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エルヴィス・コステロ ライブ・レビュー 2024.4.8 すみだトリフォニーホール

エルヴィス・コステロというのがいいらしいと聴いて初めて買ったアルバムが「King Of America」だったのに、この日『Jack Of All Parades』の特徴あるイントロを聴いても「これ、知ってるけどなんだっけ」と思ってしまったのはコステロがもう数えきれないくらい音源を発表している多作なアーティストだからか。

2016年の秋以来、7年半ぶりのコステロのステージだが、今回はスティーヴ・ナイーヴと二人での来日で、基本的にギターとピアノでのパフォーマンスとなった。そのためどの曲もオリジナルのバンド・アレンジとは必然的にアプローチが変わり、歌い始めるまで(なんならサビにくるまで)なんの曲かわからないものも少なくなかった。

とはいえそんなことはどうでもよく、重要なのはすぐそこでコステロがなぜか3本立てられたマイクをうろうろしながらギターをかき鳴らして歌っているということで、それだけで説得力があるというか、これまでも好きなようにやってきてこれからも好きなようにやって行くアーティストの、「今、ここ」のスナップショットに立ち会えたことを寿ぐべきライブだったということなのだ。

「成長なんか要らないというのは天才にだけ許されたあり方なのかもしれないが、とにかくコステロには成長も進歩もなく、ただ初めからもう完成していた自律的な表現だけがそこにあって、コステロは死ぬまでその口寄せを続けて行くのだと思った。コステロはよぼよぼのジジイになってもギターを渡したら絶対掻き鳴らして歌い始めるだろう。僕はそれにつきあって行く」

これは僕が2016年のライブ・レビューに書いたことだが、コステロは7年半たっても変わってなかったし(まあ、変わるはずがない)、そこにあるのはコステロ体験とでも呼ぶほかない圧倒的なもので、コステロは日々積みあがって行く自分のなかの表現衝動にコンスタントに出口を与えないと死んでしまうのだと思う。泳ぐのをやめると死んでしまうマグロのように。

ロックというジャンル自体がリスナーとともに歳をとり、老いとロックという未知の領域が切り拓かれようとしている。ストーンズはどうか。クイーンはなにをしているか。コステロは、問題のある人生がそこにある限りロックもまたそれとともにそこにあるのだということを、ただギターをかき鳴らして歌うこの日のライブのパフォーマンスで示したのだ。

コステロがあの声を張りあげ続ける限り、それは僕の心のどこかに引っかかるだろう。コステロがあのメロディを歌い続ける限り、それは僕の胸の中心の柔らかいところを突つくだろう。できがよければよかったで、悪ければ悪かったで、それは僕の記憶に残り続けるだろう。それを改めて確信させるライブだった。

とはいえギターとピアノで歌われるナンバーはほどよく心地よく、なんどか夢の世界に旅立ちそうになった。やはり次はバンドで見たいが、とにかく見れるときに見ておくことができてよかった。

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