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スニーカーブームが終わるらしい

私はスニーカーが好きだ。
ニューバランスのモデルを調べていくうちに、NIKEも買い始めた。
集めるようになったのは2022年からなので日はとても浅い。
でも何やら「ブーム」が終わるらしい。
ブームというものはブームなのだからいつか終わりが来るものだろうという「人はいつか死ぬ」みがあるかもしれない。
しかし、ふと思う。
これは一体誰にとってのブームだったのだろう?

NIKEの時価総額を見ると2021年あたりにピークがあるので、最近までずっと上がってきているわけではないらしい。
Foot Lockerも同様に推移しているから小売も同じようだ。
そもそも数字で見ようというのが無粋なものなのかもしれない。

ではもっとふわっとしたものを、声高らかに発言しようと思う。
今回のスニーカーブームは「デジタル化した二次流通市場のためのものだったのではないか?」

スニーカーの二次流通自体は今に始まった事ではないのだろう。
しかし、これほど気軽に二次流通市場にアクセスできるようになったのはStockXやスニダンの台頭による今回のスニーカーブームの特色なのではないだろうか?(もっと早くからメルカリもそのような用途で使われていたのかもしれない)
これにより、いわゆる転売を行えるハードルが低くなったのでは?そして、そのような人達の母数が多くなったのでは?と思う。

抽選に当たりさえすれば、一定の利益が見込める。
そしてその抽選に人海戦術で挑む。
買えなかったスニーカー好きは二次流通サイトで一定の上乗せを飲み込んで購入する。
お金さえ払えば、新発売のスニーカーは買えるのは買える。
それもスニーカーショップで買うより大抵安く買える。
二次流通サイトの相場にいつでもアクセスできるので、それが相場感になる。

このシステムに正直悪い人はいない。
別に転売する人も法に背いていることもない。
でも何か「ワクワクしない」のだ。

抽選に当たった!というような。
掘り出し物を見つけられた!というよな。
何かそういうワクワクが欠けているように感じるのだ。
資本主義を突きつけられている、どこかそう感じてしまう。

そしてスニーカーブーム終焉の足音が聞こえ始めると、二次流通サイトはトレカに注力しているように見える。
株式会社として「成長」を目指す以上仕方のないことなのだが、なんだか寂しい気持ちになる。

結局何が言いたいかというと、スニーカーやらトレカやらを好きで買おうとしてる私は転売屋erにむかついているのであろう。
それを野放しにするしかない構造にむかついているのであろう。

しかし今の私にできることは欲しいスニーカーのためにできるだけたくさんのサイトで抽選に申し込むことだけなのだ。
今日もパートナーに内緒でスニーカーを買う計画を夜な夜な立てていく。


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