ありあまる暇と孤独の活用

これは、私自身の無聊を癒すために書く文章である。

私は、日本のある大手企業に勤めるアラフォー男子である。いまは、とある国に駐在員として派遣されている。その国の名はここには書けないけれど、とにかく日本からはあらゆる意味で遠い。そして、その国ではコロナが猖獗を極めていて、2021年6月の今になっても、何度もロックダウンを繰り返している。私には美しい妻と可愛い子供がいるが、こういう状況なので愛すべき家族は日本に帰った。私は一人でこの国に残り、この国の人たちと仕事をしている。仕事はすべてオンラインである。そして仕事は信じられぬほど暇だ。

つまり、どういうことかというと、私は、たった一人で、遠い外国で、家から満足に出ることができず、人との接点が極めて少ない状態で生活している。

私は当初、この状況を「人生で最大のチャンス」と解釈していた(いや、本気で)。私には一つの趣味がある。「瞑想」だ。それも、今流行りのマインドフルネスみたいに、一般社会に広く受け入れられているものではなくて、もう少しディープな「TM」という瞑想である。私は現在の、とても孤独で、とても退屈で、とても自由な期間(もちろんそれはいつか終わりを迎える)に、この特殊な瞑想を極めてやろうと考えていたのである。

瞑想にもいくつかの段階があり、初級のものは朝夕に20分ずつなので、生活の中に簡単に組み込むことができる。ところが、私がやっている上級のものは、一回にたっぷり2時間近くかかるし、特殊な動きをすることもあってそもそも一人暮らしでないと満足に行うことができないものなのだ。こんなに時間がかかり、特殊な環境を要する瞑想を1日2回、毎日欠かさず行えるのは、今のこの期間しかない。そういう期間はアラフォーの(本来であれば働き盛りの)サラリーマンの誰にも与えられるものではない。これはいわば、天が私のために、機会を与えてくださったのだと、そう考えていた。

私は当初、私の人生をいわば実験台にして、こういう特殊な瞑想を、1日2回欠かさず長期間行ったら、人生がどのように変化するかを記録し、広く公開しようと思っていた。もちろん瞑想の結果・効果のようなものは人それぞれで、私が瞑想を続けた結果どのような効果を得たとしても、単なるn=1のサンプルにすぎない。私自身も他人の経験をそのように切り離して見ている。それでも、ただ自分のためだけに瞑想をしています、というよりも、その結果を広く社会に共有するという付随目的があった方が、なんとなし張り合いが出てくるのが人間だ。

そんなこんなで、遠い異国での単身生活が始まったのが2020年の10月。そこから、なんとか1日2回の長時間の瞑想を続けようと思ったのだが、何のかんのと言い訳をつけてやらない。そういう期間が11月6日まで続いた。10月から11月にかけて、この国では気候も良く、コロナも一時的に収まって外出もできるようになっていた。そういう好環境の中で、家にこもって2時間も3時間も瞑想をするというのはまだ若い私には少し寂しい感じがあった。瞑想をやっていないことに関しては、若干のプレッシャーを感じたが、それでも友達と短い旅行をしたり楽しい日々だった。この間、私の思考は「どうすれば確実に1日2回長時間の瞑想ができるようになるか」、その方法論に集中していた。方法論はいくつも思いつくのだが、実践は難しく、なかなか思うように瞑想ができない日々が続いた。

ところが、11月6日に、あることを自分の日記に記載し、決意してから、1日も欠かさず長時間の瞑想ができるようになった。その方法はとても単純なものである。でも、瞑想に限らず、現実の世界で新しい習慣を身につけるためのヒントがそこにあると私自身は思っている。

その方法について、次回書いてみようと思う。キーワードは「ビットコイン」。



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