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【原因究明中】治療が始まらない【白血病】

 タイトルの通り、治療が始められない。原因は薬剤熱かと思われた原因不明の発熱が、休薬後も再びその熱を続けているからだ。


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▶想定される原因と判断結果

 どんどんと内容に具体的な用語に増えていってしまうことを先にご了承いただきたい。
 現在、自分は日に3度ほど38℃前後の熱が出る。タフガイならそうでもないかもしれないが、現状貧弱の民である自分には、体温の乱高下はそれだけで多大な体力を消費してしまう。一時は39℃を超える発熱だったので、それでも幾分症状は軽くなった方だ。
 しかし振り返れば10月初旬から同様の発熱が続いている。さすがにひと月の半分を熱にうなされると顔もやつれてきた。

▷主な症状

  • 発熱:発熱時は38℃前後、解熱剤により6~8時間ほど抑制可能

  • 自覚症状:頭痛、倦怠感、目の疲れ(鼻水やのどの痛みはなし)

  • 炎症反応:若干あるものの正常値を多少超える程度

  • その他:白血球等は依然低いが、それ以外は異常値なし

 自覚できる症状はこの程度、例えば風邪をひいたりすれば鼻水やのどの痛みが現れることが多いが、そういった症状はない。

▷先生と想定した原因

  • ほか感染症:インフル、コロナ等の感染症への感染

  • サイトメガロウイルス感染症:症状が似ている

  • 薬剤熱:薬剤との相性による発熱

  • 白血病による腫瘍熱:体内に発生した白血病細胞由来の腫瘍による発熱

 先週後半から、この4つの可能性の内、上3つについて検査を行った。特に上2つの感染症検査については、ほぼ毎日瓶詰4本の血液培養のために採血を行った。それでもいずれの検査も結果は陰性だった。
 薬剤熱については、確かに思い当たる時期に服用を開始した薬剤があった。それを休薬することで一時的に発熱は治まったように感じたが、結局今週も発熱が続いている。

 その結果、腫瘍熱で『あろう』という判断となった。
 それでも不可解な点は多い。腫瘍熱は体内に腫瘍が触れることによって発生する発熱のようだ。確かに今の自分の股関節部分には腫瘍がある。それは先週のPET-CTで確認できた。ただし、それは表層的なものであり、まだ悪さをするような大きさではないことも判断された。
 そして白血病由来で発熱するなら肝臓等の臓器の値が明らかな異常値に高まる。自分の初発時がそんな感じだったのを覚えている。しかしそういった状態にはなっていないし、骨髄検査も血液検査でも先週から大きな変化はなく、小康状態を保っている

 ただし、ほかの検査等は明確な陰性結果が出ており、薬剤熱のあるような薬も停止して1週間、依然として発熱が続いている。
 もはや消去法でこれしかないと判断せざるをえない。先生も不本意そうな感じで説明してくれた。

 先生の予想も外れるんだと驚くと同時に、人の身体は不思議だと感じた。

▶移植治療の開始について

 これまで、感染症の可能性を払しょくできず、感染症であればその状態での治療開始は身体へのリスクを高めるため、治療の開始タイミングがつかめない状態だった。結局原因は特定できなかったものの、消去法で腫瘍熱となった。

▷原因が特定できないゆえに発生するリスク

 炎症反応が高まった以上、本当に感染症ではないと言い切れるのか?そこが先生の選択を鈍らせているようだ。
 可能性としては調べていない感染症の可能性もないとは言い切れない。ただその検査を一件ずつ潰していくほどに余裕はない。

▷それでも開始の準備は進む

 先日、首にCVポート(点滴用の管)を挿し、身体の末端の血管が耐えられない強さの抗がん剤を受け入れるための準備を行った。前々処置の効果測定をするために、再度骨髄穿刺を行った。
 いずれも前々処置の開始に向けた準備だ。

 そして、部屋も移植患者専用の部屋に移動となった。看護師長さんにお願いして、日差しの入る方角の部屋にしてもらった。前回移植時にうつ病状態になったのは窓から日が入らなかったことと、窓の向こうの景色が山しか見えず、変わらない景色に心が耐えられなかったのだと思う。

▶今後のスケジュール

 CVポートは強い抗がん剤を使う場合に処置されることが多い。移植患者専用の部屋への引っ越しを受け入れていることも含めて、たぶん自分はそういう選択をとるのだろうなと思う。
 ただ、ここからでもまだ行き先を選ぶことはできる。それは妻や先生、移植コーディネーターにもその気持ちがあって揺れていることは伝えている。

 みな一様に「自分の選択をしてください」と言ってくれる。
 ありがたい。


 このブログを書いている途中に先生がやってきた。
 明日から治療が始まるようだ。
 いよいよ始まる。時はきた。それだけだ。


▶雑記

 自分はいま人生の崖っぷちに立っている。もはや自分の死と家族の将来以外に怖いものがなくなってきた。
 なので他人とのコミュニケーションも本音を隠さないようにしている。中には応援してくださった方に対してお説教ともとれる発言もしている。我ながら失礼な奴だとも思っている。

 ただ、逆に言えば今までは自分の感情や気持ちを妻や家族以外にはあまりはっきりと見せてこなかったと思う。自分の考えが『正しい』のかの自信もないし、それを伝えることで話がこじれたりするのが面倒だと思っていたからだと思う。

 『触らぬ神に祟りなし』というのが生き方のスタンスのひとつだったと思う。今はそれがどれだけの可能性や選択肢を潰してきたのかと嘆いている。

 自分は明確に死が近づいている、そこにいい意味でも悪い意味でも他者を慮ってる余裕はない。この相手と連絡ができるのは今が最期かもしれない。そう思うと当たり障りない返答をすることの無意味さ、そして『思ったこと』をただ伝える、それすらせずに築く関係性、それがとてももろく頼りない繋がりでしかないと、ここ2週間程度の期間に痛感した。
 みんな思いを聞いてくれる。思いを伝え返してくれる。その幸せをこれまで自分から手放していたという事実は黒歴史そのものだ。

 ここしばらく、いろんな人から連絡がきた。その人たちにはものおじせずに気持ちを伝えた。今までよりもより強く、ゆるぎない関係性が築けたと思う。さすがに生き抜いた後もこのままの口調だと逆に周囲から人が離れてしまいそうだからある程度の自重が必要だが、自分のためにも思ったことは素直に伝えていこうと思う。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました!