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Monark ボーカル曲感想記事

Monarkのボーカル曲の感想記事になります。
ネタバレタグ貼っているように、ストーリー中盤からのボスは名称時点でネタバレになってしまうので目次でもできるだけ気を付けておきます。

一方、本作未プレイの方に軽く解説しますが、Monarkではストーリーの一区切りとなる各ボスキャラクターとの戦いでは専用のボーカル付テーマソングが流れるという演出が行われます。
Monarkのテーマが「エゴを貫け」である以上、主人公側と敵対するキャラクター同士の決して譲れないエゴがぶつかり合い火花を散らす様を彩る効果的な演出となっており、燃えたり泣けたりします。

あと作品名としては「Monark」作中用語としては「モナーク」と表記して区別することにします。
林Pの作品タイトルはカタカナ表記にしてしまったら意味合いがズレてしまう気がするので、頑なにアルファベット表記で書いてます(CRYSTARはとくにそう)。


【傲慢のモナークの契約者】

一橋鞍馬のテーマ曲「ASH」ですが……初めて聴いた瞬間から思っていたんですが、プレイアブルキャラの日向望のテーマ曲でもありますね。
そもそも望は最初の仲間で正規ヒロインみたいな立ち居地に序盤は見せかけておいて、第二部以降やたら影が薄くなり専用曲がなぜかED曲なのでASHが望のテーマ曲でいいような気もします……。

望が戦闘前に「私たちは似た者同士」と言っているように、この二人は互いを鏡合わせのように見ており「一橋→望」視点だと

あなたは僕を見て shit

で「望→一橋」視点だと

僕は過去を見て kick

に対応しつつも、これは結局「僕」と「あなた」をどっちを逆転させても意味が通じてしまうくらいやっぱり二人は似ています。
傲慢のモナークが一橋を選んだから本編シナリオのような展開になっただけで、仮に傲慢のモナークが望を選んでいたら一橋がバディになって本編シナリオとほぼ同じ展開になっちゃっていたんじゃないかと……(ただ第二部だと一橋は暴走しそうではある)。

また、Monarkの楽曲歌詞全体に言えるんですがかなり韻と言葉遊びが含まれているように感じるところがあり、先述引用部分も「shit=嫉妬」「kick=蹴り入れたいくらい嫌な過去≒その嫌な過去トラウマこそが明日に向かってキックする力となる」になってますね。

※※※

そして、これを望のテーマ曲とするのなら

手を伸ばせばあなたの顔が
切なく愛しく蝕むように

という部分は、シナリオ進行とともに「あなた」が変わっていくと解釈できますね。
最初は目の前にいる一橋のことに思え、望ルートをプレイすると幼少の頃に失った親友ヒカリのことに思え、そして望ルートをクリアすると副長こと主人公のことにも思えてきます。

※※※

しかし「傲慢」って普通七つの大罪を扱った創作モノだと最重の罪であるためある程度は大物として扱われるんですが、本作だとなんと最初で最弱のボス扱いという……。
「ASH」の歌詞の内容も「僕」は「あなた」を思いやるからこそ攻撃的だけど「僕自身」に対しては「失って灰になってしまった」だの「目を閉ざせば楽になるかな」だのやたら後ろ向き。
本編事件時の新御門学園にはどうやらギラギラの傲慢のエゴを持つ人がいなかった模様。

一橋は権能を得ても結局は「誰かや何かが事態を解決するだろうから傍観しよう」という選択肢を取っていたり、望は望でいつだって自分を忙殺させることで現実逃避しているところがある「傲慢」と正反対の自信の無さが強いキャラなので「もう疲れちゃった」的な意味で「ASH」がテーマ曲になっているのは仕方ないところかもしれません。

ただ、メロディ自体は後々の他の曲と違って悲劇的だったり破滅的だったりする要素がなく、割と明るめでスピーディーな曲調なのでここらへんがまだまだ高校生の活力と言えるところでしょうか。

【嫉妬のモナークの契約者】

妻夫木先生のテーマ曲「この夢に弔いを」は、まぁ見事にこのシナリオでのバディとなる館パイセンの性格と正反対の、ゆっくりしっとりとした物悲しい曲です。この若さと老いの対比がいいですね。

歌詞センスが他の曲から浮いており、他の曲の歌詞がギラついたエゴや「煤けて掠れて傷ついてもまだ諦めない」という若さを秘めているのに対し、もうただひたすら「何か一欠片でもこの世に残したい」というエゴ以外は退廃美が広がっています。

「憧れに傷ついて」とか「星も空から身を投げるだろう」とかの響きが好きなんですがとにかく悲観的。
先述の「ASH」は曲調が比較的明るくボスキャラの一橋は決して悪人ではなかったのに対し、「この夢に弔いを」はゆっくりとした悲しい曲調だけど妻夫木先生は被害者ぶった偽善者という対比も良い。
BGMを演出に効果的に組み込むことをよくわかっていらっしゃいます。

しかし、この曲は「どうせもう何も残せない。誰からも忘れられていく」という悲観を唄っているのですが、実際に戦闘が終わってこの曲を聞き終わった後がある意味本番。
妻夫木先生を倒してからどれだけ先生が生徒たちに慕われていたのかを物語るシーンが悲しい。
慕われ愛されていたとしても、本人に伝わっておらず悪魔が契約を持ちかけてきたらあんなに醜悪な一面を曝け出すというあたりこのゲーム本当にエグいな。

また「ASH」もそうですが、「敵対する契約者と相対するバディ」の曲内容のエゴは一致している部分もあって館パイセンも「この世に何かを残したい」というのは一緒なんですよね。
館パイセンは「人の心を奪う」と形容しているだけで、目的自体は一緒です。

凌太郎ルートより

そら館祖父と妻夫木先生は友人になるはずだわ……。正反対だけど根っこは一緒な二人の相性がいいのは当然のこと。

【憤怒のモナークの契約者】

「このゲームはボス戦で専用ボーカル曲が流れるんだ」ということを知り「次はどんな曲だろう」という所に突然流れ出すラップソング。
このあたりから戦闘の複雑さも増してくるので実際のバトル中はちゃんと歌詞聞いている余裕無くなりますし、テンポが速いくせに難しい言葉を使っているので脳内処理が追いつかず、あとあとゲーム非起動中に聞いて楽しむタイプになってきます。

憤怒のモナークの契約者「碇谷昴」のテーマ曲で、タイトル「Pleiades」はそのまんまプレアデス星団こと昴を意味します。

※※※

ちゃんと歌詞聞くとさすがに憤怒のエゴの持ち主だけあってガチギレのブチギレを隠す気もなく曝け出しています。いじめっ子に殺されて悪魔と契約して権能を得たらそら今までの怒りを大爆発させるに決まっているよなぁ……。

碇谷は結構好きなキャラで、二つ目のイデアを砕くまでは「同罪報復」を掲げて無差別殺人はそこそこ抑えていますし(碇谷視点からすればこころ以外の見て見ぬフリしていた学園の人間全てをブチ殺すだけの理由はあります)。

奴が平伏すまで 顰めて前を向く

自分の為が君の為になるなら幸せなんだ
星の如く光り続けて闇さえも自分の力に変えよう

願ってるのは平等な幸

とか意外と前向きな所があって、憧れます。
とくに「顰めて前を向く」は

「絶対に学校や世間の虐げなんかに負けるもんか。群れていじめることしかできないお前らと違って俺は独りでも平気だ。優秀だ。特別なんだ」

という逆境心が悲痛に伝わって来ます。
実際、碇谷とこころが新御門学園になぜ通っているのかというと背景説明とこころと千代ちゃんの雑談をちゃんと読み解けば

  • 新御門学園は成績優秀な生徒は学費免除してもらえる(こころは言うまでもなく錨谷も成績は良い)

  • 錨谷もこころも、親に学費負担をさせたくない気持ちがある

というところがあり、この二人は客観的に見ても特別で親には優しい心を持っている子どもたちです。そして特別というのは出る杭打たれるので……。
他にも「願ってるのは平等な幸」は碇谷もこころも同じで実際の楽曲では「幸、search」と歌っているように聞こえるのでここも共通点。

ただ「自分の為が君の為になるなら幸せなんだ」が錨谷とこころの決定的なすれ違いですね。
「自分の為が君の為になるなら」というのは共通する部分ではあるけどれども、世界に対して攻撃的な錨谷と世界に疎まれていると感じているこころでは、同じ想いを持っていても相容れなかった悲しい対比ですね。

【色欲のモナークの契約者】

本作の中でも、もっとも林Pの性癖が出た業が深く愛が激重の双子である遠野姉妹のテーマ曲。
いや本当にみらいといい久遠といい、千代といいスミレといい、そしておそらくはユリも林Pの手がけたゲームの妹キャラは愛が重すぎます。いいぞもっとやれ。

※※※

あまりにもストレートに遠野姉妹のぶっ壊れちゃって愛というモノを掴めきれず大混乱しているのを歌詞でも曲調でも表現している曲で、本作の中でもとくに大好きな一曲です。
春猿火とヰ世界情緒のデュエット曲で、二人の歌唱パートと合唱パートで姉妹役を分けているのもニクい演出です。

一方でシナリオに関してはある意味一番の胸糞エピソードでも……。
「あかねちゃん中古だけど譲ってやるよ」みたいなメモ書き見た時の腹立たしさときたら。
碇谷昴の怒りは「そりゃそうだよなぁ」という同意ですが、こっちはとにかく野球部が胸糞すぎる。
野球部にしてみればスミレのせいでしっちゃかめっちゃかになったので、あかね一人が被害者面して燃やされるのはたまったもんじゃないのでしょうが。

※※※

ちなみにこの曲もシナリオ中のバディとなる信哉の心情の対になっている部分もありますね。
……というかここまでストレートに肉親への憎悪も愛情も認めて、素直に伝えられたのなら信哉はあんなに悲愴な少年にならなかった。

とはいえ「愛情表現(決して愛情そのものではない)」をエサに無知で無垢な少年少女が搾取されていたという点であかねと信哉は共通点です。
ただ、厳しいことを言えば14~6歳ともなれば劇中の搾取は自分で気づいてしかるべき年齢だったともなるのがちょっと辛いところ。

とくにあかねは自業自得の面が強いのに悲劇のヒロインぶって大暴走したあたり、割と同情の余地ないです。だから大好き。
……まぁ双子の妹にファーストキス奪われた恋に恋する乙女が、身体的な愛情表現でなければ愛を実感できない乙女が、共にすれ違って大暴走するのは当然だよなぁ……。

※※※

この曲はとくに韻と言葉遊びを感じた曲で、聴いていた戦闘中は

脳内干渉 アイソーレーション

の部分は「脳内かんしょう(鑑賞?干渉?感傷?) はい証明書」だと思ってました。そしてこっちはこっちで意味が通じたりするので上手いと感じたところ。

また、全体的に

求めてる深層で

の部分は「もう止めて。真相で」とも聞き取れます。とくに最後の「求めてもう止めて」は「凍結で停止させる」スミレのエゴが滲み出てますね。

そして

生も死も美も地位も奇異も畏怖もいいよ

の部分はとくに衝撃を受けた部分で聞いただけでは「性も死も美も血もキモい、もういいよ」だと思ってました。
個人的にはこの空耳歌詞の方が遠野あかねの心情をストレートに伝えている気がするので、そう聞こえるように計算して作詞作曲されたのではないかと考えています。

【強欲のモナークの契約者】

今までお世話になってきた保険医カケル先生が敵として立ち塞がって流れるテーマ曲。
タイトルがこれ以上ないほどにストレートで、カケル先生の年齢と何十週(隠世礼子曰くカケル先生は70週したようですが)もして擦り切れた心情の割にやたらとノリノリで明るく前向きな曲なので、戦闘中は違和感しか覚えなかったのですが……。

間違いなくカケル先生の曲なんですけどそれ以上にこれから始まる第二部の主人公のテーマ曲でもあります。

※※※

そんな希望も後悔も全て案外消えていく
だからさ 嗚呼 終わりにしよう

ループもののキャラクターの心情を考えたらこれが「強欲」の最後のフレーズだというのは納得のいくところ。

キッパリ言ってますけど、カケル先生は自分のエゴである「死んだ弟のヨミガエリ」は諦めていない。
諦めてはいないけど、さすがに70週もしてココアシリアルバーも食べ飽き、権能による凄惨な現場もエゴのぶつかり合いも見飽きたところに、(恐らく)周回初めて成立した主人公兄妹の姿に自分と弟の姿を重ねて「コイツになら負けてもまぁいいか」が「終わりにしよう」なのだろうなと。

そして歌詞の大部分は「大切な人のためなら絶対諦めてやるもんか」というエゴ丸出しでいっそ爽やかですらあります。
オマケに「大切な人が無事なだけ」でも満足しないし「世界の調和」も振りかざすし「アレもコレも思い通りハッピーエンドにならなきゃ嫌に決まってんだろ!」というあたり正に強欲。
……ちなみに「欲望のエゴが少ない」とゲーム中の心理テストで散々言われた私は二部最初にプレイしたこころルートでも「ここで時間巻き戻すのはこころちゃんの不安で危険で構わないというエゴを踏み躙るようで嫌だな……」と思ったりもしました。
選択肢一つしかねぇって場面が結構多いあたり、喋らない主人公のくせに副長はめちゃくちゃエゴ強くてプレイヤーの思い通りにならないヤツですね。好き。

強欲の最後のイデアはバニタスが持ち逃げしてくれたおかげで、実質副長の権能として機能していたわけなので、そういう点でもカケル先生から主人公へと欲望のバトンタッチが詠われていた曲だったのだな、と二部が始まってからようやく気づく構造になっています。

※※※

あとカケル先生は周回しまくったせいで相当深い所まで知っていたでしょうから「最愛の弟は権能が生み出す世界のユガミのせいで死んでしまった」ということも気づいていたでしょうし、それでいて自分の権能は最悪の燃費なので本当にエゴを貫いたら世界がエラいことになる=自分の弟を殺した原因の力に頼っているという自己矛盾に苦しんでいたところもあったでしょうね。

でもその自己矛盾は後々に回すとして、カケル先生が副長を気に入ったのはそれこそ弟に重ねていたからだと気づくと中々にエモい。

【暴食のモナークの契約者】

バディの一人である館凌太郎のテーマ曲。

いかにも館パイセンといった、ノリノリのロックにギラギラを微塵も隠そうとしないガツガツとした歌詞をストレートにぶつけてきた一曲。
そもそも館パイセンとの戦闘は

「俺もお前もエゴイスト同士なんだからガタガタ言わずに戦って決めようぜ!」
という姿勢なので

契約者同士の闘いの中でも後腐れや気後れが少なく、本作の中でも屈指の燃える曲。

※※※

ただ、館パイセンって本人スペックが凄まじく、実際にこころからも信哉からも「権能なんて無くてもお前はなんでもできるんだから契約なんか必要なかっただろう」と言われて「俺はもっと強くならなくちゃいけないから」「負けたら今の俺も無くなるから」と返したことを考慮すると、この青春ドストレートに渇望感と大人への反抗を表現したGunpowderは悲しい一面も見えてきます。

ようするに、館パイセンは表面上の余裕ぶった態度と実際の超スペックと裏腹に「俺は大切なものを守れるのか?」という恐怖に震えている少年で、その自信の無さをモナークとかいう悪魔につけこまれたわけですね。

傷だらけになって、しわがれるほどに吠えて、それでも全身燃やして喰らいつくのは、もうこれ以上失いたくないから。
本質的には善良で人懐こい性分なのに、友達や恋人を作らず馴れ合いを嫌うのは「大切なモノ」を奪われた己の無力感を味わう可能性を増やしたくないから。

実際の館パイセンは、口喧嘩も達者で駆け引きもよくわかっているんですが、イデアに込められた欲求やGunpowderの歌詞を見ると「弱い犬ほどよく吠える」という自嘲を感じてしまうところです。

またこの自嘲は

金属音でどうかした
悪い大人の振るう銃身に
今の自分が重なるんだ 嗚呼

という歌詞部分でも感じるところ。
「どうかした」は「同化した」とも聞き取れる部分で「奪われないために奪い取る」というエゴを自己矛盾と思っているあたり、館パイセンの本来持つ優しさが弱さになってしまっていますね。
これは第二部で身内を失くしてしまった(しかもその遠因は自分にある)という気後れで弱さが出てしまっているのだと劇中で信哉君が突いてますね。

【怠惰のモナークの契約者】

バディの一人である駿河台こころのテーマ曲。

傷つけず傷つけられないこと、安心安全を信条とし、争うことを何よりも厭うこころらしい、およそ戦闘曲らしからぬ透明感に満ちたゆったりとした一曲です。
エゴの主張も控えめで戦闘中のSEやボイスに掻き消されて初めて聴いた時はただただ清涼感に満ちた寂しさが訥々と伝わってくるだけでした。
なんかもうすごくED曲っぽい(本作のED曲は望のテーマ曲ですが……)。

※※※

また、対比する碇谷昴のテーマ曲「Pleiades」とは正反対に内へ内へと閉じていく曲なのに対し、どちらも「何億光年」「プレアデス星団」と宇宙に関するワードがタイトルになっているあたり、やっぱりこの二人は正反対ながら通じるものがあります。
いじめられっこ、はぶられっこ、はみだしっこが地球このセカイから離れた宇宙に憧れを抱くのは一緒というところでしょうか。

困ったことに、駿河台こころというキャラ自体は本作の中では一番好きなのですがテーマ曲に関してはあまりこれ以上語る要素がないです。
彼女が一番好きなキャラなのは一番共感を覚えるためなんですが、テーマ曲に関して共感を覚えるのはむしろ「Pleiades」の方なので……。

【Dear】

目次ネタバレを意識して曲タイトルは見出しに使っていないんですが、下手に暗喩した方がネタバレになっちゃうので、この曲だけはタイトル曲を見出しに書きます。

バディの一人、弓田信哉のテーマ曲です。
……まぁこの曲が流れる戦闘で戦う相手は信哉君本人じゃないんですけどね。本人が戦ううえでこんな悲愴感たっぷりの曲流されたらたまったもんじゃない……(本編シナリオ展開でも十分エグいですが)。

最初に選んだのがこころルートだったので、信哉君の過去は知らなかったですけど察しはついていたので既に辛かったです。
一応タイトルの「Dear」は親しい相手に呼びかける時に使う単語なので劇中で使われた場面を考えると「センパイ……」「ヘヘ……」みたいな台詞くらいしかないので合っていると言えば合っているんですが、呼びかけるだけでそれ以上は心の内に溜めて「愛してるから愛して」と言えないのが実に信哉君だとも解釈できます。
先輩大好き❤(だから死ね)」とも取れますが。
どっちにしろエグい。

※※※

ともあれ信哉君ルートのED曲に使った方が正しいんじゃないかってくらい、実際に劇中で使用される場面より信哉君ルートの彼の心情をストレートに表現しています。

赤く染まる夜 嫌悪の結末
破り捨てた君と僕の約束
灰色に染まる空 囚われの身で
無力でやるせない奥歯を噛み締め

あたりは、正に赤いヨルの下で敬愛した先輩とお別れしなくちゃいけなくなった状況ですし、義母のソラの本性を垣間見て整理をつける前に彼女を奪われて、無力さと絶望感に打ちひしがれた様そのもの。

とにかく自罰的で自嘲めいた暗く悲しい曲で、およそ欲求といえるエゴを中々見せないあたりが本当に信哉君です。
それでも最後には怒涛のように欲求を打ち明けて、そして諦観するという……。
信哉君の痛々しさが見事に再現されすぎていて、辛い。仮に本当に信哉君ルートでカケル先生との話し合いする前にこの曲流されたら危険だ。死にたくなる。

【■■のモナーク(青)】

名前の時点でネタバレ全開なので目次ネタバレを考慮して伏せ表記にしています。

憂鬱のモナークの片割れ、神宮ソラのテーマ曲。一応ラスボス曲の一つ。

※※※

この曲、最初聴いた時は歌詞も抽象的で詩的に過ぎるので、戦闘に頭使っている最中に真面目に聴く余裕が無くてそんなに印象に残らなかったんですよね。

でも全部ボーカル曲聞き終えた今は一番好きな曲になっています。

サビ部分の

ほらおいでおいで 気層の淵まで
繋いで貼った愛の傷痕
なんか不安ね おやすみね

だけは戦闘中でもきちんと聞き取れて、ゾッとした部分でもあります。
最初に聴いたのがこころルートだったので、よりシナリオとシンクロしていたのも理由。
自らの内に、天空(ソラ)の上に手招きしてくる大いなる母グレートマザーを気取る悪魔。
ツギハギとパッチワークで繕った愛の残骸。
そして唐突にメンヘラよろしくいきなりアンニュイになるという……。
正に憂鬱のモナーク。

※※※

オケでもエレキやらなんやらが電子ノイズじみた演出になっており、聴き取りやすく印象に残りやすい静かなボーカル部分の方が実は曲全体で見れば少ないというあたり、ソラのぶっ壊れ具合が出ています。
そもそもタイトルが「あおいこわす」という時点でもう壊れている。

※※※

また、最終部のネタバレになりますがソラのテーマ曲でありつつもその背後に憂鬱のモナークの契約者のエゴが見え隠れしていますね。

イントロからサビ部分までの歌詞は契約者の方のエゴが出ていると解釈しています。とくにわかりやすい部分は

花は化石になる君の声も指も髪も骨に変わる

だと思います。それ化石にも骨にもなんねーよっていうモノばかり列挙しているのが、契約者の「憂鬱」。

※※※

そんな風に契約者のエゴに侵食され、侵食されたからこそ確立した「神宮ソラ」という自我(エゴ)が壊れそうになるのを不器用に混乱しながら取り繕おうとし、災厄を振り撒く独善の悪魔の不安定さを見事に表現した曲で、大好きです。
というか、憂鬱のモナークは両方とも好きです。使命感と自己矛盾と責任感と抑圧と虚飾に満ち満ちている。
「エゴを貫け」がテーマの本作ですが、エゴとはメインキャラのテーマ曲みたく若々しくエネルギッシュなエゴばかりではなく大人の掠れて腐ったモノもまた一つのエゴだと提示してくれているので。

【■■のモナーク(赤)】

憂鬱のモナークの片割れ、ヨルのテーマ曲。一応ラスボス曲の一つ。
例によって一応伏せています。

ヨルのストレートに悪辣な性格も含めて、バトル曲らしさとラスボス感ある曲です。
まだイベントパート中に「ララランラ♪ラランラ♪」と楽しげなイントロの歌い出しが入って戦闘準備画面に入る頃には歌詞パートに入るので、このあたりもラスボス感あって、ソラと戦うルートより「こいつボッコボコにしてやる」という気持ちになりやすいですね。

※※※

憂鬱のモナークの契約者の束縛(のうえに劇中でのヨルの精神攻撃のせい)によって自己矛盾を起こして崩壊しかけているソラのテーマ曲「あおいこわす」と違い、こちらはハッキリとヨルのエゴと憂鬱のモナークらしさが出ています。

副長こと主人公と、ヨルルートでのバディである信哉や望を嘲弄するような歌詞内容で、この曲もこの曲で本作のボーカル曲全体を見るとちょっと歌詞の方向性が異質です。
というのもヨルが世界に対してどう向き合っているのか、というエゴがほとんど無いように受け止められ、ヨル→主人公への想いでほぼ完結しています。
他キャラは大なり小なり世界への怒りや悲哀が込められているのですが(何億光年の孤独やこの夢に弔いをなんかほとんどそれしかない)、ヨルは世界を見ていない。

これはヨルが分離したてで、世界に対して人間らしい感情で想うところがないのが原因なのではないかと受け止めています。
そもそもモナークは人間より高次元の超越存在なので、劇中での振る舞いのように世界も人間もオモチャとして見ているのが自然なわけです。
それほど強烈なエゴをぶつけるほどの執着なんて最初からない。
だからお気に入りで最高傑作のオモチャにして我が子である主人公に「ここまでがんばってくれてありがとう。君はもう用済みだよ」で完結するのもやはり自然。

※※※

ただ、最終部で「Is it Pain Love or Death?」を聴く段階までシナリオを進めて、この曲の印象が変わりました。
自己確立するために、自分自身を産むために使い捨ての駒として、絶対に外の世界で生きられないように主人公を作ったヨルだけど、実は彼女ヨルも同じかそれ以上に外の世界で生きられない存在だった。
こころルートだけは上手くヨルが外の世界に脱出できたように見えますが、憂鬱のモナークの契約者のイデアは既に崩壊寸前で、さらに契約者を殺してしまった以上彼女が現界していられる時間はそう長くないはずなので。
そもそも人間よるはるかに高次元存在であるはずのモナークが、ヨルのように人間らしさを得ており、その自我エゴの確立に固執している時点で、もうまともなモナークじゃなくなっているんですよね。契約者の命令に実は束縛されている証です。

そうなるとこの主人公を嘲弄するような歌詞内容が全部ブーメランとしてヨルに返ってくる構造になっています。
それどころか「新しい身体をあげる」という「次」すらない。

叱責の合図を頂戴
だって未完成なんです 永遠に灰

という部分は主人公への皮肉のようで、それ以上にヨル自身が永遠に未完成で生まれる前から終わっていた存在だったことを象徴しているところ。

ここらへんのヨルのエモさはSSにして消化することにしました。

またバトルモードの「王冠を被る赤子を抱く悪魔」というヨルの姿からして、どれだけ我が子を偏執的に愛しているかを示しています。
歪んでいて未来なんか与える気は微塵もないけど、ヨルはなんだかんだ言って我が子が大好きなんだという所に、結局は帰ってくる名曲です。

なおこれが名曲だと思えるのはヨルが人間じゃなくて悪魔だという前提でお願いします。
人間の親が我が子に対してこんな偏執的で歪んで捨て駒としての愛を抱いていたらクソ野郎すぎる……。

【■■のモナークの契約者】

クロムウェルの書記の執筆者としてゲーム開始段階からその存在を匂わせていたH.Cことヒューゴ・クロムウェルのテーマ曲「Is it Pain Love or Death?」です。

分裂した二体の憂鬱のモナークを従えて対決するためか「あおいこわす」「あまくてあかくて」が混ざったような曲になっているのですが……もはや憂鬱のモナーク二体の主張が強すぎてヒューゴのエゴが全く見えない。

まだ「あおいこわす」の方がヒューゴのエゴが垣間見える有様で、歌い出しの時点で

終点になっても乗り換えない?
空ばかり見ていたい?どうされたい?

と「もうあなたの伴侶のソラは死んでいるのにまだ幻ばかり見ているの?」「どん詰まりまで来て貴方はどうされたいの?」とモナーク側の皮肉から始まっています。

考えるに、イントロの静かで綺麗なピアノパートの部分くらいしかもうヒューゴのエゴは残ってないんじゃないでしょうか。
それくらい、ヒューゴのエゴはもう憂鬱のモナークの化身の方のソラに取り込まれており、彼の人格はもうほとんど神宮優悟になってしまっていたのだと解釈しています。神宮優悟になってからの四十年近い年月はあまりにも長すぎた。
バニタスが「哀れな男」「お前は自分のエゴを諦めた時点でもうイデアの維持は先細りするだけだった」と言っていたのが根拠です。

※※※

そういうわけで、実質この曲は「憂鬱のモナークの契約者」のテーマ曲じゃなくて、正真正銘こちらが「憂鬱のモナークのテーマ曲」だと解釈しています。ややこしい。

「あおいこわす」と同じ歌詞の

長い指を海に絡め取られ、きらめいている
花は化石になる君の声も髪も指も

は入っていてもいてもこの中間にあった「神様みたいな永遠が欲しい」が抜けているのはその部分こそがヒューゴのエゴであった=「伴侶のソラと末永く幸せに暮らしたかった」は憂鬱のモナーク側には無いと。

この後は怒涛のように長くヒューゴへの恨みつらみと皮肉が延々と続きます。
そりゃ上位存在であるはずのモナークが人間如き契約者に使役される状況になっていたんですから(そのうえエゴという食事もロクに得られないので不当契約もいいところ)、キレるのは当然でしょうね……。
怒りのぶつけ方もPleiadesやGunpowderに愛厭奇縁のようなストレートさがなく、ネチネチと回りくどく陰湿で「私たちこんなに貴方に尽くしたんだよ?」と囁くのがもうさすが憂鬱のモナーク。

※※※

ただ、同時にこの曲もまたヒューゴだけでなく主人公への呼びかけにもなっていますね。
主人公たちは諦める気ゼロですけど、自分に未来なんて無かったと悟ったヨルが「五つ目のバッドエンドが増えただけなのに」「地獄に落ちる時は一緒だよ!!」と叫んでいるあたり「終点になっても乗り換えない?」はそっちの意味とも取れます。

皮肉をぶつける相手がヒューゴにしろ主人公にしろ成立しつつ、やっぱりネチネチしているのが最高に大好き。
とくに「ファントムペイン」の部分はヒューゴには「自分可哀想に酔った幻痛だよ」と痛烈な皮肉になっており、主人公に対しては「共感と時間巻き戻して見たバッドエンドなんて幻だよ。そんなものより今から痛いくらいの愛と死をあげる」と皮肉の中に狂った愛情エゴが混じっていてもう本当に大好き。

※※※

ちなみに曲と関係ない余談ですが、私がプレイした時にヒューゴは「障害譲渡」(自分が受けるはずのダメージを一番近くにいるユニットに押しつける)を使ってました。
そこに発狂覚醒で全ステータス380%強化した「矢の雨」をトリスティアとヒューゴにぶつけたらヒューゴが受けるはずのダメージがヨルに押しつけられてモナーク二人は何もできずに仲良く一緒に死亡。

当然配下を失ったヒューゴは次のコマンドで即戦闘不能に。
……「エゴを貫くことができなかったヒューゴは自分が可哀想なだけの自己愛にまみれた男に堕ちてしまった」という私的評価はこの事故が重いです。
そもそも障害譲渡を持っている時点で……。

【ラストバトル曲】

およそラストバトル曲とは思えない、優しさと迷いに溢れたその名も「世惑い子」
相手が相手なので、今までのような対等の殺し合いになんてなりゃしねーんだから仕方ないですね。文字通り次元が違いすぎる。

※※※

ラスボスの優しさと厳しさに満ちた宣戦布告から、この歌流れ出した時は正直涙腺が緩みました。

「どうせこの世は虚飾だ」
「元から狂っているとも言える」
「だからお前たちがそんな世界に遠慮なんてする必要は無い。狂わせてでも、壊してでも、それでも掴み取りたいモノがあるならそのエゴを示せ」

というのは初見時「さすがに暴論じゃねーか!?」と思ったんですが、考えてみれば、人々の生活を便利にしたくて制御方法を開発されたはずの電気エネルギー等はそれを維持するために世界にユガミを生みまくっていますし、食糧難を解決するために造られた穀物や芋類を栽培するための土地と人材は略奪と搾取によって賄われ、情報のやりとりを楽しく便利にするために発展したウェブネットワークはギスギスした人間関係を加速させ……うんもうやめようこれ以上考えるのは。

世界に混乱を生むつもりは無かったはずの良心から生まれたモノですら、世界にユガミを生む。
ならお前のエゴを貫いて一つや二つ世界のユガミが増えたとしても、そんなもん些細な瑕疵だ。自己責任でなんとかやってけ。
そういう叱咤激励が詰まった曲です。ただ優しく寄り添ってくれるだけじゃない。

※※※

また、これMonark本編では一切触れられていないんですが、誰かを傷つけ死なせる世界のユガミなんて無い方がいいのは間違いないんだけど、ユガミが無ければ主人公は生まれなかったし、バディたちは主人公に救われず世惑い子のままだった。

心の奥に眠る大切なものは
しっかり両手で抱えてほしい
それだけは大事に愛してほしい
世界を滅ぼしてもしょうがない

正にエゴ。
誰かのために、世界のためにと慮ったことですら世界にユガミを生み、世界を滅ぼしてもしょうがないというエゴが誰かを救うこの矛盾。

そうだね……

※※※

でもこの「世惑い子」が叱咤激励になるほどの人って、実は少数派なんじゃないかと開発スタッフですら承知のうえなんじゃないかとも思っています。

一つだけあるだろう
心の奥に眠る何かが
それは愛かもしれない
憎しみかもしれない
君が決めていいんだよ

とラストバトルで説く一方で……

嫉妬ノ章より
同じく嫉妬ノ章より

他にも色欲の章で道を塞ぐ面倒くさい女子は童話を引き合いに出して

・ラプンツェルが好き(恋人はどんな過酷な目に逢っても自分を求めてくれるから)
・人魚姫が嫌い(少女の献身的な愛は報われないから)
・地獄の果てまで一緒についてきてくれるような男性が好き

とかいう相手には負担を求めるくせに自分は献身を厭うダブスタクソ女子が出てくるあたり(しかも必須イベント)、大多数の人間は心の底に眠る何か確固たるエゴ」なんて持っておらず、他人任せで利己的で被害者であることを意図的に選択する人間ばかりってことは、わかったうえでのシナリオなんですこのゲーム。

それでもこの「世惑い子」こそが本作のラストバトル曲であるのは、その揺らいで惑うお前を、確固たるエゴに変えて貫いてみせろ、ということなんだと受け取っています。
やっぱりこの曲は優しいようで、厳しいです。だからたぶん涙腺が緩んだんだと思う。

【EDテーマ曲】

一応日向望のテーマ曲……なんですが、流れるタイミングがスタッフロールであることと、歌詞の内容的にもかなり主人公のテーマ曲にもなってしまっているような気が……。

「世惑い子」がたとえどんなエゴを抱えていようと寄り添ってくれながらも「選択」とそれに生じる「責任」は己で背負えと覚悟を問う曲に対し
「君の望み、君の願い」はそうしたエゴを貫こうと周りと衝突し、傷つき倒れたり破滅的になった「君」がどう思おうが知ったこっちゃねぇ助けに行くぞこれが僕のエゴだから、という曲だと受け止めています。

※※※

ASHでは

閉じ込めるあなたの願い
いっそ壊してやるよ
きっと きっと

とか、望ルートではこころを首根っこ引っ掴んで現実世界に引きずり戻すとか、望はスイッチが入ると相手が拒否しても力づくで「優しく傷つける」ことができる傲慢なエゴイストなところがあります(そして自覚もしている)。

でも、これ第一部の主人公の立ち回りも大体一緒ですよね。

傲慢、嫉妬、憤怒、色欲の契約者はイデアを砕かれてその人をその人たらしめるエゴを失いましたが、傲慢の契約者の一橋以外はむしろエゴを失った後の方が幸せになっています。
なので、エゴを貫こうと固執するがばかりに世界も自分も傷つける行為が看過できないのであれば、それを止めるのも諭すのも一つのエゴであり自由であると。
そしてもちろん、相手が「助けて」と願えば素直に手を差し伸べる。

ちなみに主人公は第二部でバディたちが「もう自分には関わらないで」と言っても再びバディを組むまで粘り強く説得するあたりも同じです。
第二部開始時のバディは全員心の奥底では「自分一人じゃもうどうにもできない。誰か助けて」と願っていましたから。

「世惑い子」が寄り添い続けくれるだけで心強くなれる時もあれば、逆にプレッシャーになるという時もあるという曲に対し
「君の望み、君の願い」は積極的に手や言葉を差し伸べられることが迷惑と感じることも多いけれど、でもやっぱり独りじゃ生きられないから
という対比になっていて、流れるタイミングを考えるとどちらの姿勢も同じくらい大切だというお話になっていますね。
……だからエゴを貫くのって難しいんだよ。

※※※

余談ですがこの部分

君を掴む損なうような役立たずな腕を
何度もいでしまおうと思ったか
でも僕が腕をちぎるたび縫い付けてくれるような
傍らには君がいる
そんな幻

CRYSTARより

「あの時妹の手を離さなければ」にずっと囚われ続け、それを傍らでずっと見守り続けていた幡田姉妹を思い出すところでもあります。
エゴを貫ききった先にあるのがハッピーエンドとも限らないというのは、CRYSTARだけでなく本編のカケル先生も一緒なので、お辛いところ……。

【ニヒル】

OP曲にして裏ラスボス曲です。
Monarkはニヒルで始まり、ニヒルで終わる。

この曲のおかげで本作の探索パートの障害となる「霧」とはテーマ的には「エゴを見失わせる世界」の象徴で「そんな不確かな世界だからこそ、お前のエゴだけがお前をお前たらしめるモノだ」というテーマに繋がっているのだと理解できました。
「霧」なんて本当は存在しないし、誇示するエゴもただの勘違いしれない。
正に虚。だからこそ虚ろを飾ってニヒルに笑って世界に立ち向かえ。
そんな曲です。すごいストレート。

※※※

好きな歌詞部分は

フラットしている世界がフラッシュしている
脳みそじゃ許せない

flat=平坦で起伏がない世界であると同時に
「フラっとしている世界」と擬音の方で聞き取れるようになっており、ゲームクリア後に聞くと

突出した者は許さず、平坦であることを強要する世界。
そんな強要をしてくるくせに、フラッとして掴みどころがなく、瞬いて不確か。
感覚はそう告げているけど、脳みそエゴが許さない!

と解釈できますね。

※※※

総じて世惑い子が優しいようで実は厳しさを強く秘めた曲なのに対し、ニヒルは攻撃性剥き出しのようで、結局断言しているのは「僕だけは消せない」というあたり上手いことこちらもこちらで対になっています。
でもその「僕だけは消せない」を裏ボス戦で宣言するのは本当にカタルシス。
もうたったそれだけのために戦ってきたようなもんですからね……。

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