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2024.05.24 心臓の強さ

ウクライナ支部のPM(プロジェクト・マネージャー:プロジェクト長)から、メールが入るといつもドキッとする。
私に決断を求められる時があるからだ。

私が属している組織は国際NGOで、アメリカに本部を置き、世界各地に支部を持っている。団体の中では支援をする国と、支援を受ける国に分かれている(もちろん有事の時は立場が変わる)。
日本は支援する側だ。一言でいうと、資金を集め支援を受ける国に渡す。そして、実際に手を動かすのは現地支部の人たちや、そこの支部が雇った人たちである。しかし、資金をいただく以上、我々は支援者の方への報告の義務があるので、資金を渡してもなおプロジェクトが終わるまで手綱を握り続ける。そして、支援者から運営の制約付きの場合もあるため、日本側から時に指示出しもする。
だから、ウクライナ側は支援者の意向も分かっている私に、制約を考慮しつつ、より効果的で効率的な支援活動の判断を仰ぐのである。

今日も朝からのメールで、支援の内容物に関して相談された。
世帯の人数によって、食料物資に不公平さがあるのではないか。
長文の英語を読み、彼女の言っている意味を正しく理解するだけでも、一苦労。そこから、他の書類を参照しながら、彼女の主張の正確性を確認する。情報をもとに、こちらとしての考えと指示を出して、実行できるか聞いてみた。

15:00。メールの返答。再び相談。
今日中の決断が必要であったため、急遽Zoomを開いて直接話をした。PMになってまだ10日あまり。今の組織に入職して半年。支援者の意向など、大して分かっていない新米が、えいっと判断を下した。

Zoomを切った後、急に身体が震えだした。
自分の判断が正しかったのかが分からず、不安に襲われたのだ。
もし支援者の意向に沿っていなかったら…?
そもそも、この判断が最善だったのか…?
日本支部に確認とろうにも、22時で誰も連絡を見ないだろう。

念のため報告連絡を入れると、たまたま確認してくれた同僚が判断を肯定してくれた。
「あぁぁぁ~、よかった。」
おもわず声が漏れ、オフィスチェアの背もたれに背を付けた。
いかに自分の中に判断基準を持っていないのか、実感する機会となった。また、緊急支援という人の命に関わる仕事に従事する人たちの、心臓の強さを目の当たりにした。

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