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キャンプ嫌いがキャンプに目覚めた話

キャンプ。コロナ禍に屋外で楽しめる娯楽として、一気に流行したキャンプは、わたしにのってはただの流行であり、興味をそそられるものではなかった。

というのも、キャンプが趣味の彼に連れられて、一度しっかりしたキャンプをしたことがあったのだが、慣れない道具を使い、慣れない作業をして、休日にわざわざ疲れに行くようなものだと痛感したからだ。変形したり、折りたためたりできるキャンプ道具は、女性のわたしにとっては扱いづらいものばかりで、片付ける際に元通りにするのに非常に苦労した。そして、そのころ、心が病み気味だったこともあり、自分が何もできないダメ人間のような気さえして落ち込んだ。それから、わたしはキャンプにいい印象がなかったし、もう二度と行くことはないだろうと思っていた。

それから二年ほどたち、彼がまたわたしと一緒にキャンプに行きたいと言い出した。正直気乗りしなかったが、あれから自分も変わったし、また行ってみたら印象も変わるかもしれない。それに、彼にとっては大好きなキャンプなのに、恋人のわたしが苦手なのはつらいだろう。今度は絶対に楽しませてみせると言われ、わたしも今度こそはと思い、行くことに決めた。

当日、テントの設営は思ったよりスムーズにおわった。今回はわたしもテントの建て方など、事前に知識を入れておいたので、自発的に動けたからだ。前回は予備知識ゼロで、すべて彼の教えてくれる通りにしていたから、彼自身も慣れていなかったこともあり、ものすごく時間もかかってお互いにピリピリしてしまっていた。
でも、今回は穏やかにあっさりと設営を終わらせることができて、少し悪いイメージが払拭された。

そのあとは、まだ昼過ぎだがビールを飲み始める。設営で体を動かした後の軽い疲労感に、きりっとした清々しい自然の空気。それと酒。なんとも気持ちがいい。

今回のキャンプ場は、すぐそこが川で、石の階段を降りると水に足を浸らせることができるほど近い。だから、絶えず川の流れる音が聞こえていて、雑木林からは鳥の鳴き声も聞こえる。静かすぎると胸が詰まるが、この適度な自然音の中だととても心が和む。
テントの設計上、川に面している側以外の3方向はシャットアウトできるから、木々、川、木漏れ日、微風、それと私たちだけの空間を作れて、優越感を味わう。
簡単に焼きそばを作り、お腹のアルコールを中和させながら、至福のときを過ごす。ほろ酔いの頬にあたる少し冷たい風が気持ちいい。
キャンプいいかも。

彼は氷を買い忘れてハイボールが飲めないといい、近くのコンビニまで歩いて買いに行った。その間、わたしは自然と二人きりになれた。少し日が暮れ始めていて、焚火の明かりが味わい深い。木のはぜるぱちぱちとした音に、川のせせらぎ、心地よい眠気。そして自分にしか聞こえないくらいの音量で音楽を流す。何も考えず、ただ呼吸をしているだけ。こんな癒しが今まであっただろうかというほどの安らぎに満たされる。

そして、わたしは自分がそこにいることにしっくり感じた。「わたしの居場所はここだったのね」とか「わたしはここにいるべきだったのね」とも違って、ただ、「ここだ…」と思った。他に人為的な音や気配がなくて、俗物的なにおいのない空間。簡単に言ってしまえば、本来の形というか、人間としてあるべき姿みたいな。その喜びを細胞レベルで感じているような感じ。言葉では形容しがたい漠然とした感覚、でもわたしの中では、確固たる重みのある現実的な感覚。
この色鮮やかな自然の景色の中に、人型に色のない部分があって、そこにゆっくりと、ぴったりと、わたしの体が収まっていく。壊れた画面が映すような二重にずれた世界が、ぴたっともとに戻る。そんな快感。

この日以来、わたしはキャンプが好きになった。厳密にいうと、「自然の中で、他の人がいないプライベートな空間で、自分の好きなものを好きな時間に食べられる癒し空間」が好きなだけだが。ギアにはあまり興味もないし、相変わらず不器用で寝袋を元通りに袋に入れられないし。でも、あの瞬間、あの空間に浸るためなら、また行こうと思える。そのうち一人でも行けるようになりたい。

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