久保山光明寺今月の言葉「君の名を呼ぶ、それだけで二人の絆は永遠なんだ」

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝 ー永遠と自動手記人形ー』より

 名前には不思議な力がある。それは人と人との約束の力だ。
 日本で「りんご」と聞けば、多くの人は赤くて丸い甘酸っぱい果実を思い浮かべるだろう。国が変わればそれは「アップル」となる。あの果物をどんな名前で呼ぶかの約束が違っているのだ。
 どんな国でも様々なものに、様々な名前があって、あるものをその名で呼ぶことをみんなの約束として、コミニュケーションを取っている。その名前はイメージを喚起させる力がある。名前は一つの約束で、約束はその名前を共有するもの同士で結ばれているものだ。

 ものだけではない、名は人にもある。しかし、人の名前はものよりも共有される範囲が小さい。古来、名前には「諱(いみな)」と「字(あざな)」があった。諱は本名のこと、字は通名であり、あるいはあだ名である。前者は極めて親しい人しか呼ぶことのないもので、日常生活では後者の名前が用いられた。本当の名前を呼ぶことは、何か恐れ多い感じのすることだったようだ。今でもその名残は少しあり、あまり知らない人に名字(姓)ではなく名前(いわゆる下の名)で呼ばれると違和感を感じることがある。逆にいうと自分の名前を知っている人、自分を名前で呼ぶ人は、自分と親しい関係の人であり、自分にとって大切な人である。そんな人同士が名前を呼ぶことには、少し特別な意味が生まれる。

 ものの名前がそのもののイメージを浮かび上がらせるように、人の名前もまたその人のことを思い出させる。その名前についたイメージは、その人と自分との記憶だ。
 嬉しかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと。 
 その人と過ごした記憶が、その名前の中には込められている。名前は、たとえその人がいなくても、あなたとの記憶を止める痕跡なのである。

 君の名を呼ぶ、たとえ君が目の前にいなかったとしても、そこには二人の絆が込められている。
 君の名を呼ぶ、たとえ離れ離れであったとしても、その時は君と繋がっていられる。
 互いに名前を呼びあい、暮らした日々があるのだから。


君の名を呼ぶ、それだけで二人の絆は永遠なんだ

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