佐野元春「今、何処」全曲レビュー
2022年7月6日にリリースされた佐野元春の新しいアルバム「WHERE ARE YOU NOW」の収録曲を1曲ずつ順にレビューする試み。全部レビューしたところでアルバム・レビューに進む予定。
OPENING
アルバムの導入として冒頭に置かれた20秒ほどの短いオーバーチュア。シンセサイザーの重い鳴りとピアノの固いストロークが、佐野自ら「コンセプト・アルバム」と呼ぶ「WHERE ARE YOU NOW」の48分間の旅の始まりを告げる。このアルバムの、硬質でシリアスな現実認識を予感させるかのように不穏な印象だが、それは結局のところ世界を満たすさまざまな音、さまざまな声の重なり合ったものなのかもしれないと思う。世界の扉が開く音。
さよならメランコリア
シンプルでハードなブギー・ナンバー。三連のハネたリズムがクルマでいえば後ろのタイヤで駆動するように曲をグイグイと前に押し出してくる。過去にも『新しい航海』などのブギー調の曲はあったが、この曲に備わった動因は際立って強い。それはこのアルバムを牽引し最も位置エネルギーの高い地点まですべての水を運び上げるために必要なものなのだろう。深沼と藤田のギター、渡辺のハモンドが、この曲の出自を明らかにしている。
「ぶち上げろ魂」という歌詞にはちょっと驚いた。佐野としては珍しい言い回しでリスナーに軽くフックを食らわせ、そこからこの曲の、そしてこのアルバムのテーマである「最近みんな気づいてきた 過去はあてにできないって」「少しずつ沈んでくネイション」といったヘヴィな現実認識をまさにブッこんでくる。もう憂鬱なままではいられない世界で、まだ間に合うようにという祈りはこのアルバムを貫く。水脈はつながっているのだ。
銀の月
やや速めのビート・チューン。告知サイトでは「どこか80年代を感じるポップ・ロック」と紹介されているが、ギターのカッティングもしっかり聞こえてきて、まぎれもないコヨーテ・バンドの音だと分かる。このバンドの演奏がいつの間にか記名性を獲得したことを改めて感じさせる作品。ストレートな曲調だが、Aメロに戻らずサビ、間奏、サビと展開して行く構成が先に進む佐野の意志を明らかにし、ストーリーを紡いで行くかのようだ。
弱い者同士が互いに追い詰め合う不寛容な世界、限りある余裕を奪い合いながら今日という日を生き延びる窮屈な隙間を、等しく照らし出す銀の月は「負のエネルギーを引き出し、それを正のエネルギーに置き換える」のか。かつて「銀の雨」について、また「紅い月」について歌った佐野が、いま銀色の月の光の下に見るものはなにか。悲観的すぎるシナリオを書き換え、愛しいとも思う理由を信じる力を切実に求める、困難な時代の祈りだ。
クロエ
ミドル・テンポのポップ・チューンでありシングル・カットされた。「クロエ」は女性の名前だが歌詞には出てこない。ボリス・ヴィアンの小説「うたかたの日々(日々の泡)」の主人公で、肺に水蓮の花が咲く奇病で死んでしまう女性の名前から採られたものか。シンセサイザーのフレージングが印象的で、従来のバンド・サウンドから一歩進んだ広がりを感じさせる。佐野のアレンジとバンドの表現力がともに新しいステージに達している。
ブリッジを置かないシンプルな構成で曲サイズも3分強と短いが、凝縮された情感が息苦しいくらい濃密で、官能的である。正義も悪もなく、過去も未来もない、ルールも約束もなく、右も左もない、恋はそれ以外のすべてを留保し、暫定的であるからこそ「時はため息のなかに止まる」。どこにも行き着かない思いだけがその暫定的な時間のなかで静かに揺れる、恋の本質を描き出す佐野の視線はしかし暖かく尊い。彼女が恋をしている瞬間。
植民地の夜
ミドル・テンポのビート・ナンバー。深沼と藤田のツイン・ギターに加え佐野がグレッチを弾き、渡辺のウーリッツァーと合わせてクラシックなロック・サウンドを聴かせる。挿入されるシンセサイザーのフレージングも効果的で、この曲のハード・エッジなトーンにポップなチャームを添えている。2001年に行ったポエトリー・リーディングのライブ「植民地の夜は更けて」から、現代社会に対するクリティカルな視線を引き継いだものか。
実際「盲目の声に的を絞った 邪悪なプロバガンダ」「人の心のもろいところ 狙ってるテクノ・スパイダー」といったフレーズは、「事実なんかよりマシなフェイク」が横行し本当に必要なものが巧みに隠されている世界で弱い者から順に闇に堕ちて行くさまを、抵抗できない宗主国に支配された植民地になぞらえたものだ。シリアスなイメージを、しかし重心が低くタメの利いたポップなロックに仕立てる佐野とバンドの力量が頼もしい。
斜陽
一瞬『Here Comes The Sun』を思わせる導入で始まるミドル・テンポのポップ・ナンバー。2021年11月に行われた「ZEPP TOUR 2021」でアルバム・リリースに先がけて披露されていた。シリーズ・ライブ「Smoke&Blue」でおなじみの笠原あやのがチェロで参加している。スネアを使わずハイハットとキックだけで曲をドライブすることによって息が詰まるような緊張感が生まれる。テーマはタイトルのとおり「ゆっくりと落ちぶれて行くもの」。
それがいったいなんであるかはリスナーに委ねられているが、例えば『さよならメランコリア』の「少しずつ沈んでくネイション」といったラインと照らし合わせれば、少しずつ衰退しているのにだれも責任のある答えを用意できない我々の社会のことを厳しく指さしているようにも思える。佐野がそこにおいて求めるたったひとつの約束は「君の魂 無駄にしないでくれ」。状況の貧困は魂の貧困に帰結するのか。我々はそれを問われている。
冬の雑踏
佐野自身によるブルース・ハープのイントロが印象的な、ゆったりしたテンポの16ビート。シンコペーションを多用し、高桑のベースがハネたパターンを奏でて、躍動感のあるモダン・ソウル・チューンに仕上げている。カッティングは藤田か、深沼か。アルバムの中盤にさりげなく置かれたリラックス・ナンバーにも聞こえるが、そこはアナログではA面のラストにあたる位置。この曲がこの場所に置かれたのは決して偶然ではないはずだ。
この曲の英文タイトルはアルバム・タイトルと同じ『Where Are You Now』。『今、何処』が1分に満たないクロージングであることを考えれば、このアルバムのタイトル・チューン、キー・コンセプトはまさにこの曲なのだ。今はもう昔のようには踊れず、気高い魂を救うこともできない。なにかが決定的に損なわれた場所で、それでもだれかのために祈り続ける。なぜならそれが我々にできる最良の営為だから。そう、この街のどこかで。
エデンの海
2019年10月に開催された平和イベント「ZERO Project TOKYO」で『White Light - 閃光』としてMVが公開された曲。イベント関連のYouTubeなどでもMVが視聴できる。アップ・テンポなギター・ロックで、クラシックなスタイルの渡辺のハモンドが印象的。アルバムのなかでももっともロック・オリエンテッドなナンバーだ。このアルバムの他の多くの曲と同様にシンプルな曲構成で、3分半にまとめられているが聴き終えた後の感触は分厚い。
佐野が求めるのは「一瞬の光」。当初タイトルだった『閃光』も直接的で悪くないと思う。「私たちの幸運は きっと永遠には続かない」から今すぐ光を放って闇を照らせと歌う佐野は、変わり続ける世界にあって今このときを切り取る強い欲求の話をしている。エデンからゴルゴタまで、世界のはじまりから神の子の死まで、僕たちは最後の審判を待ちながら、一瞬の強い光がすべてを残像のように焼きつけるのを見る。光を放て、今すぐ。
君の宙
「宙」は「そら」と読ませるのか。スロー・テンポのバラードで、渡辺のピアノから始まりシンプルなバンドでの演奏になって行く。オーソドックスな構成でコンパクトな曲だが確かな手ごたえがある。佐野がこのアルバムで訴えかけたいことのひとつをかなり直接的に表現した曲のひとつ。「国を守れるほどの力はないよ」という歌いだしにハッとさせられるのは、かつて「国のための準備はもうできてるかい」と問われて以来かもしれない。
大事なものを守りたいという素朴な感情はだれにもあるものだが、それを社会化することは難しい。人は往々にしてなにを守るべきかを見失い、いつのまにか大きな力にのみこまれて行くことも多い。「それでも君を想いたい」「すべては君の心のおもむくままに」というラインからは、僕たちが本当に守るべきものはシステムではなく、僕たちの内側にある思索の自由のはずではないかという佐野の問いかけが聞こえるようだ。強度の高い曲。
水のように
アップ・テンポのポップ・チューン。佐野がかき鳴らすマーチンと渡辺のピアノが印象的でアレンジはシンプルなギター・ロックだ。Aメロ→サビを3回繰り返す曲構成で、このアルバムでは長めの曲だがそれでも4分半には満たない。ここでの佐野の「水」のイメージは「流れて、砕いて、形を変えて」「優しく、激しく、ありのままに」そして「絶えまなく、淀みなく、自由に」。この自在な喚起力は佐野元春の表現の最も根幹にあるものだ。
40年を経て『麗しのドンナ・アンナ』をリファーしているのが興味深い。かつて空回りのファイトを胸に「君を信じている」と歌った少年は、今、水になって眠れと僕たちに語りかける。「いつか会えるその日まで元気で」というメッセージは、戦いは結局のところひとりひとりにおいて戦われるしかないという「個」の確認のようにも聞こえる。その上で、互いにこの困難な時代を生きのび再会を期する静かな決意。バンドのコーラスがいい。
永遠のコメディ
トーキング・ブルース・スタイルのスロー・ソング。5分弱とこのアルバムでは最も長く、アルバムの中核をなすメッセージを含んだ重要な曲だ。残酷な分裂、巧妙な略奪、静かな検閲、引き裂かれた世界でよるべを失い離ればなれになった個をたやすくからめとって行く洗練された全体主義のなかで、どこにも属さない僕たちの魂はどのようにして善く生きることができるのか。佐野はその答えを示さない。ただすべては無常に移ろうだけだ。
あたかも完全であるかのように作り上げられた片輪な世界。だが世界が不完全なのは僕たち自身が不完全であることの写し絵にすぎない。そこにあるのはもはや党派の対立ですらなく、ただどうにもできないような現実を知って右往左往する人の群れだ。そのさまを、佐野はいつまでも終わらないコメディになぞらえた。空気が足りないことをカナリアのようにだれよりも早く知らせるのが詩人の仕事であり、その先は僕たち自身の領域なのだ。
大人のくせに
ツイン・ギターと渡辺のハモンド、小松の手数の多いドラムでドライブするミドル・テンポの16ビート・ナンバー。騒々しいアレンジと軽妙なリズムに乗せてサビのないAメロだけが繰り返される珍しいパターンの曲だ。もう大人なのに簡単に傷つき、世間の皮肉や風刺におろおろする「君」とは、フェイク・ニュースや根拠のない誹謗中傷が横行する匿名のコミュニティで疑心暗鬼に陥り、英雄の出現を待ち望んでしまう僕たち自身のことか。
そこで迷路にハマり意気揚々と怪しげな自説をまくしたてる偽名の気取り屋も本当は「ただどうにか傷口をかばってるだけ」「心ないこんな世界を笑いとばしたいだけ」なのだと佐野は歌う。この怪しげな世界で本当の孤独を引き受け、ひとりでずっと歩いて行くことのできる強さはどこで手に入れることができるのか。英雄もファシストも必要としない確かな視界はどの高みで得ることができるのか。ポップ・ソングに忍ばされた寸鉄は鋭い。
明日の誓い
ギターのリフが印象的なミドル・テンポのフォーク・ロック・ナンバー。山本拓夫(サックス)と西村浩二(トランペット)によるブラスをフィーチャーしている。アルバムの事実上のラスト曲であるが、重い現実認識についても正面から切りこんだアルバムの締めくくりとしては意外なほど軽快だ。なによりブリッジの「理想がなければ人は落ちてゆく」「希望がなければ人は死んでゆく」というはっきりしたステートメントが佐野らしい。
こうした表現が上すべりせず、しっかりとした手ごたえと説得力をもって聴き手に届くのは、佐野が、シリアスな現実認識をポップ・ミュージックとして流通させることに強くこだわったこのアルバム全体のトーンを踏まえながら、あたりまえに見える言葉のひとつひとつを丁寧に、厳密に再定義しながら用いているからだ。最後に高らかに吹き鳴らされるブラスは日常に息をひそめながら現実を見定めようとする者たちへのファンファーレ。
今、何処
アルバムの最後に置かれたアンビエントな作品。ギターとシンセが不穏なコードを鳴らす奥から「ここどこ」「みんな今どこ」というつぶれた声が聞こえる。つかのま同期しようとしている孤独な魂たちが、不確かな世界で周波数を合わせるように互いを呼び合う声のようにも思える。英文タイトルは『Where Are We Now』。「君」を探す営みから我々自身の現在地を探る視点への転回。最後にバックドアを開き作品をリスナーの手に委ねた。
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