2024.05.14 初日
6:00。
昨日疲れ果てて22時に寝たのもあり、目覚ましより早起き。今日からスロバキアの事務所に勤務する。
事務所で最初に迎え入れてくれたのは、会計担当の女性。
彼女はスロバキア語しか話せないので、ニコッと笑い、胸に手を当て名前を言う。私も同じ仕草をし、最後に握手を交わす。これで自己紹介完了だ。
9:00。
ウクライナとの会議。今日は、プロジェクトマネージャー(このプロジェクトの日本側の長)として、ミーティングを回す。これまで、前任者がやっていたのを見ていたが、実際に自分がやるとなると別物だ。
活動の報告/広報の仕方、被支援者のデータの取り方など議題は多くあった。しかし、一つ躓くと落としどころが見つけられず、気がついたら一つの内容について45分も話し込んでいた。
11:00。
2時間の会議を終え、気がつくと横には犬。疲れ果てた脳が癒される。
家に一人留守番させるのも可哀想でしょ?と、見知らぬ女性。彼女は英語が喋れるようだ。挨拶を交わし、犬を撫でさせてもらった。
13:00。
「お昼に出かけよう」とスロバキアの事務局長が声をかけてくれた。
前任者と3人で、徒歩10分の二階建ての建物まで向かった。小さいカフェが数軒と、営業しているのか分からないお店が並んでいた。今日は、前任者おすすめのベトナム料理となった。スロバキアは旧共産国なので、当時留学などで移民してきたベトナム人の2世、3世が多いらしい。チキンフォーを頼んでみたが、確かに日本より美味しいかも。
16:00。
事務所横の広いスペースをコミュニティセンターとして、ウクライナ避難民のための活動拠点としている。覗いてみると、机に向かう女性と女の子が一人。お母さんらしき人は離れたところに腰をかけている。習いたてのスロバキア語で「こんにちは」とだけ言い、私もお母さんの横に座ってみた。
5分ほどしたら、息を切らして別の親子がやってきた。子どもたちが蝶々の絵を水彩絵の具で描きながら、大人はスロバキア語なのかウクライナ語なのかで話をしている。何を言っているか分からない中に放り込まれる感覚、久しぶりだなと思った。95%理解はできない。ただ、5%英語と類似する単語があり、そこから何を話しているのか推測する。この推測力は、小学生のときに身につけたものだ。
親の転勤でイギリスに赴任した際、小学4年生だった私は、現地校に放りこまれた。入学したてのとき、全てが英語で何を言っているのか分からなかった。しかし、嘆いても仕方ない。どうにか自分の知っている単語だけを拾って推測していかないと、生きていけなかった。苦労も多かったけど、おかげで生きる力はついたと思う。
17:00。
前任者の友人が運営している、ウクライナ避難民のコミュニティセンターに向かった。倉庫のような建物の一角を借りているようだ。中学生ぐらいの男女で卓球をしている横で、運営者の女性と話をした。彼女はスロバキア人だが、危機当初から、スロバキアに逃れてきたウクライナ避難民への物資支援や資金支援活動などに従事してきたようだ。
19:00。
宿近くのイタリアンで、ビーツのリゾットとキノコのピザを注文した。どちらも美味しかったが、味が濃い。この国の食事は、どれも塩分過多だと思う。
今日一日を通じて、言語の重要性を改めて実感した。スロバキア語やウクライナ語が分からないと、得られる情報が圧倒的に少ない。日常生活も考慮するとスロバキア語を習得した方がいいだろうと思いつつ、プロジェクトで関わるのはほとんどウクライナ人であることを鑑みると、ウクライナ語か…?と心揺れる。今日は、様子見と思っていたので、わざわざ翻訳機も出さず、ただ活動を眺めていた。しかし、今後対策が必要だとひしひしと感じた。