佐野元春ライブ・レビュー 2023.9.3 東京国際フォーラム
昨年リリースされたアルバム「今、何処」の収録曲をまとまった形で演奏する初めてのツアーとなった。初日の戸田が所用とバッティングして行けず、東京と横浜での公演を一日の間隔ではしごした。
「今、何処」が非常に完成度の高い、現在の佐野のすべてをブチこんだと言っても過言ではない力作だっただけに、それがライブでどう表現されるのか非常に楽しみにしていたツアーだったが、アルバム・リリースから一年以上経ってからの公演となったことは少し残念だった。
ライブの内容は想像どおりアルバム「今、何処」の収録曲を中心としたもので、『永遠のコメディ』を除く全曲が、CDのランニング・オーダーに沿い前半と後半に分けられて演奏された。また前半と後半のあいだには昨年リリースされたもう一枚のアルバムである「ENTERTAINMENT!」からの楽曲も披露され、本編ではそれ以外の演奏曲もコヨーテ・バンド以降のレパートリーで占められた。
結論からいえば、ライブそのものは非常によく整理され、内容の濃いものだった。特に、アルバム「今、何処」の収録曲がラウドなギターの鳴りで表現されることで、それぞれの曲がもつニュアンスが更新され、スタジオ音源だけで形成されていた自分のなかの曲のイメージが、「こういう曲でもあり得るのか」という形で拡張して行くのを感じた。
たとえば(すでに何度も書いていることだが)スタジオ音源ではポップなミドル・ナンバーに聞こえる『銀の月』がライブでは「はかない世界さ」あたりからのシークエンスでハードなギターのリフが曲の表情を一変させるし、『冬の雑踏』では藤田の軽妙なカッティングがこの曲のもつハネたリズムをきわだたせる。また、アルバム「ENTERTAINMENT!」収録の『新天地』もバンドで演奏されることによって「今、何処」の収録曲と同期していることが示されたように感じた。
全体としてはアルバム「今、何処」の完成度の高さがライブ全体のパフォーマンスをしっかり支え、そこに示された我々の現在地を問う視点がひとつの空間のなかで直接共有された。「今、何処」はスタジオ音源として初めに姿を現し、一年をかけて僕たちにそれぞれのイメージを焼きつけたあと、今、ライブで演奏されることでようやくその全貌を明らかにし、ひとつの音楽体験として、表現として完成したのだ。
ただ、アルバム「ENTERTAINMENT!」からの曲が少なかったのは残念で、当初は「今、何処」収録曲と合わせた2枚組アルバムも構想されたという双子の弟のような作品からも、たとえば『東京に雨が降っている』や『少年は知っている』あたりが今回のセット・リストに入っていれば、この2枚のアルバムの関係がより立体的に理解できたのではないかと思った。
以前からバンドに帯同していたパーカッションの大井洋輔が昨年の「WHERE ARE YOU NOW」ツアーに続いて参加せず、佐野を含め6ピースのバンド構成となったが、MCでも言及されたとおり結成から18年を経て演奏は不安のないもの。特に小松のドラムが年々パワフルになっているように思える。
だが、それだけに、特に今回のライブの核となる「今、何処」からの大半(ほぼ全部か)の曲で同期音源が使用されていたのは残念だった。アルバム収録曲のアレンジの完成度が高く、収録曲の初披露ともなるツアーでライブ向けにリアレンジするのがむずかしい事情はわからなくもないが、機械のクリックに合わせて演奏することで演奏が型にはまり窮屈になる憾みは否めない。
僕たちはライブにスタジオ音源の再現を求めているわけではない。ライブでしか実現できない一回性、偶発性を含んだパフォーマンス、再現不能なそのとき限りの体験自体に価値を見出しているのである。出来不出来も含めて、その場でしか感じられない息づかいや掛け合いの熱こそがライブのメイン・コンテンツにほかならず、その場にない楽器の音をメモリから鳴らし、それに合わせて人が演奏することは、本来そうしたライブ・パフォーマンスのダイナミズムを損なうリスクが高いもの。
同期音源が効果的に使われる場面ももちろんあるだろうが、現在のコヨーテ・バンドは、楽曲理解も佐野とのコンビネーションもこれまで積み上げたものが結実して、6ピースでも不足のないひとつの表現力のピークに達しており、むしろ同期音源の力を借りずに新しいレパートリーをどう演奏するかを見たかった。
加えて、ステージ後方のスクリーンに映し出される映像も、ときとしてライブの感興に介入していたと思う。映像と演奏のシンクロが効果を上げることはあるだろうが、特に歌詞の映写など「意味のある」映像にはついつい視線をもって行かれ、肝心のステージの様子やバンドのパフォーマンスから注意がそれてしまうことが少なくなかった。特にカラオケ並みにほぼ曲を通して歌詞が映し出された『植民地の夜』などはちょっと勘弁してほしかった。試みとしては意欲的なものだと思うが、もう少し工夫というか配慮があるべきと思った。
なお、国際フォーラムではアンコールのMCで亡くなった大瀧詠一、パンタ、忌野清志郎、坂本龍一の名前を挙げ、彼らがいなくなった世界で「ぽつんとした感じ」だとコメントしたうえで、それでも彼らの系譜に連なって音楽を作り続ける意志を示し、最近はライブで演奏されることの少ない『SOMEDAY』を披露した。記憶されるべき重要なステートメントだった。
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