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大事なお知らせ

 ここ数日は現状を飲み込むため、納得はできずとも理解するために時間を費やした。先日、主治医、妻、母、移植カウンセラーとの面談を終え、ようやく自分の心の中で、決意のようなしっかりとした柱ではなく、まだまだゆらゆらと揺れる灯火のようなものが浮かび、ふわふわおぼつかない足もつま先くらいは地に着いた気がするので、その過程とこれからを、自分のことを気にかけてくださっている方、ひとりでも多くに自分の言葉、文章で伝えておきたいと思い記事を書き始めることができた。

生き残れば奇跡、助からないことが当たり前の行為を選択する(予定)

 という表現が、今の自分の状態を表している。以下は、その現状を確認した過程と、それに対する自分の考え、これからの自分の生き方について記す。共感力の高い方には結構きつい内容になると思うので、これ以上読み進めることはお勧めできないことをご理解のうえお読みいただきたい。


▶9月の治療とその結果

 まずは先日から行っていた抗がん剤治療の結果について生存報告を兼ねて記しておきたい。

▷ビダーザ+ベネクレクスタによる治療

 9月1日から30日までの期間、上記の治療を実施した。目的は当然、白血病細胞の根絶と高まり続けているwt1腫瘍マーカーの減少である。
 8月の入院時点で、自分の体内にはある程度細かい検査レベルで白血病細胞と思われるものが少量見受けられる状態である。つまり白血病が再発しつつある状態。放置すればほぼ確実に再発、死んでしまうという段階だった。
 これまで2年とちょっと、多くの抗がん剤治療、造血幹細胞移植などの治療を行ってもなお、自分の体の奥底に巣くう病はその根を伸ばし続けている。いったんはその治療の効力で見えなくなっていた病が再び芽を伸ばしてきている。
 正直この時点で、やれる治療はすべて行っており、ほぼお手上げ状態であった。その中でも先生は、それこそ世界中の症例や研究データを基に、効果の期待できるであろう上記の治療を提案してくださった。当然ふたつ返事で治療を再開する旨を伝えた。当時はそこまで意識していなかったが、藁にも縋る状態とはまさにこのことなのだと思う。

▷9月の治療結果

まったく期待された効果は表れず、症状は加速度的に悪化している

 砕けた表現ではあるが、10月6日の夕方、同じ内容を先生から告げられた。治療の効果計測のための検査の結果、簡易検査でも白血病細胞らしきものが見受けられ、wt1マーカーに至っては8月に検査した値から20倍以上に爆増している。もはや白血病の初発時の値に近づく勢いで増加していた。
 その結果としていま残っているのは、2年3か月ほど前、初めて白血病の診断を受けたころと同等に悪化した病魔と、ボロボロになった体である。
 当初の予定では、この治療で効果が出ればもう1度同じ治療を行い、しっかりと深い寛解状態で2度目の移植を行うはずだったが、大きな進路変更を余儀なくされてしまった。

▶提示された選択肢

 9月の治療結果を受けて、先生から大きく3つの選択肢を提示された。

▶別の抗がん剤治療による化学療法

 世の中には本当に多くの白血病の種類があり、それに対応した抗がん剤もある。そのいずれかを服用し、症状の改善を図るという選択肢。具体例としてはリンパ性白血病に効果があるとされるネララビンという薬だそうだ。
 しかしこの選択肢は、存在はするが決して選択することはないと思う。理由は2つ。

▷効果が期待できない

 まず1つ目は、今回の治療以上に成果が期待できないからだ。
 ネララビンは急性リンパ性白血病に対して効果があるといわれる薬品であるが、自分が当初発症した急性リンパ性白血病とはまたタイプの異なる急性リンパ性白血病に対して、というモノである。ややこしいが急性リンパ性白血病と一口に言ってもその中にさらに多くの種類が存在する。それが自分の病気に対して効果があるのかは正直何とも言えないそうだ。

▷体力、時間的猶予がない

 そして2つ目の理由は、そもそもこの選択を受け入れるだけの体力、時間的猶予がない
 前述のとおり自分の症状は加速度的に悪化している。この選択を行って、結果が出るのを待って、次の治療を選ぶ、となれば1か月単位で時間が必要になる。そして結果が芳しくなければこの症状の悪化はさらに加速しながら自分の体を蝕んでいく。心臓をはじめすでに体の各所にガタがきつつある自分にはそんな悠長に構えている時間は到底ない。

終末期のおける進行速度の違い

 ものすごく雑な表現だががんの終末期における進行速度にはこのような違いがある。肺がんなどの腫瘍がんはイメージとしては『坂を下る』ように、少しずつ今までできていたことができなくなっていく。
 同じようなイメージをすれば、白血病のような血液がんは『崖を落ちる』ように進んでいくそうだ。昨日できていたことが今日はできない。朝は元気だった人間が夕方には命を落とす。その可能性を秘めた爆弾ががいま自分の体内でいよいよその導火線に火が付きそうになっている。

 以上2点の理由から、この選択肢をとることは実質的に不可能となった。

▶現状で再度、造血幹細胞移植

 この選択肢が今の自分が選択できる最も生存確率の高い治療であり、自分が選択しようと思っている選択肢となる。

 造血幹細胞移植、昨年12月に1度目に行い、文字通り命を救われた治療。今回もこの方法に命を懸けようと『考えている』。考えているというのは、この選択肢にも多くのリスクがあり、可能性で言えば残りの寿命を一気に失う可能性も最も高く、この選択を行うことが本当に自分が1番後悔しない選択肢なのか、自信を持つことがまだできないからだ。

▷『移植』が抱える身体へのリスク

 以前造血幹細胞移植に関して説明を行った記事を張っておく。



 コップの中の古い水を捨て、新しい水を満たす。極端なイメージではあるが、この行為を自分の身体で行うことは単純に自殺行為だ。古い水を捨てるために行う前処置では通常死亡してもおかしくないレベルの抗がん剤を服用し身体にダメージを与える。その影響はもうすぐ移植から1年が経過する現在も自分の身体に残っており、この移植為自体に身体が耐えられず死亡する可能性があり、現状で移植を行った場合にはおよそ半々(先生の言葉ではなく言葉尻から感じた印象値)くらいだと思っている。

▷移植そのものの成功率

 次に移植のダメージに身体が耐えられた場合の移植行為の成功率の話だ。
 今回、自分は臍帯血移植という手段を用いる。赤ちゃんが生まれるときに本来は破棄される臍帯血という液体を利用する。この利点は、自分のように白血球の型がほかの人よりも珍しく、骨髄バンクなどで適合するドナー候補がいない場合に、多少のずれが生じても臍帯血側がそれに合わせてくれるらしい。原理は自分にはよくわからないが、やはり妊娠出産という行為は凄い。ひとを世に送り出す行為と同時に、人の命すら救う可能性があるなんてすごい。

 とはいえ利点だけではない。型が合っていない状態での移植なので、そもそも移植が成功する=『生着する』確率がほかの手段に比べて低いそうだ。生着しないとなればそれは生着不全と呼ばれ、その状態になればあとはほぼ確実に短期間で死に至る。

 そして今の自分の身体の状態、そもそも本来移植を行うならば、事前に身体に病気の細胞がほとんど存在しない『寛解状態』で行うことが成功率を高めるための大前提とされている。そして今の自分の身体は寛解状態とは真逆の状態である。この状態での移植は極端に成功率が低下する。身体の病気細胞が臍帯血の生着を邪魔するからだ。これも先生の言葉から感じた印象値だが、現在の自分の成功率は20%を下回るようなイメージだ。

 そして型が合っていない状態でのリスクは成功率だけでなく、身体に与えるダメージにも影響する。『GVHD(移植片対宿主病)』と言われる身体と臍帯血のミスマッチから発生する諸症状、これが重症化しやすい傾向がある。仮に移植そのものが成功してもこの症状により命を落とす可能性も少なくはない。

▷再発の可能性

 移植が成功し、身体に新しい血液が満たされたとしても安心できない。まさに今の自分のように再発の可能性がある。移植と言うリスクの高い治療を行ってもなお、その病巣を駆逐することができなければ、必ずまた根を伸ばし、芽を出す。それがもう1度となれば、恐らく今の自分の身体とこころはまったく耐えられない。世には3度目の移植を成功させ、今も生きている方もいらっしゃるが、恐らく自分はそちら側には立てない。

 そしてこの再発の可能性も、移植前の身体の状態により大きく変動する。事前に根こそぎ体の病気細胞を潰すことができている寛解状態と異なり、自分の体内には多くの病気細胞が居座っている。そうなれば当然それを駆逐する難易度は高くなり、再発の可能性を一気に高める。

 以上3点が、まだこの選択に確信を持てない理由となる。冒頭に書いたままの賭けに出ることが正直怖い。あらゆる可能性が失敗>成功を示しており、その可能性を覆してもまだ壁があることがすでに分かっている。現に自分はこの壁に1度阻まれ、今まさに人生の崖っぷちに立たされている。

▶終末期医療

 3つ目の選択肢は、これ以上、『病気を治すための治療』を終え、できる限り自宅で過ごしながら最期を迎えるというモノである。

 選択した場合、恐らく必要な手続きをすぐに行い退院し、通院で輸血等を行いながら自宅での時間を過ごすことができるだろうと思われる。通院の負担はあるが、それ以外の時間は現状やほかの選択肢と異なり、家族と同じ空間と時間を共有することができる。この2年ちょっと、恐らく家にいないことの方が多かった。最期にはなるが家族で時間を過ごすことができるのであればとその可能性にも目移りしてしまう。

▷その時間は2023年以中で終わる

 この選択を行う場合、明確に最期は死に至る。そして今の状態を鑑みた場合、自分の寿命は年末年始を迎えることも厳しい。実質2か月程度である。

 1つ目の選択肢の説明の際に示したグラフ、白血病はその進行が一定の進度を超えると一気に悪化する。今自分は白血病の初期症状である発熱やリンパ節の腫れなどがすでに明確に現れている。ただの風邪や気のせいだと思いたかったが、時間が経てど状況が進展しないあたり現実として自分の眼前にはすでに崖が見えている。あとはそこまでに何歩あるのか、という状態だ。

 ここから治療を行わず症状が改善する可能性も全くないわけではないらしい。ただしそれは文字通り天文学的な値の上にある奇跡だ。それは予想ではなくこの2年ちょっと、文字通り死ぬ思いをしながら、多くの可能性を捨て、治療を続ける選択をしてきた自分だからこそ確信できる。

▶選択すること、しないこと

 この説明と選択肢を提示されてから、自分には圧倒的に時間が足りないと感じている。24時間しか1日に過ごせないなんてあまりにも短い、1日が1年くらいあればいいのにと思いながら過ごしている。

 まず最初に行動に起こしたことは、何を選択し選択しないか、『取捨選択』を考えることだ。文字通り寝る間も惜しい。この記事を書いている間もできれば勝手におなかにご飯が入って栄養になり、勝手に睡眠を行ってくれてずっと活動し続ければいいのにと思う。

▷聞いてほしくてとにかく連絡した

 まずは妻に、母に、兄弟に、家族ともいえる幼馴染たちに、多くの時間を一緒に過ごした友に一報を入れた。皆一様に言葉を失っていた。「その状態で自分に連絡をしてくれたことが何よりもうれしい」と言ってくれた。「どの選択肢を選んでも、みんな味方だ」と言ってくれた。「いつでも連絡してくれ」と言ってくれた。「今すぐに会いに行く」と言ってくれた。「〇〇という活動を行うために考えていたことを今すぐ始める」といって慈善活動を始めてくれた。「ずっと連絡をしたかったが、何と声をかければよいのかわからず連絡できなかった」と謝る友もいた。どの言葉も本当に嬉しかった。
 みんな自分の世界を生きている。自分と同様に、あるいはそれ以上に大変な時間を過ごしている人もいる。その世界の中に少しでも自分のことを置いてくれていたこともそうだし、誰一人選択を強要する人がいなかった。ただ受け入れて、今にもお手上げでぶっ倒れてしまいそうな背中を支えてくれている。本当に嬉しかった。


 この部分を読んで「俺(私)には連絡来てない!」と憤る方がいればぜひご連絡いただきたい。いろんなことが頭をかき混ぜているので、自分も誰に連絡すればいいのかわからず、思いついた人からかたっぱしに連絡している状態だ。ほかの方と電話していたり、体調不良で出られなかった時は本当に申し訳ありませんが、必ず連絡をお返しさせていただきます。 


 看護師さんたちにもどんどん声をかけた。この2年ちょっと、確かに自分の命を救い続けてくれた命の恩人たちの仕事の時間を奪い、話し続けた。
 中には友と同じように涙を流しながら、医学的な視点から、仕事上の経験談からアドバイスをくれながら、みんなずっと話を聞いてくれた。それが仕事と言えばそうなのだが、これまでの時間もあり、中には友人のような、子を育てるパパ友、ママ友のような、小憎たらしい後輩のような人もいると自分は勝手に思っている。そのいずれの人も、話を聞いてくれた。

 そして今週に入り、移植を受けるための検査を行いながら、冒頭に書いた面談の後、この記事を書くことを妻と母、ふたりに伝えたうえで記事を書き進めている。

▷人生哲学の真似事

 最近、ひとが人生においてできることは、『しなければならないこと』『やりたいこと』『できること』を区別し、その無数の選択肢の中から選び、選ばないことだけなのだろうと感じ始めた。いまの自分はしなければならないことが多く、できることが少ないだけで、それは人生の中のほんの一部の話で、ほかの人も同様に区別と選択に苦しみながら生きているんだと思う。その選択の結果が死なのか生きるだけなのかの違い。
 きっとこんな悟った風な文章を書いても失敗したら最後まで後悔してしまいそうな選択の場面に立っている自分だが、その重さが違うだけで、みんな等しく大変なんだと思う。

▷選択したのにできていないこと

 その選択肢の中で、やると選択したのにできていないこと、その最も大きな1つが、4歳を過ぎた娘に説明ができていないことだ。理由は2つ、説明できる自信がないことが怖いことと、それを説明することで責任を放棄してしまいそうな自分がいることを感じているからだ。

 娘は本当に賢い。自分の父親が同じ園に通う友達のお父さんとは違う状況にあるという事実をすでに理解している。癇癪を起すこともないわけではないが、説明をすれば理解を示してくれる。我が子ながら人とはこんなにも幼くともこうも賢いものかと脅威すら感じる。日進月歩、時間単位、秒単位でできなかったことができるようになり、しっかりとその足で立ち、歩みを進めている。その娘を間近でみる子育てという行為は、ほかの選択肢を投げてしまっても後悔することのない、人生で最も楽しいものだと、父親という立場になって実感できた。それを教えてくれた妻と娘にはいくら感謝してもし足りない。
 だけど、それは大人と同じ説明をしてもいいということではない。大人は自分の言葉の大体の意味を理解してくれる。死ぬことがどういうことか、(中には身を以て)知っている。ただ娘はまだそうではない。わからない言葉もいっぱいあるし、伝わらない意味も多くある。そこをすべて伝えたいが、それだけの説明能力が自分にないことはこの数日で痛感した。大人にだってうまく説明できないのに、我が子に伝えられないとはなんと情けないことかと思うが、できないことはしょうがない。と割り切ることもできない。

 そして、自分は死ねばそこまでの人間である。あとは焼いてもらって骨を砕いて灰にして、墓に納めてそこまでである。ただほかの人には自分がいなくなった後の時間が、未来がある。娘は今の世界で最もそれが長い人間のひとりだ。
 現実問題として、ひとり親家庭というのは両親がいる家庭にはない大変なことが多くあると聞いている。時には謂れのない暴言や理不尽を受けることもあるかもしれない。ただし、そこに娘が抱える責任は一切ない。なのに理不尽を受ける可能性が生まれてしまう。そしてその責任の最たるものを担うはずの自分はその時にはもういない。それが現実問題として今の世の中に同じような例がある。
 それなのに自分は死んでしまうかもしれない。そしてそれを理解したうえで、説明して、父親としての責任を果たした気になってしまいそうな気がしていることが何より情けない。友人への連絡を終えるたび、「ひとつ心残りが減った」とほっとする自分がいるのがわかる。生きるための選択をしているつもりなのに、死ぬための準備をしているような感覚に襲われる。その両面を受け入れらず今も心が揺れている。

 この話を面談の際に妻と母、ふたりに伝えた時にはしこたま怒られた。娘は自分と電話したがっているらしい。仮にすべてが伝えられないまま自分が死んだとしても、そこから先は遺された人に任せることもできるし、それが家族だと言われた。確かに言っていることはわかる。それでも父親として、自分がやるべきことだと思っているので、しっかりと伝えられるよう準備したうえで娘には説明の時間を作りたい。


 記事を書くのが数日にわたってしまった。その中で娘とテレビ電話をした。説明はせず、娘がシール貼りをしたりしている様子を見ながらいくらかの会話をした程度の内容。その中でも娘は入院前には見せなかった姿を見せてくれた。子の成長はおそろしい。この恐ろしさを感じることができなくなるかもしれないと思うとそれが1番恐ろしく感じた。
 娘に電話ができなかったことを謝ると「体が悪いんだよね、ご飯をしっかり食べないとだめだよ。泣いちゃうと熱が出ちゃうよ」といさめられた。4歳児に気を使われて情けないと同時に、人の体調を慮れる娘に感動した。
 手紙を書く約束をした。娘は最近手紙を書くことにハマっているようで、この1か月で3通ほどお手紙をもらった。面談の際に妻から封筒と便せんを持ってきてもらったので、お返事を書く約束をした。
 また電話する約束をして電話を終えた。明日か明後日か、それは決めなかったが、また電話をしようと思う。説明できるかはわからない。それでもやっぱり娘を見ることができて、声を聞くことができてよかった。


▶これからの生き方

 ここまでがこれまでの経緯となる。ここまで約7,000文字、よくここまで簡潔にまとめられたなと自分をほめてあげたい。最初に妻や友人たちに話した時にはもっと支離滅裂で、何言ってるかまったくわかったもんじゃなかったと思う。その言葉に耳を傾け続けてくれたみんなには本当に感謝しかないし、自分は恵まれていると思う。

▷選択したこと

 今週1週間は冒頭の表現の通り、死ぬことが当たり前ともいえるレベルの可能性に賭け、移植を受けるために必要な検査を受けている。そして恐ろしいことに、この検査の結果によってはその選択すらできない可能性もある。

 白血病は血液のがんというのは何度も記した。リンパ節が腫れたりという症状が現れることもあるが、中々人の目には見えにくい病だ。その病は体のいたるところを蝕んでいく可能性を持っている。その中で特に危険なのが脊髄を経由して脳周辺にその病巣を作ることである。
 移植は確かに治療としては非常に効果の高い治療である。ただし、上記のように脊髄、および脳周辺にその病気がある場合、そこを改善する効果はないそうだ。髄注と呼ばれる、腰椎?脊髄?の隙間に注射して抗がん剤を直接流し込んで治療する行為もある(実際にこの2年ちょっとで何度も行っている)が、それもある程度病気の広がりが小さい時でなければ効果は期待できなくなる。
 そしてその状態で仮に移植を行ったとしても、効果の届かないところに病巣があれば成功する可能性は0%だ。単純にリスクだけを受容することになる。
 自分の脳みそ周辺や体がいま、どうなっているのか、その検査を今週いっぱい使って行っている。記事を書いている現在は午後の検査に向けて絶食中である。

▷選択する(予定)のこと

 前述の検査で問題がないことが確認できれば、週明けから移植に向けた治療が始まる。移植は大きく分けて3つの行程に分かれる。
 1つは前処置、これはさっき記したコップの古い水を捨てる行為だ。大量の抗がん剤を投与して今の血液を作り出している身体をぶっ壊す。
 2つ目は輸注、移植行為そのものだ。臓器移植などとは異なり、造血幹細胞移植は点滴のような感じで移植を行う。身体を切り開いて血を注ぎ込むなんてことはなく、腕か首か、点滴のルートに臍帯血を流し込んで新しい水をコップに注いでいく。時間も副反応等のリスクを抑えるため少量ずつの滴下だが、せいぜい1時間から2時間もあれば終わるし、その行為だけを切り取れば輸血を受けている光景とほとんど変わりはない。
 3つ目は生着を待つ、コップと水が馴染むのを手助けする行為だ。普通、自分の身体は自分の血を受け入れるための形になっており、そこに違う血が入ってくるので、身体と新しい血は同居できずに大喧嘩を始める。それが先ほど書いたGVHDなどの諸症状として身体に現れる。その喧嘩を仲裁するための薬(免疫抑制剤)であったりを投与しながら、喧嘩が終わるのを待つ。はれて喧嘩がおわり、互いを認め合ってくれて初めてコップの中の新しい水が馴染み始める。それがしっかりと馴染み始めた時が生着となり、そこから少しずつ、コップの中に新しい水が満たされていくことになる。

 ただし今回、自分はこれらの行程のさらに前段にもう1つの抗がん剤治療が入ることになる。いわば前々処置ともいえる治療行為だ。何度も言っているように、移植の成功率は移植前の身体の状態で大きく変動する。今自分の身体は病気が進行している状態なので、前処置に入る前にある程度体の病気細胞を潰しておきたいがために、前処置とは異なる抗がん剤を入れて、少しでも前処置の効果を高めることが目的だそうだ。

 前処置で死ぬほど抗がん剤を入れるならそれでいいのでは?と思ったが、強い抗がん剤で一気に体内の病気細胞をぶっ壊すことで、『腫瘍崩壊症候群』と呼ばれる状態になることがあるらしく、こうなると体中の臓器に物凄い負荷がかかるそうだ。ただでさえ移植で死ぬほど負荷をかけるのに、そこにそういった症状が上乗せされれば身体が耐えられない可能性が跳ね上がってしまうので、それを防ぐ狙いもあるようだ。

 ただもちろん、前々処置がほとんど効果がない可能性もあると思われる。
そうなればさらにリスクを負っての移植行為となるが、現時点で先生はその前々処置を行うことが最良と判断しているので、先生を信用しようと思う。

 そしてこの前々処置の前段、まだ可能性は低いが移植前最後の一時退院ができるかもしれない。もちろん血球の回復状況と体調次第ではある。
 移植の成功率を高める視点で考えれば、今自分が無菌室を出ること自体が非常に大きなリスクとなる。それでも自分は移植前に娘に直接会いたい。最期になるかもしれない家族で一緒にいられる時間を1秒でも作りたい。ただしこれは本当にリスクの高い行動なので、判断は直前まで持ち越されることになった。仮に一時退院することができたとしてもその期間は今週の土曜の午後から日曜の夜までだ。月曜日には病院に戻り治療が始まる。

 そこで退院ができなければ、後は移植が成功して退院するか、死んで棺か何かに入って出てくるか、この2択だ。治療中に脱走した患者さんがいたことを聞いたことがあるが、そこまでやろうとは思わない。そもそも脱走して家に帰れるだけの体力がないと思う笑

▷選択しない(しなかった)こと

 世の中には『セカンドオピニオン』という制度?がある。現在の先生とは別の病院、先生に意見を求め、必要に応じて転院等を行うことである。SNSで同じ病気を患った方が時折選択していることを見たことがあったが、自分はそれは選択しないことにした。
 理由は2つ。時間的な猶予がないことと、今以上に先生、看護師さんとの関係性を築いたうえで治療を行える環境はないと思っているからだ。
 この闘病生活を文字通り支えてくださった看護師や助士さん、リハビリの先生、そして何より主治医の先生。この人たち以上に命を預けられる存在はないと確信している。

 そしてもうひとつ選択しなかったことは『民間療法』と呼ばれる治療を行うことである。闘病生活をSNSに投稿する人たちには本当にあるあるだと思うが、どこからともなく現れては「〇〇をすればがんは自然になくなる」とか「抗がん剤治療は医者が患者がお金を巻き上げるための陰謀だ。あなたは不当に搾取されている。」とかいう面白DMが届いてくると思う。あれらには耳を貸さないことにした。
 これはいまではなく、そもそも治療を始めたころから思っているが、この人たちがいうことが真実なら、その治療方法は病院で実施されるし、陰謀をはたらく医者は法の下で裁かれている。そしてそのDMを送ってくれた方は自分みたいないち個人にDMなんか送らずに、早々に施設、団体を立ち上げ、ひとりでも多くの患者を救い、医者という仕事に取って代わっているはずだ。
 抗がん剤治療などの治療のことを総称して『標準治療』というが、これは世界中の症例や科学的な知見などを根拠とした最も信頼性の高い治療のことを指している。自分はそれを信じてここまで生きてこれているのだから、今さらそれ以外を選択するつもりはない。そもそもその人たちを信じたところで、その人たちは自分の命に責任なんか負ってくれない。どこまでいっても外野からヤジを飛ばしていることと変わらないと思っている。
 ただし、これは自分自身の考えだ。それらを試してみたりする人をわざわざ止めようとは思わない。それほど自分が生きる可能性を高めたいと思う気持ちも痛いほどにわかるからだ。だから自分は選ばなかった。というだけの話。誰かを否定したいわけではない。

▶謝らないといけないこと

 幼馴染、その中でもとりわけ女友達には謝らないといけない。もしかするとこの記事を週末までに目にしてしまう可能性があるからだ。
 今週末、幼馴染のひとりが結婚式を挙げる。結婚式は素晴らしい。掛け値なしで明るく、幸せなものだ。自分も行きたかったが、現状のこともあり参加はできない。可能なら直接おめでとうと言いたい。そんな幸せな時間の直前にこんなものを読んでしまえば、それこそ幸せな気持ちに水を差してしまうことになってしまうだろう。幼馴染たちは本当に優しい。だからこそ結婚式前にこの記事を見られる可能性を作ることには抵抗がある。

 それでも同時に、ひとりでも多くの人に自分の現状を正しく知ってもらいたい気持ちもある。もしかするとこの記事を投稿しなければ、自分が死んでから自分の置かれていた環境を知る人が増えるかもしれない。そんな寂しい最期は嫌だと思っている自分もいる。
 恥ずかしい話ではあるが、もしも自分が死んだとしたら、自分はいろんな人に悲しんでもらいたいし、線香をあげてもらいたいし、みんなが死ぬまで何かの折に俺のことを思い出して会話に挙げてもらいたい。忘れられたくない

 だから自分のわがままでこの記事を結婚式の前に投稿すること、ひいてはこの記事で状況を知るかもしれないことを謝りたい。結婚式が終わった後に必ずみんなには連絡します。

 そしてそれは職場やそれ以外の人にも当てはまる。こんなものを読んでしまえば気分がよくなることなんてあるはずがない。そのことを改めて謝りたい。文句があれば電話してほしい。自分のことが気になるなら連絡待ってます笑

▶この闘病記録の継続について

 約2年ちょっと続けているこの闘病記であるが、もはや自分にとってはライフワークと化しているのでこのまま継続して可能な限り投稿を続けていこうと思っている。もちろん体調の波により定期的な投稿は難しくなるだろうが、続くところまでは続けようと思う。特に移植前後は体調最悪なのでパソコンの前に座ること自体が厳しい可能性もある。万が一更新が滞った時には、次回の更新を祈ってSNSに凸してもらえると頑張れる気がする笑

▶最後に

 約11,900文字、恐らくこれまでのどの記事よりも長く、色々と読みにくいものになってしまっただろう。自分で誤字脱字を見返すのも一苦労している。

 それでもこんだけ書いてはいるものの、まだ現状を受け止め切れていない自分もいる。どこかで「言うてもこれはただの前振りで、来年の夏くらいもしれっと生きてるだろ」と思い込もうとしている自分もいる。友達ともそのころに快気祝いを行う約束をした。現実を見ればそれが実現できる可能性は限りなく低い。

 それでもこの記事そのものが、過去の自分の笑い話として話ができる日が来ることを祈らずにはいられない。


最後までお読みいただき、
ありがとうございました!