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双極性障害と診断されてから復職まで part3

※このpartは、生死に関する表現が含まれているので、体調の優れない方や安定しない方は、この先スクロールされることを一度お考えください。

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前回のpartで記載したとおり、4月に入ってからは、不安定な時期ではありつつも外出が少しずつできるようになってきました。(昼夜逆転からの復活したきっかけの”さんぽコラム”はこちら。)

しかし、季節の変わり目とは恐ろしいです。

4月中旬になんの前振りもなく、2週間程度ガタンと落ち込みます。振り返ってみると、

・ゴールデンウィーク頃に復職目標だったのに、予想以上にうつ期間が長引いて、たぶん無理だと自覚したこと

・この無力感が永遠と続くのではないかという不安に苛まれたこと


これら2つの抱えていた想いが、強まった時期だと思っています。私はこの時期、とにかく焦っていました。そして、何かに駆り立てられる思いを持ちました。

「昨日は外に出られたのに、今日は思うようにいかない。なぜだ?これは一生続くのだろう。」

「どこで人生の判断を間違えた?こんなはずじゃなかったのに。」

「こんなに上げて、下げられる日が続くなんて、これは地獄に違いない。」


このような思いから、私は◯のうとします。(回復期が危ないと言われる典型的なパターンだと思います。)


色々と情報収集をできるようになっていたので、様々な方法や統計、リスクを調べた上で、緻密な計画を立てました。そしてスケジュールに落とし込みました。

一日中動けない日もあったのですが、動けるようになった瞬間を見計らって、夜にいきなり実家を飛び出しました。

完遂するための道具は、事前に自宅に届くようにしていたので、東京に戻ってこれさえすれば、ミッションコンプリートできると思ったのです。

ただし、兄は自分が◯のうとしている事に気づいていたようです。

駅まで追っかけられました。30分間、早歩きしながら、根掘り葉掘り聞かれました。しかし、私は強い思いで全てを振り切りました。というより、振り切って決行するほか無いのだと、視野狭窄に陥っていました。

兄から掛けられた最後の言葉は、

「おい、テン!絶対◯ぬなよ!」でした。

(駅前で。人もたくさんいるのに。)


その言葉は、正直その時はあまり響きませんでした。

なぜなら病気だからです。


そして、一人暮らしの東京に着きました。少し気分は上がっていました。

発注して、届いていた荷物を確認しました。

決行は翌日の明け方。


しかし、実際に届いた荷物を目の前にした自分は怖くて仕方なくなりました。


そして、その怖さでまた動けなくなりました。でも一方で、その時によっしゃ!と思いました。

「このまま飢えで、◯ねば良いのだ!」と思いました。


ここから食べず飲まずの挑戦が始まりました。ただし、3日目にして、どうしても欲求と衝動が抑えられなくなり、コンビニに走って飲むヨーグルトとクロワッサンを口にしました。その後も2日間挑戦しました。また上手くいきませんでした。

私はこの時、「自分では、生死すらコントロールすらできないのだ。」と、

もはや悟りに近い感覚に陥りました。


「多分、今の俺は大きな波に逆らうことができない。でもこうやって、もがくことはできる。」

こう思って、◯ぬことは諦めて、おとなしく実家に帰ります。


ここからは療養に専念しようと、もがくようになりました。


そして、季節は5月になります。が、実はこのあたりの記憶が途切れ途切れで、

あまり無いのです。多分、脳が記憶から抹消しようとしているのだと思います。


人間の記憶ってあまりにも曖昧だけど、たまには良い働きしてくれる時もあるなあと、思います。それが寂しくもあるけど。


つづく(part4へ)


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