ペルソナ5R 丸喜拓人とリンゴ
まっとうな考察は発売から3年も経過しているので今更感あるのだが、ざっと検索かけた感じ丸喜先生とリンゴについては皆さん考察はしていても、一つの記事にまとめたモノってのは見かけなかったので今からでも遅くないから書いておくかということで。
なお二つ注意事項。
三学期シナリオクリアまでのネタバレ注意
5chやニコ百やまとめ記事などまでは漁っていないのでほぼ独自解釈
前者は言うまでもなくですが、後者についてはこんな僻地までやって来る人にとってはむしろ独自解釈の方が需要があると勝手に思っています。
【執拗なまでに関連づけられるリンゴ】
丸喜先生は劇中でしつこくリンゴを持ち出すシーンが出てくる。
そもそも公式サイトの紹介画像の時点でこのようにパックタイプの100%果汁リンゴジュースを持っている。
劇中でも竜司とのカウンセリングではリンゴジュースをあげようとしたり
芳澤との初回カウンセリングでも心を閉ざした彼女相手に始めた雑談は「いっぱいあるリンゴの処分に困っちゃって料理に使おうとしたんだけど失敗したんだ」だったり、意識するなという方が難しいレベルでリンゴを推してくる。
【解釈不要のあからさまなモチーフ】
丸喜先生のオタカラを安置している場所は、このようにエデンの園のイメージが投影された場所に生えているリンゴの大樹である。
ここまであからさまだと明らかに創世記に書かれている知恵の実の暗喩と誰だって感づく。私だってそー思う。
ここまではあくまでおさらい、前提情報の提示ということで。
【考察開始】
【パレスは主の認知の歪みの影響を受ける】
劇中で何度もモルガナから念を押されるお話。
カモシダパレスはとくにわかりやすく「地下室に愛の修練場がある=鴨志田自身も体罰はマズいとわかっているので地下に隠している」「ブルマ姿の裸体女性マネキンが柱によく使われている=女子生徒を性的な目で見ている。また、鴨志田の現役時代はブルマが採用されていたが今は違うという観念に追いついていない」など、大変趣味の悪い歪みの暗喩が描かれている。
では、マルキパレスのエデンの園はというと、劇中での吾郎ちゃんの意見を総合すると「こんな楽園に人類みんなを導くのが自分の役目だと盲信しているんだろ」。
※※※
ただ、人類を幸せにするための場所でしかないエデンの園に知恵の実までをも置く必要はない。
逆説的に言えば「丸喜先生にとって、オタカラを置く場所には知恵の実を成す大樹が必要だと認知していた」という話になる。
なのでまず必要なのは「丸喜拓人はリンゴをどう歪んだ認知で見ていたのか?」というアプローチであろう。
先に引用した創世記からは知恵の実、楽園の追放のきっかけ、原罪というキーワードがリンゴからは伺える。
ここからは理屈ではなく感覚で考えた話なのでやや論が飛躍するが「知恵の実をエデンの園の大樹に還すことで、原罪を濯ぎ人々を楽園に導こう」という歪んだ認知が丸喜先生の中にはあったのではなかろうか。
ゲーム中のマルキパレス内のリンゴだが、全てこのように不気味な虫食いのような穴が空いてしまっている。
丸喜先生の認知では「人は知恵の実を齧ってしまった」となっている暗喩かもしれない。
これは仮定に仮定を重ねる話だが彼の「幸福な現実」が成った暁には、この虫食い痕は全て治癒され完全なリンゴの形に成るという認知がされていたのかもしれない。
選挙決まる前からダルマに目を入れてしまう獅童とは違うのだ丸喜先生は。
【知恵の実とは何か?】
これは聖書研究ではなく、P5世界観に基づいた考えでのお話である。
ここでP5Rではなく無印版ラスボスのヤルダバオトのことをちょっと持ち出したい。
かいつまんで解説すると、グノーシス主義におけるヤルダバオートとは「自分を全知全能だと思い込んでいる悪神」である。
この自称全知全能を拗らせた悪神が人間を創ったが故に、人間もまた不完全で生に苦痛ばかりが伴うのは当然であるというお話(本当はもっとややこしいです)。
このためグノーシス主義において創世記に書かれた善悪は通常解釈と逆転しており、イヴに善悪の実を食べるよう唆した蛇こそが真なる善神の使いだとするのである。
P5無印でヤルダバオトにトドメを刺す元気玉ペルソナがサタナエルなのは、こういう理由である。
※※※
実際のP5ゲーム中のサタナエルの解説だが
この「自由意志」「混沌」こそがP5における「リンゴ」の正体なのではないかと私は考える。
もっとP5のテーマに沿って考えるなら「反逆の意志」こそがリンゴなのではなかろうか。
【反逆者=丸喜拓人】
ラストバトルにおいて丸喜先生がペルソナ召喚のみならず「反逆の意志の象徴」たるコスチューム変身を行ったことからわかるように、本人が言うとおり彼もまた怪盗団とは違った方向で反逆の翼を広げた人物である。
ちなみにあのクソダサピッチリスーツ仮面という変質者さながらの姿は、おそらくペルソナ「アザトース」に対比して「黄衣の王=ハスター」になぞらえたものではないかというのが私的解釈。
※※※
丸喜先生が反逆の意志を持つ者だというのであれば、彼がリンゴジュースを愛飲して、竜司に渡したりするというのも別におかしな話ではない。
怪盗団も、丸喜先生も知恵の実を齧った者同士なのだ。
そして丸喜先生の作ろうとした「幸福な現実」とは即ち、ままならない理不尽な現実からの解放=人々から反逆の意志を奪い取るというお話になる。
その結実こそが、マルキパレスのオタカラを安置する場所に生えるリンゴの大樹ということなのではなかろうか。
【おしまいに】
重ねてもう一度書くが「パレスは主の歪んだ認知の影響を受ける」。
そして「オタカラ安置場所にはリンゴの大樹が必要だと丸喜拓人は認知している」の二つが、ここまで論を進めたうえで再び意味を持つのではないかと私は考えている。
人々から反逆の意志を奪い、知恵の実として結実しエデンの園に還して原罪を濯ぐ。
この私的解釈はP5世界観設定に影響する話ではなく、どこまで行っても結局は「丸喜拓人はそう認知している」というお話でしかない。
逆に言えば「丸喜先生は自分のもたらす曲解による『現実』は人々から反逆の意志を奪うモノだと自覚はしている」という解釈もできる。
※※※
ようするに、丸喜先生は決して自分のやろうとしていることが「正しい」とは思っていないのではないかと。
「間違っているかもしれないが、このまま何もせずにはいられないから『力』を使って反逆した」のは怪盗団も同じで、その危険性をわかっていたから怪盗団は「全会一致しなければ盗みはしない」とあえて自分たちに枷をつけた。
一方で仲間を作った怪盗団と違い、丸喜先生は全ての人々を救済対象と見るが故に、協力者を作らなかった。
論文製作や研究において世話になったと認識しているジョーカーですら、彼にとっては最終的に協力者ではなく救済対象になってしまっている。
だがジョーカーの意志と力があまりにも強すぎるというのもあるだろうが、期日超過BADEND以外では本人の意志を無視した力づくではなく、本当に最後の最後まで互いに話し合いで解決する道を探していた。
※※※
つまるところ丸喜先生は、無意識下でジョーカーや怪盗団は自分が過った道を歩もうとしているのなら止めてくれる存在と期待して育てていたのではなかろうか。
この「曲解」の原案となる悩みを打ち明けている時でも、一番好感度が上がる選択肢は「諦めろ」という否定なあたり、丸喜先生の複雑な心境がうかがえる。
また、何度も「留美は今幸せだからこれでいいんだ」と言うのは現実を見ない見せない後ろめたさ=自身のペルソナ能力を「罪」だと自覚しているからこそ、自分に言い聞かせているようにも聞こえる。
原罪の象徴であるリンゴの大樹で怪盗団との決戦を行うのは、丸喜先生自身「罪」を意識して「罰」が下されるか、自分で罪を濯ぐのが成るかの最後の選定の場として用意したかったからかもしれない。
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