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双極性障害と診断されてから復職まで part4

前述したとおり、5月中旬の記憶はあまりないです。絶食期間もあったので、食欲はあまり無かった気がしますが、比較的、精神的には安定していた気がします。

この頃になると、「まぁ復職できなくても、それはそれで仕方ないか。」と焦りが少なくなってきて、自分の現状を少しずつ受容できるようになっていきました。

ただ、「このまま実家と祖母宅に居続ける毎日では何も変わらないなぁ。毎日こんな過ごし方は嫌だなぁ。」と、心の中で思いながら、日々を淡々と過ごしていた気がします。

少しずつ回復してきた気力と体力を感じつつ、もう一度、東京へ戻る「きっかけ」をずっと探していたのです。

そして、学生時代に作ったtwitterアカウントでフォローしていた、

松浦秀俊さん(https://twitter.com/bipolar_peer?lang=ja)が、

”双極トーク”のお話をされているツイートを発見したのです。


「参加してみたいかもな〜」と思いつつも、当事者会への否定的な先入観もあり、少し葛藤していました。

(否定的な先入観を持っていた理由としては、父親が別の病気で、当事者会に参加した後、「傷の舐め合いだ。結局のところ、病気とは一人で闘わなければならない。」と、10年前に言っていたことを真に受けていたからです。今思うと、父親はその場で上手く人間関係が築けなかったんだろうな、と思います。)

でも、私は知れば知るほど、日に日に”双極トーク”へ、魅力を感じていきました。

・主催者の松浦さんのnoteを拝見して、症状、経験、思考傾向が似ていらっしゃるところがあり、一方的な親近感を感じていたこと。

・完全なボランティアでやっていらっしゃる事がわかり、商業的な感じが感じられなかったこと。(→信頼できる人や場所なのだと感じました。)

・双極性障害と生きながら、パートナーにも巡り合い、7年間勤務され続けている「双極勤めびと」に、憧れを抱いたこと。


「これはもう、行くしかないっ!」と思い立ち、参加させていただきました。

まず、温かく受け入れてくださったことに本当に感謝でした。そして、当事者の方々にお会いします。約3ヶ月ぶりに人の輪に入って話します。すごく緊張もしたし、手も声も震えたし、頭がふわふわもしました。

しかし、そう思っているのは自分だけでないことがわかり、ふっと少し力が抜けました。そして場の雰囲気も、徐々に柔らかい感じに変わっていきました。

テーマトークが始まり、私は「もう一度うつになるかもしれない、という恐怖をどう対処していますか?」という議題を皆さんにお聞きしました。

この議題に関して、参加者のみなさんがとても真剣に聞いてくださって、一緒に考えてくれました。(一緒に考えてくれる事がとても嬉しかった!)

そしてご自身の経験と照らし合わせて、こんなアドバイスをいただきます。

「社会資源(人、モノ、金)をたくさん作っておく事が大事だよ。それがあるのと無いのとでは全然違うよ。」

「多分、うつにはなると思っておいた方が良いよ。」

「とはいえ、うつ状態でも仕事ができない事はないと思いますよ。」

経験を伴う諸先輩方、そして人生の先輩方の言葉は重みがありました。

また、うつ状態になりながらも、上手に気分をコントロールされている方がいることに感銘を受けて、ものすごく励まされました。


そこでこんな希望を抱きます。

「もしかしたら自分も、もう一度働けるのではないか?」

(でも、理想は高くおきすぎない方が良いことも教えていただきました。)


そして新しいTwitterアカウントを5年ぶりに作り、みなさんと繋がっていきます。

ここからは、毎日、みなさんに後押ししてもらっているような感覚が続きます。

例えるなら、アップダウンの激しい山を登っている時に、メンバーが欠けないよう、縦一列になって「背中を良い具合に支えてもらっている」ような感覚です。

(決して、「後ろで旗を振って、応援してもらっている」感覚では無いのです。)

これがいわゆるピアサポートなのかな?と、日々実感させられています。(双極性障害に対するピアサポートの有効性に関しては、近年、海外の論文で有意だとされているようですね。)



そして、私は6月からリワーク施設へ通所することを決めます。

この理由も、「松浦さんが通っていたから」です。(笑)


つづく(part5へ)

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