名著『継続するコツ』

『継続するコツ』という本を読んで、久しぶりに目から鱗の感覚。最近は本を読んでも、「どこかで聞いたことあるよな」という感じだったが、今回はなかなか興奮した。

何が自分にヒットしたのか、あえて正確でなくなるように原文を調べずに書き連ねてみよう。

著者は物書きだから文章を書くことを継続している。で、継続がもう生きる目的のようになっているそうだ。この感覚、自分もいっとき掴みかけた(というか一時的に掴んだことがあった)からよくわかる。
著者が継続できるのは、書きたいことだけを書いているからなのだという。とてもシンプル。書きたいことを書いていて、それがまとまろうが、人から読みにくいとくさされようが、そんなことは関係ないと心底から思っているようだ。うまい文章を書いたり、評価されるために書くのでもないし、名作を生み出そうとするのでもないし、面白いものを書こうというのでもない。ただ、このように好き放題に書いていると、文章を書く行為に自分自身が載ってきて、渦に巻き込まれるような感覚になる。そうなったその状態そのものが、喜びだから、これを味わうために継続する。これを味わえれば幸せだから、継続は即そのまま幸福であるという理屈である。

著者は、継続すれば幸福になるという。少なくとも著者に関してはそうだと断言しており、本当にそう思っていることが文章から溢れ出ている。継続すれば能力が身につくとはいっていない。継続すれば成功するとも言っていない。継続する行為そのものから直接主観的な満足を得られるし、その満足は客観的に成功したときに得られるような短期間のものでなく、もっと本質的だと言っている。

そうなのだ。我々はよく一番大事なこととそうでないことを混同するけれど、最も大切なことはその瞬間に幸福を感じることである。その結果のアウトプットは、いわばその残滓に過ぎない。ましてやそれが評価されることなどは、さらに副次的なものだ。

『継続するコツ』を読んで、久しぶりに自分でも文章を書いてみたくなった。別にこれが継続するかどうかはわからないけど、書いていてサクサクと楽しかったのは間違いない。著者は、添削すらしないのだそうだ。私もこの文章を、遅めの昼食のレストランに並ぶ間に頭から書いて、添削も修正も読み直しもしなかった。そして、席が空いて座れて、電話で呼び出した家族が到着する前に完了しようとしている。よく考えたら、私のような素人の書く文章、それで充分に決まっている。

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