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会えたよ、イサムさんに

駅に巨大なパンダの立体物のある上野駅から徒歩10分程度。東京都美術館で、ようやくイサムノグチに会うことが出来た。会場に向かう途中、枯山水(?)を造るロボット達や、野球と関係があるとは知らなかった正岡子規球場、例年より人手が少ないからか都心にいる奴らよりもやつれた印象のカラス達など、イサムノグチに会う以前に刺激を貰い、作品を記憶する為の脳が容量オーバーになる程魅力的な環境が整っていた、上野の森公園。

いざ会場へ。

展示物を観て、石彫への期待をし過ぎたのか、牟礼町石彫群を沢山観れるのかと思ったが、石の作品が想像よりも少なかった。(重いから輸送の負担が大きいのです、と自分に言い聞かせる)残念。ただしそれら石彫の中でも『幼少時代(1971年)』や『無題(1988年)』などは
こじんまりとしてはいるが、存在感があり、どことなく人間のようで愛嬌のある、可愛らしさを感じる作品で触りたかった(触ってない)。心なしか、会場に来ている方々は、背の高い、威圧感のある石彫・ブロンズ作品やAKARIシリーズ方に魅力を感じているようで、上記の石彫には思ったほど人が集まる様子は見受けられなかった(私がいた時間帯は)。その代わり、舐めるようにこれら作品を観ることが出来るのは幸いでした。舐めてもいません。

『幼少時代』の元となる石は、削る前と大きさや形は、それ程違いは無いのではないか。ただ全面を荒く削り、前面、背面の中央の一部のみ滑らかに、ツルツルまで磨き上げない程度に仕上げられている。又、前面?の下部には小さな突起物(尻尾か骨か?)があり、土台よりも深い階層からこの丸い作品を支える軸、背骨、凹凸のある支柱に見えた。石の表層の下から何かが押し出しているようにも見える。全体的に丸く荒削りなこの作品は、この小さな突起物があるからこそ、成り立った作品ではないか?そのように感じずにはいられなかった。触りたい、突起物でなくとも触りたかった。

『無題』(1988年)は、『幼少時代』とほぼ同じ大きさでは。ただし、元となる石が全く違うようでした。中央の落ちくぼんだ部分は深く削られ、その部分は黒く(重く)テカテカ。なぜこの黒くてツルツルした穴を石の反対方向まで掘り進め、貫通させなかったのか?そんな作品も観てみたい。『無題2』があれば、貫通バージョンとして飾られてたかも、和泉さんへインタビューしてみたい。作品に触れたいという衝動は、『幼少時代』と同様だが、ジュニアガイドにはイサムノグチ氏の素敵なメッセージが。「アートは子供のお尻で感じるもの。」座らなくていいから、穴に顔をうずめたい。

展示を観ていて、よりそれぞれの作品を楽しむため、作品と作品の間にもっと空間が欲しい、なんて生意気な事を感じた。映像で流れていた牟礼の庭園美術館もそうだが、『幼少時代』に近づけた事は貴重な体験だが、2-3メートル離れて鑑賞、なんて事も経験したいと感じる。もしくは、屋外で広大な敷地に広く間隔を開けて作品を展示してみてはどうだろうか?それぞれの作品がより浮き立つのではないかと想像しました、生意気に。また、赤い湾曲した作品は《プレイスカルプチュア》。よく誰も触らずに過ごせたものです。上記石彫と同様に、単純に触りたい。子供なら乗っかってみてほしい。螺旋状の滑り台(今回は展示なし)と同様に。作品としてだけでなく、子供用遊具として開放して頂けないか?それに触れた子供達にはより体で体験する事で、イサムノグチ氏に感謝する事間違いなし。傷など全くつけないので、大人も先着3名くらいで開放お願いします。レプリカはNGです。


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