双極性障害と診断されてから復職まで part1
来たる年始。1月3日にやっと実家へ帰りました。
なんとか親戚の家へは行き、普段なら場を盛り上げるのですが、会話がおぼつかない。なぜか笑えない。
毎年の地元の集まりへも顔を出さず、家族ともほとんど話さず、滞在2日間で東京へカムバックしたのでした。
そして、年始は誰よりも早く出勤。今後の仕事への強い不安を感じたためです。
その不安を払拭するために、この先3ヶ月間でやることを全てスケジュールに落とし込むという、年始の作戦会議を上司とおこなったのでした。
「よし!この先の行動は具体化できたぞ。あとはやるだけだっ。これでいける気がする!」
そう思ったのです。
しかしそう思ったのも束の間、クライアントへの年始挨拶がなぜか怖い。普段作っている打ち合わせの資料作成ができない。長文が難解な記号に見えてくる。打ち合わせが頭に入ってこない。会話の切り返しが遅くなる。微熱や寒気、吐き気も毎日続く。
そして、ある金曜日の朝、どうしても立ち上がれなくなりました。動けない。出勤時間を大幅にオーバー。上司から心配されて、鳴りまくる携帯。怖くて取れませんでしたが、6回目くらいの着信で意を決して、やっと出られました。
上司「テン大丈夫??年末から調子がおかしいとは思ってたけど。今日は全部投げ出して休んでいいぞ。クライアントの打ち合わせも俺が代わりに出るから。俺もストレスで倒れたことあるし、気持ちはすごくわかる。」
自分「(号泣。)悔しいです。わからないんですが、布団から動けないんです。とりあえず午後の打ち合わせだけ行きます。」
上司「その後はすぐ帰りなよ。映画でも観て、気を紛らわすといいよ。スターウォーズでも観てきなよ。笑」
上司の言葉に救われ、這うように打ち合わせに行って、なんとか予定を終えると、
急に気分が乗ってきました。
自分「なんかいける気がします!」
上司「とりあえず今日はスターウォーズでも観てきなよ。みんなが働いている時に、仕事を忘れて観る映画は、格別だよ。笑 金曜日だし。」
言われるがまま早退して、スターウォーズを観に行きました。全然集中できず、途中退室したのですが、「まだまだダークサイドには堕ちていないな〜俺!」と思ったものでした。
その後母親から、父親の病状悪化の件が入り、もう一度実家へ帰省。
父親の今後の対応について実家で話し合い、最寄りの駅まで送ってもらっていた時に、大きな発作が起きました。
急に気分が落ち込み、身体が重くなり、手足が痙攣し、言葉が出なくなり、その場にいてもたってもいられない状態になったのです。これが永遠に続くのではないかと思うくらい、とても怖かったです。
母親から「さすがにこれはおかしいよ。病院へ行こう。」と言われ、仕事を休み、強制的に病院へ連れて行かれました。その時、やっと自分が下記のループにはまっていることに気づきました。
「いける気がする!」→「動けない」→「いける気がする!」→「動けない。」
それも、数ヶ月間と繰り返す毎に、症状が重くなっていったのです。
この症状が気になって、色々な精神疾患について調べたところ、(うつ病、新型うつ、境界性パーソナリティ障害、愛着性障害、適応障害、発達障害、双極性障害)自分はどうやら双極性障害なんじゃないか?と気づきました。そして、医師に症状を伝えました。
医師「症状、生い立ち、気質をお聞きすると、おっしゃるとおり、双極性障害かと思われます。休みます?どうします?」
自分「どうしたらいいかわかりません。ただ、休んだらもう終わりだと思っています。」
医師「とりあえず診断書書いておきますね。」
自分「この診断書をどうしたら良いのかも、わかりません。」
(「この診断書をどうしたら良いのか?それすらわからない。」のは、
今思うと思考運動の停止合図です。)
それでも、休んだら悪い方向に向かうと思い込んでいた自分は、3日間、診断書を隠し通します。その3日間で、東京のクリニックでセカンドオピニオンを受けましたが、そこでも双極性障害だと診断されました。
最終的には、「何やらやっぱりテンの様子がおかしい」と思った上司から、社内カウンセラーとの面談日程を設定され、そこでついに白状したのでした。
自分「双極性障害の疑いがあると言われて、診断書が出ています。が、出すかどうかの判断もできずに、今ここにいます。」
カウンセラー「直ぐにゆっくり休んでください。」
2018年2月の上旬のことでした。休職の始まりです。
いま見返してみると、本当に自分は往生際が悪いと思います。それが体調をより悪化させることに繋がっています。何事も、早めのパブロンです。
ここからは仕事を忘れて、
ゆったりとした時間が流れて、、、
とはいかないのです。
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