佐野元春ライブ・レビュー 2024.7.12 Zepp Haneda
仕事をなんとか切りあげ、浜松町からモノレールに乗って天空橋へ。こんなところにライブハウスができているなんて知らなかった。
追加公演となる来月の横浜を除けば、東京は1か月のライブハウス・ツアーの終盤。チケットは即完らしいがなんとか二日公演の初日の席を確保した。ライブハウスとはいえアリーナに椅子を並べた形式。傾斜のない床でたまたま自席からステージがクリアに見えたのはラッキーだった。
ほぼ定刻に始まったライブは、リアレンジされた80年代、90年代のナンバーでスタート。6月に配信リリースされた新録の『Young Bloods』もスタジオ音源に沿った形で披露されたが、このセクションでは『欲望』がとりわけ印象に残った。
オリジナルでは終始たゆたうようなビートに都市生活のブルースが乗せられて行く構成になっているが、この日のライブでは途中からビートが挿入され、魂の危機がより同時代的に響くように感じられるアンビエントなリアレンジが施されていた。オリジナル・リリースから30年、混乱する世界で佐野の警句は変わらず力を持ち得るのか、敢えてそれを問うパフォーマンスだった。
このセクションでは6曲が披露され、そのなかには『欲望』のように曲が本来持つポテンシャルで2024年の空気を震わせる演奏もある一方、「これなら素直にオリジナルをやってくれた方がいい」という曲も正直あった。しかしなにより、佐野がこの時期にコヨーテ・バンドで初期・中期の曲のリニューアルに取り組んだということ自体が、佐野のバンドへの信頼と、それを支えに次に進んで行くという意志を強く感じさせた。
こうした曲の持つ力のなにを引き継ぎ、なにを更新するのか。それをどんな形でこの時代に鳴らすのか。それは新しい曲を書き下ろすよりもときとして難しく、そしてリスクを含んだ試みである。コヨーテ・バンドとしてこのテーマにコミットする覚悟を示したという意味で重要なステージだった。
それ以降はコヨーテ・バンドとしてのレパートリーで本編を構成。アルバム「今、何処」からのナンバーがそれ以前からの曲と違和感なくセットリストに収められているのが、なんというか、納得感があった。
特に本編のラス前に演奏された『明日の誓い』はシンプルなフォークロック・チューンだが、困難な時代にも、個に託された希望を世界の喧騒のなかでタフにつないで行くというこの曲のメッセージが際だっていた。好きな曲がきちんと演奏されたのは率直に嬉しかった。
この曲で佐野は「よりよい明日へと紛れて行く」と歌う。それは単純によりよきものをめざして直線的に進んで行くというよりは、よりよきものが見えにくく、そこにたどり着く道筋も見きわめがたい、頼りない自分の足場を見つめながら、それでも少しでもよきもの、よきことに近づくためにこの日々の泡に敢えて身を投じる覚悟であり、それを佐野は「紛れる」という言葉で表現しているのだと僕は思っている。この曲がスキップされることなく、ライブのなかでの重要な位置で歌われたことに大きな意味がある。
「理想がなければ人は堕ちて行く」「希望がなければ人は死んで行く」という身もふたもないこの曲のメッセージからは、佐野の関心が初期、中期の「真実」から「希望」へと明らかにシフトしていることが見てとれるし、あてもなく真実を探し続ける旅よりは、まぶたの奥の残像に目をこらすような渇望をこそ、僕たちが慈しむべきなのではないかとこの曲を聴くたびに僕は思わずにいられないのだ。
また、アンコールではオリジナル・アレンジに忠実な『ダウンタウン・ボーイ』もよかったが、『Vanity Factory』がカッコよかった。聴きながら、この曲はソウルでありブルースなんだなと思った。コヨーテ・バンドにこんな「黒っぽい」演奏ができるんだなとちょっと感嘆した。
全体にコヨーテ・バンドのポテンシャルをあらためて感じたライブ。特に『欲望』の新アレンジはこれを聴くためだけに足を運んでも惜しくない。音響もよく、特に小松のドラムの音がすごくすっきり整理されていて聴きやすかった。
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