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ポール・ウェラー ライブ・レビュー 2024.2.3 EX THEATER ROPPONGI

2006年にZEPP東京で見て以来、18年ぶりのポール・ウェラーのライブ。前回のライブがウェラーのソロに対する僕の評価をひっくり返すくらいよく、今回見ておかないともう見られないかもしれないと思って土曜日の夜に六本木まで足を運んだ。最近そう思ってライブに行くことが増えた。

僕は、僕たちはポール・ウェラーになにを求めているか。ウェラーは、ザ・ジャム、ザ・スタイル・カウンシルからソロへ、スタイルは変遷させながらも一貫して僕たちの感情の爆心地を直接ヒットするようなビートを鳴らし続けてきた。そこにあるのは躊躇なく僕たちの生の最も固くあるいはやわらかく、熱くあるいはクールな場所に切りこんで行くバカ正直なまでの真摯さだ。僕たちは猪木にビンタを張ってもらうようにウェラーの音楽を聴いてきた。その真摯さ、その直接性はまだそこにあったか。

あった。間違いなく。熱量を増して。

驚いたのは、ソロのレパートリーがどれもメタリックといってもいいくらいの硬質な手ざわりを具えていることだ。曖昧な音はひとつもなく、リバーブによるごまかしもなく、ただそれぞれにエッジの立った楽器の音がまっすぐこっちに向ってくる、その圧がまるでなにかの物理的なかたまりのように衝撃してくるように感じられた。スローナンバーであっても、そこにあったのはハッとするくらい冷たい水のような、くっきりとした輪郭と清冽さであった。

適当にやりすごしたり見て見ぬふりをすることを許さない、全力で向き合うことを初めから前提にした強度の高いコミュニケーションがそこにあり、僕たちは全員がそこにおいて当事者であることを求められた。そしてそれは僕たちが求めていたものでもあった。いや、まさに僕たちが求めていたものにほかならなかったのだ。

ジャムやスタイル・カウンシルのレパートリーも披露されたが、それらはグッとテンポを落とし、低い重心で演奏されることで他の曲とのバランスが調整されていた。「Shout To The Top」のあの特徴あるイントロも、軽やかであるよりは打撃的であった。

ポール・ウェラーは65歳。彼がこれまでどのように華々しいキャリアを築き、他では代えのきかない作品を残してきたとしても、老いや衰えを意識せずにはいられない年代である。そして僕たちも半ば無意識に、その分を割り引いてこの日のライブに対する期待値を設定していたはずだ。しかしそれはあっさり裏切られ、彼に、ポール・ウェラーに限ってはそのような配慮は無用であることを思い知らされた。

背筋は伸び、声は無尽蔵かつ表情豊かであり、中央のホームポジションとキーボードとを幾度となく往復しながら最後までシャウトし続ける姿は、プロのミュージシャンとしてひとつの水準を示していた。バンドの演奏は縦にも横にも狂いなく照準が合っていて、全体として今見ることのできる最も質の高いロック・パフォーマンスではないかと思ったし、なによりそれがオーディエンスの「今、ここ」を的確にヒットしていたことが重要だった。

いつポール・ウェラーを知ったかによって彼に対するイメージはそれぞれ異なるだろう。スタイル・カウンシルから彼を知った人も少なくないはずだ(僕もそのひとりだ)。しかし入口がなんであれ、この日はそうしたスタイルの変遷の向こうにいるひとりのアーティストの、スゴみとしかいいようのないパフォーマンスに打ちのめされ、なにかを言い訳にして毎日を先延ばしにしてきた自分を恥じるくらいの衝撃のあるステージだった。ロックというのはこうして年を経るのだという記録を、ウェラーはまた塗りかえたのだ。

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