰蝶にも渡された。

「私にも宜しいのでしょうか?」

「なあに、良いってものよ…俺の教えを学んでいるそうで…それなら兄弟とも変わらん。」

全員盃を手に持ち上げた。

「それでは、中国古来の習わしを1つ。生まれた時は違えども、死すべき時は同じ時である事を願う…と言いたいが、この戦乱の世、もし仮に敵同士として戦うような事があったとしても、我が兄弟として恥じぬよう正々堂々と戦うべし!それ以外は仲良すべし!」

全員一気に杯を飲んだ。

信長は前回飲んだ酒よりキツイのが判った。

皆ほろ酔い加減になり、藤吉郎は懐から扇子を取り出すと、前回信長の前に見せた舞を踊り始めた。

全員の注目を浴びる

「兄弟、流石じゃのう」

舞っている藤吉郎に合わせて、秀吉は薪を床に叩き拍子を取っている。

十兵衛は腰から笛を抜くと奏で始めた。

焚火の揺らぐ炎が舞に幻想的な雰囲気をもたらせた。

『天照もこれなら岩戸から顔出すなあ』

藤吉郎は舞を止めた。気分よく床を叩いていた秀吉も手を止めた。十兵衛は訳も分からず笛を吹くのを辞めた。

藤吉郎は手を伸ばすと

「俺の棒を…」

信長は反りの入っている6尺もある黒い棒を持とうとした。

『何だこの重さは…これは木ではなく鉄?』

秀吉はその重い鉄棒を何とか抱えて藤吉郎に渡す。

「ヒデは援護を、サブとそちらのお連れさんは仏像の影へ…」

秀吉はするするするっと屋根の上に登った。

規秀は六角棒を手に取ると

「よし、わしも久々に暴れたるわい。十兵衛、二人をしっかりと守れよ!」

藤吉郎と規秀は外へと飛び出した。息も白い朝、那古野城の若い主は寒さで目覚め、外への戸を開けた。

庭は一面真っ白な雪景色、主は庭に出ようとするが履物がない。

横で何やら話し声がする。

「何奴!?」

声の方向には主の履物の上に、長身な男と少年と思しき座っている2人がいた。

長身な男の身なりは、ボロの紺の着物、反りのある六尺棒と風呂敷を背負い、腰には細い縄を何重にも巻き、瓢箪を4つ下げ、脇差しとは思えぬ長さの刀を1本挿していた。

手には細い枝を持ち、雪に何かを書いている。

少年は背負った刀の位置を直しながら、雪の上に書かれたものを見つめている。

長身の男は振り向きながらこう切り出した。

「人に尋ねる時は自分から名乗るものだぜ。」

主は長身の男と少年が自分の履物の上に座っているのを見て

「拙者の履物の上に座るとは不届き千万」

「ん?これか?、この雪の上に経つも辛いし、座っても寒い、丁度良い敷物と思ってな。」

男と少年は立ち上がり、若き主に履物を渡した。

「丁度温くて懐に入れていたのと同じ位の温かさだぜ、感謝しろよ。」

「無礼な、手打ちにしてくれる。」

若き主は刀を抜くと構える隙もなく、長身の男の持っていた枝に叩かれ刀を落とした。

「若!何事ですぞ。」

騒ぎに駆けつけた老人に対し弾かれた手をさすりながら

「爺、このうつけ者を即刻切り捨てい!」

男は高笑いして

「うつけ者かぁ、そいつはいいや!」

「若、この男は父上君より教育にと呼び寄せた…」

「拙者は木下藤吉郎、こいつは秀吉…宜しくな、吉法師(後の信長)」

主は自分の名を知っている男に驚いた。

「木下殿、確か貴殿のみとお聞きしていたのだが…」

「気にするな、こいつは単なる足軽頭の息子だ。」

秀吉はムッとして反論した。

「おいらはこれでも…」

藤吉郎は秀吉の口を塞ぎ…、耳打ちした。

「だからお前は一人前になれないんだ。」

顔を真赤にする秀吉、吉法師はまだ怒りが収まってない様子。

「ええい爺、構うもんか」

刀を抜いて斬りつける吉法師、太刀筋を交わすと腰につけていた瓢箪で頭を叩いた。

藤吉郎は、吉法師を睨むと

「吉法師、俺を切りたきゃ、この辺りの腕の立つ奴集めても無駄だぜ!」

おでこに軽く赤い痕が付き、吉法師は腰を抜かし、その場にしゃがみこんだ。

爺の隣りにいた部下が大慌てで誰かを呼びに行った。

「何でえ、噂ほど大した事ねえな、お前さんより、まだこの秀吉の方が強いぜ。」

爺は辺りを見回した。雪の上には足跡一つ残っていない。

『今朝方見た時には誰もおらなんだ、足跡付けずに一体どうやってここまで来たんだ?』

藤吉郎は草履を吉法師にポンと投げ渡し

「せっかくの雪、一番最初の足跡をつけたらどうだい?草履を温めてあるのだからさ…楽しまなきゃ損だ」

囲炉裏の前で藤吉郎、秀吉、吉法師が濡れた服を乾かしている。

吉法師は震えながら、温かい茶を飲んで藤吉郎に突っかかった。

「こんな雪の中で走り回るとは…とんでもない傾奇者じゃ」

藤吉郎は気楽に答えた。

「そうかい?後から吉法師の方が燥いでおった気がしていたがのう…」

「それは…」

囲炉裏の炎が照らす中、吉法師は俯いた。

「話は父君から伺っておる、この立派な那古野城の主であると…」

秀吉は辺りを見回す、大きな屋敷ではあるが、それ程手入れが行き届いているようには見えない。

吉法師は炎を真剣に見つめながら

「父上からは元服し、名は自らつけろと…」

「で、吉法師は何て名が良いと思っている?」

「拙者には兄上が2人おる、だから三郎と…」

「ほう、これまた慎まやかな…そうだ、父君の名を一字頂いて信長ではどうだ?」

「考えさせて貰う」

「それじゃ俺は三郎にちなんでサブと呼ばせてもらうがな…」

吉法師はふと藤吉郎に尋ねた。

「父上から、私に何を教えろと申されたか?」

藤吉郎は高く積み上げられた書物を見て

「これは全てサブが読んだのか?」

「はい、私めには書物を読む事以外、何の能も御座いません」

「噂とは違い、勤勉で真面目に勉強しておるしのう…う~む、何を教えたら良いものか?」

腕を組み、悩む藤吉郎。

「そんないい加減な…」

藤吉郎は腰から下げている瓢箪を取り出し、飲み始めふと思いついた様に

「そうかあ…まだ知らぬ習った事のないのを教えよう…世の中は広い、知らなければならない事も沢山有る、まずはこいつを飲みな」

ポンと投げた瓢箪を受け取り、中身を飲む

ほんのりとした甘みがあり、口当たりが良いのだが、喉が焼ける様に熱くなる。

「ケホッケホッ、何でござるか、この飲み物は…」

藤吉郎は瓢箪を受け取り笑いながら

「こいつは酒って言う代物だ、大人って奴はこいつを嗜む…鍛錬する時もこいつを飲む。」

ほろ酔いで気分の良くなった藤吉郎はすくっと立ち上がり、三郎の持つ扇子を手に取り立ち上がった。

「ふむ、ちょっとその扇子をお借りするぜ」

藤吉郎は歌いながら舞った。

その舞は美しく、信長は持っていた茶碗を落とした。

秀吉はニヤニヤと信長を見ている。

「そこのうつけもの、吉法師に対する狼藉や怪しげな振る舞い、覚悟~」

木戸が勢い良く開き、綺麗な着物を着た少女が薙刀を持って突進してきた。

藤吉郎は舞を止めるどころか、舞ったまま薙刀を交わし、持っている扇子で払った。

勢い良く突進してきた少女は、払われた反動でつんのめり、ひっくり返った。

舞っている藤吉郎の腕の中にすっぽりと収まる。

「おおっと、美しい姫君を傷つけては、俺の名が廃る。」

姫は頬を赤らめた。

「中々良い太刀筋…姫は良い剣客になられるぞ」

見事な動きに、信長は藤吉郎の前に土下座した。

「藤吉郎殿、拙者を弟子にして下され…」

藤吉郎は天井を見上げて

「俺は弟子を取らない主義たからなあテン」

「ではこちらの秀吉は…」

「おおヒデか…俺は弟子を取らないが義兄弟の契を交わしておる。こいつは拙者の弟分だ。弟分ゆえ、困ったときはお互い様。って事で困った事は教えておるかな?」

「では、拙者も弟分として義兄弟の契りを交わしたい!是非教えを…」

「慌てるな…もう酒も酌み交わした仲ゆえ、俺らは兄弟だな…」

「いや、願わくばちゃんとした杯を交わしたい」

藤吉郎は瓢箪を振り

「お主は真面目だなあ。仕方がない、一緒に酒を取りに行くか?」

姫は藤吉郎の腕の中でモジモジしながら

「あの~もし…」

「おお、すまんかったなあ」

藤吉郎は姫を腕の中から降ろした。

「今から酒を取りに行くが、一緒にいくか?」

爺が慌てて

「藤吉郎殿、さすがに若を外に出す事は、いささか問題が」

藤吉郎はジロジロと姫を見つめる。

「何か?」

赤らむ姫に藤吉郎は腕組みをして…

「ふむ、背格好はサブに似ておるなあ…兄弟ゆえ、顔つきも似ている。「姫、申し訳ないのだが…弟君の身代わりをしては頂けないか?」

「へっ?」

姫は驚いた、確かに背丈はほぼ一緒なのだが、まさか、弟の身代わりを務めるとは…

「先程の事…責任をとって下さるのなら…」

藤吉郎と秀吉、信長は、蓑姿で深い山間へと入っていった。

流石に山間は雪が深く、膝まで雪に埋まる。

「そろそろこいつの出番かな?」

秀吉は背中に背負っているかんじきを取り出した。

3人は足に付け、秀吉はピョンピョンと跳ねる。雪には埋まらない。

「こいつで大丈夫」

「準備ご苦労!」

「いやいや、兄貴の役に立てればそれに越した事は無いです。」

信長は来た道を心配そうに振り返る。

「どうした?何か心残りがあるのか?」

「身代わりとなった姉上の件が心配で…」

藤吉郎は笑いながら

「ふむ、奇行に及んでいた吉法師の噂は聞き及んでおるが…静かになって良いのではないかな?」

「あれは姉上の事です。父上は拙者ではなく、姉に家督を継がせたいと…心の底では思っているはずです。」

「ほう?」

「負けん気の強い姉は、旅の法師から武芸を学び鍛え上げ、今では那古屋城は愚か、近辺にて勝てる者はおらず…」

秀吉は笑いをこらえている。

「縁談も闘剣を持って語れ!と言って全て返り討ちにししまい、貰い手がない次第で、最近は今川頭首をこてんぱんにノシてしまいまして…」

秀吉はついに吹き出した。

「これ、人の事を笑うでない。サブは真剣に悩んでるんだぞ」

「姉上の事は、織田家の恥として内密にされており、奇行は全て私めが肩代わりしております。身内では女弁慶、織田弁慶と呼ばれておりまして、その勇ましさを私めの箔にと…」

秀吉は雪の上で笑い転げてながら

「それじゃあ、更に箔が付くんじゃないか」

不機嫌そうにする信長に対し藤吉郎は

「あいつは収まるまでほっとけ」

信長は不安げに

「姉上に元服の義を任せて大丈夫なのでしょうか?」

「更にうつけ者に磨きがかかるのでは?」

秀吉は茶化したが、

「姉は確かに変わっておりますが、誰にも負けない正義を心に秘めております…ただ行き過ぎるのが…」

「元服の義までに帰れば良いだけの話だが…」

信長は思い出したように

「あの美しき舞は一体…しかも尾張一の姉上の太刀筋すら交わしてしまうなんて。」

「あれか?あれはウズメの舞といって古来から伝わる芸能だ。天照大御神が天岩戸を開けてしまう位優雅な動きで、俺の好きな舞の1つである。」

「姉上に負けぬ立派な主になる為にも、ぜひ伝授を…」

「あれは元々女が舞うモノであって、男が舞うものではない…女ですらマトモに舞えないと言われており、俺も舞える様になるのに何年かかった事か…」

肩を落とす信長

「考え方を変えれば俺でも舞えるのだから、いつかは舞えるだろう。生涯を通して学べば良い。生きるなんてある意味、人生と言う舞台の上で舞っているようなモノだろう…」

信長は疲れながらも元気よく返事をした。

「はい!」

余裕で歩く秀吉、対象的に息が上がっている信長に対して

「まずは体力を付けなきゃあかんなあ。春になったら体力づくりから初めないとな」

「はい」

信長は行き切れ切れれに返事をした。

「なるほどな…それであいつは俺の太刀を欲しがった訳か…」

風景は開けた尾張とは違う、山々が連なう山奥へと入っていった。

雪も段々深さを増していく。

『兄貴は一体何処へと向かっておるんだ?』

信長はあまりの距離を歩き続けているのに疑問を感じた。

藤吉郎は唐突に二人に向かって質問した。

「サブ、お主は将来、どうしたい?」

「私は当主になるようにと父上に言い遣わされている、尾張を纏め上げ、無事御役目全うできればこの上ない…」

「ヒデはどうしたい?」

「あっしっすか?う~ん…」

秀吉は少し考えこんだ。

「そうだ、あっしは、この乱れた世を直すべく統一したいと思います。」

藤吉郎は笑いながら感心した。

「そいつは又、大きく出たなあ」

「一国一城の主でもあるまいし、農民風情が天下統一など出来るはずはない。」

信長は小声で呟いた。

「まあ、そう言うな、夢は大きい方が面白いし、遣り甲斐もある。それにわからんぞ?この乱世、こやつ本当に天下を取るかもしれん。」

秀吉は照れて

「えへへへへへ」

「サブ、戦において、一番基本的な事は何か知っているか?」

「それは、戦術と優秀なる武将だと思います。」

「おいおい、戦において、最も基本なのは兵だろ?手足となる兵がいて、初めて武将と言うものの価値が出て、戦術、戦略が使える。頭だけで戦は望めんよ」

信長は赤面した、確かに書物などにおいてはしっかりと頭に叩き込んではいたが、物事に関する基本は知らなかったのである。

「兵は民である。どんなに領土を広げても、民が居なけりゃ何の価値もない。」

秀吉が話に割り込む。

「田畑を耕すものも居なけりゃ飯も食えないっすよね。」

「その通り、民を愛し、民を想い、民を大事にしている事が、自ずと国力になる。国は民あっての国だからな。民が戦い、民で勝利している。俺の兄弟には、この教えを忠実に守り、民と共に暮らした戦に強いのがおる。」

信長は何かを感じ尋ねた。

「それは晴信公の事であるか?」

「さすが博識だなあ、晴信の事は知っているのかい?」

「景虎公と共に尊敬できる御仁である、兄貴は晴信公と縁があるのか?」

「なあに、一緒に酒を酌み交わした仲さ…そういや景虎も一緒に飲んだなあ、あいつ大酒飲みで泥酔すると…おっとこの話は兄弟の名誉として話せぬなあ…そう考えるとサブの兄貴分という事になるんかな?」

心なしか信長が少し微笑んでいたが

『何故、、兄貴は各地の主に会えたのだ?しかも戦中だというのに…』

信長の心配を他所に、藤吉郎は燥ぐ秀吉を相手にしながら歩いていた。

夕暮れ迫り、辺りは薄っすらと暗がりになり、山林の間が少し開け、朽ち果てているあばら家が見えてきた。

秀吉が戸を開けようとしても開かない、藤吉郎は重い戸を持ち上げ横に置いた。

中に入ると大きな仏像があり、どうやら寺のようである。

住職も誰もいない荒れ寺、床には大きな穴が空き、焚き火の跡がある。

「ヒデは薪を、サブは火起こしをしてくれ」

ぽんっと小さな袋を渡された。ずっしりと重い袋を開けると石が2つ入っていた。

「なんでえ、火打ちも知らないのか?」

藤吉郎は信長から石を取り上げると、建物の済においてある藁を一掴みにし、火打ち石を叩いた。

火花は藁に移り、薄っすらと煙を上げる。

藤吉郎はそっと持ち上げると息を吹きかけると藁が燃え始め、穴の開いている床の真ん中で焚き火をした。

薪を背中に沢山背負って秀吉が戻ってきた。

「ほう、城の主殿で火起こし出来ているとは…」

信長が俯いた。

「俺が起こしたんだ、誰でも初めてっていうものがあろうに…冷やかすものではないぞ」

秀吉は薪を脇において

「へーい」

藤吉郎は腰にぶら下げている一番大きい黒い瓢箪を紐から外し、信長に渡した。

「こいつに外の雪を詰めてくれ」

手渡された大きな驚嘆が手の中でその重さを感じた。

『これは鉄?』

「雪を詰めたら、焚火に入れてくれや」

外の軒下で薪を束にしていた秀吉が

「こんなボロ寺なら、そのまま薪にした方が早くない?」

背後から渋く低い声が響く

「これこれ…そんな罰当たりな事を言うものではない」

美濃に包まれた大入道の様な男が背後に立っていた。

「何奴!」

秀吉はとっさに身構え、背中の刀に手をかけた。

『こやつ、私より年下なのに、足軽の倅と申しておったが、ただならぬ動き、これも兄貴のお教えなのか?それとも又別か?』

手には六角六尺棒、後ろには信長や秀吉と変わらぬ年齢の少年少女が隠れている。

同じ様な蓑装束ではあるが、少年は腰に二本差しと笛を差しており刀に手をかけている。

「これ、慌てるな秀吉、こいつは敵ではないぞ…」

藤吉郎は焚火におにぎりを串刺しにした枝を側に立てていた。

「何かいい匂いがしとるのう」

大入道の様な男は寺の中に入り

「おお、兄弟久しぶり、あいも変わらずじゃのう…」

大男は焚火の前にドカリと座り、火にあたり、遠火で炙っている握り飯を見て

「なかなか美味そうな匂いじゃのう」

秀吉と信長が重い戸を閉め、秀吉は焚火の近くに薪を置き、信長は鉄の瓢箪を焚火の横に置き、二人は藤吉郎の隣りに座った。

秀吉は小声で藤吉郎に。

「兄貴~、この大入道は何者?」

大入道は笑いながら

「わしは長井新九郎規秀(後の斎藤道三)と申す元は僧侶じゃ、昔は法蓮房と申してな、この荒れた美濃を見て何とかせねばと思い、この地にて根を下ろしている。こいつは娘の帰蝶(後の濃姫)と甥の十兵衛(後の明智光秀)じゃ。」

信長は不安げに思った。

『美濃…敵地か。こんなに尾張から離れて大丈夫なのか?』

帰蝶と十兵衛は藤吉郎に軽く会釈した。

「息子と言うものは駄目じゃのう、甘やかして育てたせいか、わしの言う事なんぞ聞きやしない。その点この娘の帰蝶と甥っ子の十兵衛は、兄弟の教えを真面目に受け継いでおる。」

「これはこれは…俺の話は面白いかい?」

藤吉郎の優しい声に二人は頷いた。

「わしも元仏門だが、その教えは気にいっとるぞ!」

藤吉郎は腕を組み

「そんなものかねえ…」

「中々為になる話っすよ。他の教えは偉そうで、中身ないっすから…特に私情論や感情論は勘弁して欲しいっすよ。」

「ヒデは色々な師から学んでいるからなあ…」

秀吉は照れ笑いして

「えへへへへへ」

「もう良い頃だろう」

藤吉郎はほんのりきつね色した握り飯を信長に渡した。

「旨い…」

薄っすらと味噌が塗られ、固くなっていた米が熱によって柔らかくなり、周りが火によって軽く焼けてパリパリとした食感。

「こいつも食うかい?」

信長は差し出した干し肉にかぶりついた。

ただの干し肉ではない…肉の臭みもなく、塩味とほんのりとした甘みを感じた。

「さすがは育ち盛り…良い食いっぷりだ」

秀吉は肉を見ながら

「兄貴~、これはこないだの…」

「こないだの熊だが、何か問題あるか?」

信長の食べる手が止まった

規秀はかぶりつきながら

「この熊肉は旨いのう…こんな肉、今まで食ったことがない」

「こいつは滋養強壮にも良い、いわば薬膳だな…結構手間かけて作ったから臭味もなく旨かろうに」

信長は安心してかぶりついた。

秀吉はニヤニヤとしながらかぶりついた。

「そういえば兄弟、美濃守護代の斎藤利良殿が、わしに後を継ぐようにと煩いんじゃが、どうするべきかのう。」

信長は思い切って話の間に入る。子供が大人の話に割り込むのは当時としてはご法度である。

「拙者織田家縁の者、長井殿の心中は察します。が、しかし、民を思うのであるなら、民の為に継ぐべきと思われます。」

「ほう、この坊主、なかなか言うではないか…気に入った!名は何と申す。」

「拙者、織田三郎信長、以前は吉法師と名乗っておりました。」

「おお、お主が吉法師殿か…噂には聞いておるが礼儀正しい…まるで別人じゃのう」

「藤吉郎殿とは義兄弟の契りを交わしにここにまいった所存…」

「ほほう、その兄弟の杯、わしも入れてはくれんかのう。」

藤吉郎は規秀をなだめるように

「兄弟、拙者との杯はもう済ましておろうに…」

「がははは、そうじゃった…まあ、その…旨い酒を酌み交わすのが好きなもんでのう。それに、この地では不心得者が多くていかん、安心できる兄弟が1人でも多ければ、わしは嬉しいものだよ」

藤吉郎は仏像の裏から瓶を引っ張り出して

「そっか~」

信長は仏像の裏に酒の瓶が置いてある事に驚いて

「何と言う罰当たりな…」

藤吉郎は笑いながら

「こいつは仏様が守って下さる有り難い酒だぞ!」

「がはははは、確かにその通りじゃ…しかし、そんな所に隠しておったとは…」

藤吉郎は瓶に被さると

「勝手に飲むなよ、こいつを取りに行くのは大変なんだ。」

瓶のフタを開けると、盃に注ぎ、残りは瓢箪に詰めた。

藤吉郎は盃を信長、秀吉、規秀、十兵衛、そして帰蝶にも渡された。

「私にも宜しいのでしょうか?」

「なあに、良いってものよ…俺の教えを学んでいるそうで…それなら兄弟とも変わらん。」

全員盃を手に持ち上げた。

「それでは、中国古来の習わしを1つ。生まれた時は違えども、死すべき時は同じ時である事を願う…と言いたいが、この戦乱の世、もし仮に敵同士として戦うような事があったとしても、我が兄弟として恥じぬよう正々堂々と戦うべし!それ以外は仲良すべし!」

全員一気に杯を飲んだ。

信長は前回飲んだ酒よりキツイのが判った。

皆ほろ酔い加減になり、藤吉郎は懐から扇子を取り出すと、前回信長の前に見せた舞を踊り始めた。

全員の注目を浴びる

「兄弟、流石じゃのう」

舞っている藤吉郎に合わせて、秀吉は薪を床に叩き拍子を取っている。

十兵衛は腰から笛を抜くと奏で始めた。

焚火の揺らぐ炎が舞に幻想的な雰囲気をもたらせた。

『天照もこれなら岩戸から顔出すなあ』

藤吉郎は舞を止めた。気分よく床を叩いていた秀吉も手を止めた。十兵衛は訳も分からず笛を吹くのを辞めた。

藤吉郎は手を伸ばすと

「俺の棒を…」

信長は反りの入っている6尺もある黒い棒を持とうとした。

『何だこの重さは…これは木ではなく鉄?』

秀吉はその重い鉄棒を何とか抱えて藤吉郎に渡す。

「ヒデは援護を、サブとそちらのお連れさんは仏像の影へ…」

秀吉はするするするっと屋根の上に登った。

規秀は六角棒を手に取ると

「よし、わしも久々に暴れたるわい。十兵衛、二人をしっかりと守れよ!」

藤吉郎と規秀は外へと飛び出した。

現在執筆中……


あとがき

金庸先生が日本にいて小説を書いて居たらと言うコンセプトで始めております。

2015年11月に小説家の方とお会いして、暖めていたコンセプトを話しました。

「面白い、それはいける」との声でコンセプトを固めつつ、ようやく少しずつ発表と言う形になりました。

目標は1ヶ月に最低1回の更新…そんなに多く書くのは出来ません。

今も膨大な資料とにらめっこしながら格闘しております。

ストーリーは嘘吐きですからね、なるべくは史実に合わせつつもどう変えていくか?を楽しんでおります。

史実は変わらないし、歴史は変えられない…だけど解釈は変えられる。

信長の劇的で剣客としての最後を構想しつつ、少しずつ決められたゴールへと向かっています。

果たして、日本で武侠は通じるのか?

一番題材にされている時代背景で、又一味違う世界を楽しめたら、文盲である私めは嬉しい限りです。 

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