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第20回「一般の方々が何かの仕事をしているように、行者は神仏への祈りを仕事にしているといういわば祈りのプロでもあります。」山口 弘美氏

山口 弘美(やまぐち ひろみ)氏

大手エステティック業界でキャリアを積み、1989年に独立して最初のサロンをスタート。
婚約者や両親の度重なる死に直面するという辛い時期を過ごした後に、特有の手技と気のエネルギーをミックスさせたマッサージを展開し始める。
同時期に聖地巡礼をはじめ、奈良の大峰山の麓、洞川村で行者修行生活に入る。3年で山を下りてから、修行時代に体得した学びを生かし、さらにパワーアップしたスタイルの「チューニングセラピー」を編み出す。その技術を通して日本の女性の「心と体と魂」を活性化させるべく、日本中に「一家に一人セラピスト」を生む活動を推進中。

山口弘美ヒストリー

テンプル――
今回ゲストにお招きしたのは、心と体と魂の調律を図るセラピーサロン「メイプル」の代表、山口弘美さんです。山口さんはサロンの経営者という表の顔のほかに、修験道の行者という裏の顔を併せ持つ女性。約3年前に友人から紹介されたのですが、ここ1年は各地の神社にご一緒させていただく機会が増え急接近するように。その道中、山口さんから『神仏への祈り』や『先祖供養』がいかに重要かの話を何度も聞くようになりました。そんな話を聞けば聞くほど『この内容はきっと多くの人にとり必要な情報に違いない。ぜひ皆さんにもシェアしたい』と思うようになり、今回改めて山口さんに詳しくお話を伺うことに至ったという次第です。

まずは山口さんのご紹介がてら、エステティックのお仕事を始められてから現在に至るまでのヒストリーをお話しいただけますか。私はすでにほとんどの内容を伺っています。一言でいえばまさに「波乱万丈」な人生ですよね。

山口――
これでも大学生になる頃までは、普通の人生を送っていたんですよ(笑)。もともと私は看護師を、さらに保健婦を目指して看護系の大学で勉強していまして。寮に入って朝から晩まで勉強漬けというハードな生活をしながらも、将来への夢と希望に満ちた日々を送っていました。ところがその在学中に、突然父が脳腫瘍で倒れてしまったんです。幼い頃から自他ともに認める父親っ子だった私は、心配のあまり学業どころではなくなってしまって。一家の大黒柱だった父がもしこのまま働けなくなったら、病弱で専業主婦の母とまだ高校生だった弟を抱えて、この先どうやって生活していけばいいんだろうと・・・。家族全員で路頭に迷うような事態になることだけは避けたい、それには私が父の代わりに一家の大黒柱になるしかない。そう腹をくくった私は、大学をやめて働きに出ることにしたんです。

テンプル――
大学生の頃に、女一人で一家を支える決心をされたんですね。

山口――
そうなんです(笑)。それで、美容室で美容師見習いを始めました。手に職をつけることができるうえ、勉強しながらお給料をいただけるという理想的なお仕事だったからです。年頃の女性らしく、ヘアメイクやファッションといった華やかな世界への憧れもありましたしね。そんなわけで、私はどんどん働くことが楽しくなっていきました。やがて仕事にも慣れて2年が過ぎた頃、もっと女性の美を磨く技術を究めたいという欲を持つようになり、東京の大手エステティック会社に転職することにしたんです。

テンプル――
その頃にはお父様もお元気になられていたんですよね。

山口――
はい。ですからこの頃は、心おきなく自分のやりたい仕事を追及することができました。エステティックの技術や知識、サービス、経営などあらゆることについて学び、そのかたわらで美容師免許を取るための勉強も……。毎日2~3時間の睡眠しかとれなくても疲れ知らずで日々を意欲的に過ごしていました。エステティック会社の売り上げで好成績を出し、自分の仕事に自信がつき始めた頃、独立のお誘いを受け、地元の群馬に戻ってエステティックサロンを開業することになりました。

テンプル――
当時の山口さんは今とは全然違って、精神世界には全く興味がなく、現実主義でいらしたんですよね。

山口――
ええ、そうです。家族を養いつつ、始めた事業も軌道に乗せていかなければいけない。だから、この現実世界でどうしっかり生きていくか、ということにしか興味がありませんでした。利益とか集客とか、毎日そんなことばかり考えていましたね。事業に集中していたおかげで、お店もどんどん繁盛するようになっていきました。

テンプル――
そんな山口さんが、次第に見えない世界へと導かれるようになっていくという。

山口――
きっかけになったのは、当時の婚約者でした。もともと彼は心臓に持病を抱えていて、そのケアや体調管理をするために、私のサロンに通っていたお客様だったんです。うちでは病院と提携したり看護師さんが勤めていたりして、美容だけでなく健康にも気遣うような施術やアドバイスも行っていました。そういえば、この頃は洗腸療法やひまし油湿布なんかもやっていたんですよ。彼が私を頼りにするようになり、私も親身になって対応していくうちに、いつしかお互いに愛情が芽生えて、結婚を前提にお付き合いをするようになったんです。彼はずいぶん年上で経済力のある人だったので、私の仕事にも理解を示してくれ、エステの店舗を増やそうというプランにも協力的でした。

テンプル――
結婚を目前に控え、仕事も軌道に乗ってまさに幸せいっぱい!という感じだったんでしょうね。

山口――
はい。ところがそんな幸せの絶頂にいた私に、またしても試練が……。それは彼の突然の死でした。心筋梗塞だったんです。心臓に持病を抱えていたとはいうものの、38歳というあまりにも早すぎる死に、私はただ唖然とするばかりでした。将来の夢に向かって胸を躍らせていたときに、いきなり愛する彼を失うなんて。しばらくは現実を受け止めることができず、仏壇の前に座って泣いているばかりという状況でした。そして、日に日に深まる悲しみをどうすることもできず、精神的にどん底に落ちてしまった私は、彼の後を追って死にたいと願うようにさえなってしまって。その頃は遺書をたくさん書きましたね。

とはいえ、いざ我に返ってみると、死んでいる場合じゃないという現実もまたありまして(笑)。というのも、サロンの店舗展開をするために借りた借金が、この頃には8000万に膨れ上がっていたんです。すっかり憔悴しきった私を心配して一緒に頑張ろうとサポートしてくれるエステティシャンの仲間達の生活もどうにかしないといけない。それで何とか一念発起して、頓挫しそうになっていたサロンの出店計画をまた進めることにしたんです。

山口――
そんな辛い状況のなかでよく立ち直ることができましたね。そして、そのあたりから不思議なことが起こり始めるようになったとか。

テンプル――
そうです。それはある日突然始まりました。コンビニにいくと知らないうちに右手が新聞を掴んでいる。新聞を買って帰ると、今度はペンをとって訳も分からないまま株の銘柄をチェックしはじめる。一体何をしているんだろうと自分でも驚きましたが、彼が株取引をする人だったので、これは彼に動かされているんだなと。それを皮切りに、どんどんいろんなことが起き始めたんです。口を開けば自然に言葉が出てきたり、自動書記でメッセージを書かされたり、目を閉じれば文字を見せられたり。その頃ちょうど「ゴースト」という映画が流行ってましたが、あんな感じだったかもしれません。

不思議なことが起き始めた私を見て、母は『あまりにショックを受けたせいで頭がおかしくなってしまった。精神病院に入れたほうがいいかもしれない』と言って本当に心配していましたね。ところが家族も同じ現象に遭遇するようになったんです。たとえば、皆が見ている前で私の体が誰かに、おそらく霊体の彼に引っ張られる。家族が抑えようとすると私の体がねじれて変な恰好になってしまう。夜中になると時計が鳴り出すし、スイッチの入ってないマッサージ器が動き出す……。そのうち家族もすっかり慣れてきて『〇〇さん(彼の名前)が今こっちに来たね』とか言うようになったんです(笑)。

テンプル――
怖いと思ったことはなかったんですか?

山口――
むしろ彼と一緒にいられることが嬉しかったんですよね。それに、そんな現象を体験するのが面白くもありました。彼は有名なお寺の家系に生まれたこともあり、スピリチュアルな世界に強い関心があって、精神世界系の本をたくさん読んでいたんです。彼が亡くなってしばらくして、彼の家の本棚のなかから突然に一冊の本がぱっと私の目に飛び込んできまして。それがロバート・A・モンロー氏の書いた体外離脱に関する本でした。時空を超えた旅などが詳細に書かれている本で、ちょうど不思議なことが身の回りに起き始めた時だったので、その本を読んで勉強をするようになりました。そして、魂を通して彼と接していられるなら寂しくないと、ますます見えない世界に興味を持つようになりました。

テンプル――
たとえ彼の姿が見えなくても、存在を身近に感じていたい。大切な人を亡くした方なら誰もがそんな風に思うのかもしれません。

山口――
その頃は本を読んで勉強しながら、ありとあらゆる霊能者さんに相談をしていました。するといろんな霊能者の方が、私と彼は精神的な結びつきが強かったので、肉体を失ったのにも関わらず彼が私の近くにとどまっているんだと。今は私の力が強いので、彼をこの世に引っ張って、私の体を共有して生きているが、この状態が3年も続けば肉体に負担がかかるようになる。そうすると彼と共にあの世に行くことにもなりかねない、と口を揃えて仰ったんです。でもそれを聞いても、体が弱って彼と一緒にあの世に行くことになっても構わないと思っていました。

でもある日、ある霊能者さんから『いつまでもこのままでいるのはお互いのためにならない。あなたが死ぬまで彼と一緒にいたら、2人とも成仏できなくなる。彼には彼の行くべき世界があり、あなたにもこの世でやらなければいけないことがある。お互いの道に進んでいって、あなたが魂になってから再び会えばいい』と言われたことが心に響きまして。彼には成仏をしてもらい、また私もこの世で魂を磨いていこう。そして、お互いに昇華した魂となってあの世で再会を喜べばいいんだと思い直したのです。それで、いよいよ決意をして彼と魂レベルで話し合いをしたところ、それまで心臓の部分にいた彼が、私の身体からポンと飛び出していくのが分かりました。そうしてその時に、ようやく今生での本当のお別れをしたんです。

テンプル――
お互いのためではあるけれど、やはり正直なところは寂しいという気持ちもあったんじゃないでしょうか。

山口――
ええ。でもその霊能者さんから『月に一度の月命日の時には彼が会いに来てくれる』と言われましたし、対外離脱の本から魂同士で触れ合うことができると知って腑に落ちたこともあり、安心してお別れすることができました。この彼との別れを機に、やっと人生の再スタートを図ろうと決意し、彼の供養を続けるために仏事を、私と彼の魂を浄化して昇華させるためにご神事を勉強しよう、同時に世の中に役立つ仕事をしていこうと思ったのです。

それからは、今まで身につけた「見えない世界」の感性を取り入れた施術をするようになりました。いわゆる気=エネルギーへの感度が高くなったからか、一目でお客様の心身の状態が分かり、かゆいところに手の届くような施術を行うことができるようになったんですね。各地の聖地を巡ったり、正しい御祈願の方法を勉強したりしながら、自分を浄化してパワーアップすることにも心がけるようになりました。そのおかげで施術を受けたお客様には以前にも増して喜ばれるようになり、評判が評判を呼んで、お店はますます忙しくなりました。皆さんが喜んでくださる姿を見ながら、私も仕事に手応えを感じ、再び生きる目的を見出したんですね。

テンプル――
ところが、そんな山口さんにまた大きな試練がやってくるという……。

山口――
そうなんです。今度は母が持病の肝炎がもとで帰らぬ人となりました。彼が亡くなってから5年後のことです。ようやく悲しみも癒えてきて、心配かけてきた両親に親孝行をしようと、新しい家を建てていた矢先のことでした。さらに、その2年後には父が他界。わずか10年の間に婚約者、母、父と立て続けに大事な人を失くし、さすがの私もこれで『全てが終わった』と、今度ばかりはもう立ち直れないほどの絶望の淵に立たされることになってしまって。

これまで「人々や社会のために」という志を忘れず、一生懸命に働いて正しく生きてきたはずの私が、どうしてこんな目に遭わなければいけないんだろう? 見えない世界への学びを深めてきたおかげで、肉体がなくなっても魂は存在するということは分かっていましたし、霊体とコンタクトをとる能力も身につけていました。でも、だからといって、目の前から愛する人がいなくなるという悲しみが消えるわけではありません。もう私には虚無感しかなく、自暴自棄の日々を過ごすことになっていったのです。

そんなやりきれない日々を過ごしていたある日「このままではいけない。どうにかして私の傷ついた心を癒したい」という想いが湧き上がってきました。そしてふと思ったのが、聖地に巡礼をしに行こうということ。それまでにもお客様のためにはもちろん、自分や彼、また家族のために聖地に出かけては祈るということをしていました。でも、今はただ一人で静かに神様と向き合いたい。そして対話をしたい。そこで、そう思った私はそれまでの事業を一度整理し、心の慰めを求めるようにして聖地へと向かいました。西国の観音霊場、伊勢、九州、天川etc……。閃きにしたがってあちこちを巡り歩く日々。そんなとき、あるきっかけがあって辿り着いた場所がありました。それが奈良・大峰山の麓にある蛇の倉七尾山という、後に私が修行に入ることになる行場でした。

テンプル――
あるきっかけというのは何だったんでしょう?

山口――
仏画家の友人に誘われて、上野博物館で開催されていた仏画の展覧会に行ったときのこと。私はある仏像に惹かれてしまい、近くに座ってずっと眺めていたんです。そうしたら、その仏様が私の頭の中にくちばしを入れ、毒を引っ張って抜いてくれるというような感覚を受けまして。後で知ったことによると、それは「孔雀明王」という孔雀の上に座ったお不動さまで、災いや苦痛を取り除いてくれる仏様だということでした。後日、知人にそんな話をしていると、私がよくお参りに行っている天川の近くに孔雀明王をおまつりしているところがあると教えてくださって。それが先にお話しした蛇の倉七尾山という場所だったんですね。それでその方の先導のもと、そこに初めて参拝に行くことになりました。ですから孔雀明王に導かれたのが、奈良の行場に辿り着いたきっかけだったといえるでしょうか。

テンプル――
初めてそこに行かれた時には何か感じられましたか?

山口――
知人からその場所の名前を聞いた時点で『そこだ!』と魂が喜ぶのが分かりました。そして、いざお山に辿り着いてみたら、彼が亡くなった後に何度も夢に出てきた場所と同じ光景が広がっていたのに驚きました。さらに、知人に連れられてお滝場に行くと、もう全身から汗が吹き出し、嗚咽が止まらなくなってしまったんです。同時に『私は今まで生まれてきたことやこの肉体に対して感謝することを忘れていました。神仏の皆さま申し訳ありませんでした』という言葉が口をついて出てきまして。今まで早く死にたいと願ってきたけれど、天に与えられた命を粗末にしようとしていたなんて、私は何と高慢だったんだろう。私のこれまでの運命はすべて筋書き通りのものだったのかもしれない。だとしたら、もう何も怖いものはないではないか。これからは運命を受け入れて、自分らしい人生を全うしよう。そんな風に、まさに天からの啓示を受けたような気付きを得たんです。では自分らしい人生とは何か? それはセラピーの仕事を通して、人様のお役に立っていくことなんだろうと。

こうして生きる力を得た私は、再びセラピーの仕事に復帰しながら、折にふれて蛇の倉に通うようになり今に至ります。信頼できるスタッフに仕事を任せて、3年間住み込みの修行に入ったことも。今は東京にベースを置いて生活をしながら、やはり相変わらず毎月のように奈良に通っていますね。

テンプル――
シェアありがとうございます。さて、ここからは山口さんが修行に入られている蛇の倉七尾山の「修験」の世界について、そして一般には知りえない行者さんの修行や生活などについて、色々とお話を伺いたいと思います。まず、修験道というのはどういう信仰なんでしょうか?

山口――
一般には、日本古来の古神道を包括する山岳信仰に、密教や道教、儒教などが結びついた神仏習合の信仰の道であるといわれています。ですから、ある固有の宗教のみを信じるように勧めるものではなく、どんな宗教や宗派であっても受け入れるという懐の深い世界観を持っています。
修験道について詳しくはこちら

テンプル――
蛇の倉で修行をされる行者さんというのは、どういう方々なんでしょうか?

山口――
あくまで私が蛇の倉七尾山で知ったことをもとにお話ししますと、「行動を通して自分の魂を成長させようとする人たち」だと言えるでしょうか。祈り行や水行だけではなく、食事の支度や土方作業など、ありとあらゆることを「行」にしています。例えばお風呂を入れるにしても、行者の宿舎のお風呂は薪で焚いているのですが、まず山に入り間伐材を取ってくる、取ってきた間伐材を薪になるよう準備する、一仕事終えた行者が帰ったらお風呂に入れるよう、その時間にあわせ薪で焚く。それだけでも重労働なわけです。蛇の倉は奈良の山中にあるため冬場、薪は凍っています。その凍った薪で山や川からひいた冷たい水を適温まで温めるのは至難の業なんですよ。火の性質を持っている行者はすぐにお風呂が沸かせるのですが、私のように水の性質を持っている人間はなかなかお湯が熱くならない。火と水をコントロールするだけでもかなりの工夫と力が必要になってきます。ガスでお湯を沸かせば簡単なのですが、あえてそうしない。お風呂を良い時間に良い湯加減で用意するのも修行の道だからです。つまり、苦労をすると知りながらも自分に負荷をかけ、肉体の筋肉を鍛えるように、魂の筋肉を鍛えるわけです。山に行あり、川に行あり、海に行あり。自然や宇宙と一体となり、自分が生かされている魂を躍動させ、自分の本命、本分を全うしようとする。それが行者です。

また、一般の方々が何かの仕事をしているように、行者は神仏への祈りを仕事にしているといういわば祈りのプロでもあります。祈りは神様にとって食事のようなもの。行者一人一人の祈りを集めて神に捧げ、聖地に鎮座していただくわけです。とくにパワーも個性も強い神様の場合、神社やお寺に鎮座していただくためには相当に力を持った行者の祈りが必要なんです。蛇の倉の行者さんは、どこかで大きな災害が起きた際にはその慰霊供養をしていますし、世界平和や国家安泰、英霊諸霊供養のための祈りは毎日行っていますね。

テンプル――
行者さんたちは1日をどのように過ごされているんですか?

山口――
朝は全員で本堂の掃除をしてからお祈りをします。基本的に夏は朝6時から、冬は7時から拝神を行いますが、行者の宿舎では夏は朝5時20分から、冬は朝6時20分から拝神と先祖供養の祈りを始めます。ただし行者自身の「祈り行」は、全員での拝神の時間が始まる前に行うため、皆がそれぞれの時間に起きて祈ることになります。当番制ですが、皆の朝食を作る係や、本堂のほか山頂の奥の院にいらっしゃる神様に朝3時半からお給仕をする係の行者は、もっと早くから起きて活動しているんですよ。朝食が終わったら、男性は建物を建てたり修繕したり、山の手入れをしたりと主に外回りを担当。いっぽう女性は宿舎の掃除、洗濯、食事作りなどを担当し、それぞれに分担して行っていますね。そうして皆が各自、仕事を通して魂を磨いています。この行者修行をしている最中には、行場と行者の双方で金銭を授受することはありません。行者はお行をさせていただいているぶん、お山への奉仕活動をさせていただく。そうしてただ「行」に専念するのです。特別な期間には、昼夜を問わずに「祈り行」をしたり、護摩や加持祈祷の研修を行ったりすることもあります。

テンプル――
山口さんが修行に入られている時には、どんな生活をされていたんですか? またどんな行をなさっていたんでしょう。

山口――
主に今お伝えしたような生活をしながら、祈りの方法や呪文、法印の使い方などを学んでいました。私個人の行としては病人の介護を自分に課していましたね。すべての用事が終わる夜10時に加持を行った後に就寝。夜中1時に起きてまた加持*を行い、3時半から、朝の拝神が始まるまでの間に般若心経300巻をあげていました。こうした個人で行う行の内容や期間などは自分で決めています。

*加持:真言密教で行う呪法(じゆほう)。手で印(いん)を結び、口に真言を唱え、心に仏・菩薩(ぼさつ)を思い浮かべて、仏・菩薩と一体になり、願い事の成就や病気平癒など、現世利益(げんぜりやく)のために、仏の法力による加護を祈ること。

テンプル――
生半可な気持ちでは修行に挑むことはできなさそうですね。でも、もし希望すれば誰でも修行できるものなんでしょうか?

山口――
行者の修行自体は、受け入れ可能な場所を探せば誰でもできるのではないでしょうか。でも、蛇の倉七尾山での修験者になれるかどうかは別の話です。というのも、修行に入るには、まず山を開かれた先生の許可が必要だからです。実際に、これまでにも希望者はたくさんいましたが、一人一人の魂を霊視する先生から『まだ時期が来ていない』とか、『あなたは地元で仕事をした方がいい』と断られるケースが多々あったようです。反対に、修行が必要な方は『〇年ここに入りなさい』と伝えられることも。修行後も出家して行者になる人、在宅信者として普段は地元で普通の仕事をして、祭りや神様に呼ばれた時だけ山に入るなど、色々な方がいらっしゃいます。

テンプル――
修行というのは、こういう修験の山に入らないとできないことなんでしょうか。自宅で行うのは無理ですか?

山口――
神様のそばにいることで、何もせずとも日々ご神気をいただける、というメリットが山にはあります。病院で治らない病気を患っている人が、自身の闘病のために行に入るケースもあるんです。でも、自宅でたとえば毎日5時に起きて般若心経を100巻あげると決めたら、それを続けてみる。そうして祈りを自分に溜めることで、魂を鍛えることはできます。

テンプル――
行を始めた人が、「私は晴れて行者になりました」と言えるようになるのはどのタイミングなんでしょう?

山口――
『先達』という資格を得た時に、初めて正式に『自分は行者である』と言えるのかもしれません。それには、一人で山に入り道に迷ったとしても、特別な道具を持たずして自分の身を護れるよう法力を身につけ、身体すべてを生きる道具として使えるようになることです。余談ですが、行者のあの独特の衣装にも1つ1つ意味や役割があるんですよ。腰につけた動物の革は、どんな切り立った岩の上でも座れるというクッションの役目を持っていますし、腰の両側に結んでいる貝緒(かいのお)はザイルとして利用でき、頭の兜巾(ときん)は、頭を守るヘルメットとしてだけでなく、コップ代わりにも使えます。つまり、すべて山の中でも一人で生きていけるようなフル装備だというわけです。

テンプル――
『先達』というのは?

山口――
山に入る際に人々を導き、案内する人のことを先達と言います。もとは天皇や皇族が行幸される際に、その身を守りご案内するために山伏が天皇様の前を歩いたのが先達の始まりだと聞いています。

テンプル――
日本各地に修験道の行場があると思いますが、山口さんが修行に入られた蛇の倉七尾山というのはどんな特徴がある場所なんでしょう。どこか他の行場と違う点はありますか?

山口――
他の修験の山を知らないので比較は出来ないのですが、1つ、蛇の倉七尾山が他の修験の山とは趣きが違っているところがあります。それは、ほとんどの修験道が険しい山の中での修行を主とし、そのため古くは女人禁制をしいていましたが、蛇の倉での修行は、もちろん山に入る人もいますが、人々の暮らしの中にこそ修行があるというのが基本の姿勢で、そのため、女性の行者育成にも力を入れています。ですからここでは『修験道』といわず正式には『修験節律根本道場』と申しています。実は、蛇の倉山が一般の人に開かれてからまだ70年くらいなのですが、それ以前は、聖者や霊眼を持つ人しか入れない閉ざされた行場だったんです。でも、その秘された山を女性も修行できる行場にされたのは、戦後この山を開かれた先生のお力あってこそだと思います。

テンプル――
各地にいらっしゃる行者さんたちは、横のネットワークを持っていますか。お互いに山を行き来して情報交換をすることもあるんでしょうか?

山口――
そうですね。それこそ昔の人は野生の勘も霊感も優れていたので、『何月何日にここで会おう』とか、『この日時に護摩を焚いてほしい』とか、すべて霊感によって通信をしていたそうです。それで蛇の倉が開かれたときには、誰も知らない山中の僻地にあるにも関わらず、どこからともなく霊力の高い霊感者が集まってきたといわれています。今でも力のある行者同士は、実際に会ったり電話をしたりしなくても、霊感でコミュニケートしていますよ。以前ある有名なお寺のお坊さんが、自分のお寺の神様が今、蛇の倉にいらっしゃるとお見えになったことがあります。夏になれば伊勢講の方、石鎚山の講*の方など、全国から有名な神社、仏閣の講の方々がお越しくださいます。ほかにも普段は地元で普通に生活をされているようですが、一目で徳の高さを感じさせるような霊感者の方々も沢山来られています。わざわざ辺鄙な場所まで時間をかけて足を運ばれる皆さんは、それぞれに何かをキャッチしていらっしゃるんだと思います。

*講:同一の信仰を持つ人々による結社。神社・仏閣への参詣や寄進などをする信者の団体。

テンプル――
イエスが生まれた時には、世界中から賢者が贈り物を携えてやってきたと聖書に書かれていますよね。彼らはその何年も前に神の子が生まれることを察知して自分の国を旅立ってきたわけですが、そういう高い霊的能力を持った方は、人知れず日本にもたくさんいらっしゃるんでしょうね。
さて、ここからは神仏への祈りや先祖供養についてお話を伺いたいと思います。まず、そもそも「祈り」はなぜ必要なんでしょうか?

山口――
私が山で教わったのは、「祈り」は万物万象の霊長であり、自然界の調整役を受け持っている人間の大切な役目であるということ。地球のみならず、宇宙の環境を整えるためにも重要であるということです。というのも、人間の体に沢山含まれている水分が祈りの言霊の響き=波動によって良い状態に整えられ、それによって周囲にもその波動が伝わっていきますから。まず一人が祈り、やがて100人、1000人……と連鎖していくと、その方々のいる場所は空気が綺麗になっていくんですね。そして木々や水、大気、土など全てが影響を及ぼし合って、みんな綺麗になっていくんですよ。
昔は女性の33歳の厄年、男性41歳の厄年までに35万巻のお祈りをするというのが、万物霊長の役割であり約束事だったそうです。人間は『いただきます』と言って食事をいただきますが、それはいろいろな生き物の命をいただいているということ。その命に対する感謝とともに、万物万象の育みとなる祈りを捧げて、自然にお返しをしていくんですね。

テンプル――
なるほど。利他や感謝の気持ちで祈りをするのが大切だということですね。祈りというと、どうしても自分のお願い事をしてしまうという人は多いと思いますが。

山口――
もちろん、ご自身のためのお祈りはどんどんしていただいていいんです。それが祈るきっかけにもなりますから。利他のためにやっているようでも、まず祈っている自分自身が言霊の良い波動を吸収しますから、結局は自分のためになっているんです。私自身は修行に入った頃、自分の丹田や細胞の隅々にまで祈りの言霊が行き渡り、それによって精神力が強くなったり気持ちが安定して穏やかになった、ということをまず実感しました。とくに今この東京や都会で暮らす人には、自分の身を守るためにも必要なのではないかなと思います。私のセラピーを学ばれた生徒さんの中には般若心経を熱心にあげられる方がいらっしゃって、もともと体が弱かったのですが今はすっかり丈夫になり、経済的にも羨ましいくらいにどんどん豊かになってきているんですよ(笑)。他にもそういう実例をあげたら数えきれないほど。私の経験上、自分を守って豊かにし、幸せにするということに一番手っ取り早いのが「祈り」であると言えますね。

テンプル――
行者さんの場合には、祈りの意味合いが一般とは少し違うような気がします。以前、山口さんが『行者は1万巻、2万巻の祈りを自分に溜めて、それを法力に変えて人を癒したり霊を祓ったりする』と仰っていましたよね。祈りを人のために使うとはどういうことですか?

山口――
行者は法印を切り、呪文を唱えることで様々な御祈願を成就に導くような修行をしています。それには魂の力や念力を強くすることが必要なのですが、そういった力を強くするのが「祈り」なのです。ですから行者は修行中、いかに祈りをあげられるかということに日夜、専念しています。というのは、祈りが自分の魂に織り込まれていないと、何万巻の経文を唱えたとしても、その祈りは神仏に届く前にほとんどが自分の中に吸収されてしまいます。蛇の倉では通常、般若心経を祈りの経文として唱えていますが、たとえば7巻のうち1巻だけが神様のところにようやく届き、残りは自分の細胞に入ってしまう。そうイメージしていただけると分かりやすいでしょうか。誰か病人の方のために『1万巻の般若心経をあげるので、その祈りの力で病人を助けて下さい』と神仏に祈ることがありますが、その場合にも、まずは自分の細胞の中に十分な祈りの力を貯金しておくことが必要なんです。そうしてその1万巻の祈りを神仏に受け取っていただく代わりに、病人を助けていただく、ということをするわけです。

ですから、祈れば祈るほど、祈りの回数を重ねれば重ねるほど祈りの力は自分の中に溜まり、神仏を動かす念力となります。それが自分の細胞の隅々にまで届いたときに初めて、ようやくその祈りによって強くなった念力や法力を人のために使えるようになるんですね。誰かのための御祈願や滝行、護摩焚き、これらはすべて、念力が強くないと出来ません。たとえ知識として九字の切り方を知っていたとしても、ただ経文を口に出すだけ、印を結んだだけでは現実に影響を及ぼすほどの力を発揮することは不可能です。霊を鎮めたり、災いや邪気から身を守ったりするにもそれなりの念力が必要です。行者はその念力を高めるために、何万巻も祈りをしていくわけです。

テンプル――
祈りを唱えるということについてなのですが、修験道では神様にも仏様にも般若心経を唱えていますよね。また祝詞やご真言も唱えていらっしゃいます。一般の私たちが祈るときにも、こうした祈りの言葉が必要なんでしょうか?

山口――
昔からずっと唱えられてきた祈り言葉の「音」には、もう特殊な力が宿っているんですね。ですから、その言霊から放たれる音のエネルギーは、神仏に届きやすいということなんじゃないでしょうか。般若心経はオールマイティーといいますか、これを唱えておけば間違いないという特殊な経文のようですから、覚えておいて損はないと思います。

また、たとえば行者の私たちは、観音様なら「オンアロリキヤソワカ」、弁財天なら「オンサラスバテイエイソワカ」といったように神様のお名前をご真言として唱えます。神様、神様と沢山お名前を呼びかけて振り向いていただくということなんですね。一般の方が唱えていただいても差し支えないと思います。

テンプル――
自宅で神仏にお祈りをしようとしても、家に神棚を備えていない家庭は多いと思います。そういう場合にはどのようにお祈りをしたらいいですか?

山口――
別に神棚にこだわることはありません。家の中の高い場所にスペースを設けて、そこにお札を立てて祈ってもいいですし、寝る前や起きた直後にお布団の中で経文を一巻あげるということでもいいんです。とにかく神仏に気持ちを向ける時間を持つということが大事。また、自宅に限らず職場や車の中で神様のお名前を唱えるなど、基本的にどこで祈っても構わないんですよ。その祈りが神仏にとっては何より嬉しいお供物になるんです。

テンプル――
八百万の神々がいるなかで、自分が信仰する対象をどのようにして選んだらいいんでしょうか。

山口――
神社やお寺にいったとき、『何だか心が落ち着く』とか『心惹かれる』とかいった場所があったら、そこにまつられている神様や仏様とご縁があるのかもしれません。ですから、その神仏のことを好きになり、お名前を呼んだりご真言を唱えたりしていると、ご加護がいただけるようになりますよ。好きな神様というのは自分の状態やタイミングによっても変わってきますが、それも自然体に任せていればいいでしょう。いつも自分の好きな神様の存在を身近に感じて『ありがとうございます』という感謝の気持ちを忘れないような生活を心がけること。それが神様との良いお付き合いの仕方ではないかと思います。
そうして神様とのお付き合いが深まってくると、もうエクスタシーといいますか、甘美としかいえないエネルギーを享受できるようなこともありますよ。私など、だからご神事がやめられない、というところもありますね(笑)。

テンプル――
神事をすることでエクスタシーを感じるんですか? まるで想像がつかないんですが……。

山口――
神との交流が始まると、日常生活では決して得られないような高揚感を得ることができるんです。たとえば、神様に手を合わせていると、神のエネルギーが自分の身体を駆け抜けていく……。その感覚は、まさにこの世の最高の快楽だと思いますね。

テンプル――
そんな感覚を感じられるようになるためには、それ相応に感受性の高い身体が必要なのではないですか?

山口――
もともと人は神と一体となれる身体をもっていますから、その感覚を呼び覚ませば誰もが神のエネルギーを感受できます。そのためには、まず身体を浄化すること。都会で生きていると環境汚染や電磁波、化学物質や添加物などに侵され、どんどん感覚が鈍くなっていますから。大切なのは自分を鈍らせているものを取り去り、内なる野生の勘を取り戻すこと。野生の勘の先に第六感はあります。野生的に躍動すればするほど、本来魂が持っている力を取り戻し、神のエネルギーやメッセージを感受して自然体で生きることができるようになります。そういうわけで、修験の行者が山に入るのは、自然の中で自分を洗ってもらうためでもあるんです。でも、今生まれてきている子どもたちの中には、都会の中にいても当たり前に第六感を使っている子もいるようですね。

テンプル――
身体を浄化する方法の一つには、たとえば菜食にするとか添加物を含まない食物を選ぶとか、食への配慮も必要なのかなと思ってしまいます。でも、蛇の倉の行者さんは皆さん、お肉もインスタント食品やスナック菓子も召し上がられてますよね(笑)。食については皆さんどうお考えなんでしょうか。

山口――
蛇の倉の行者たちは山を開いた先生から、『鳥でも魚でも動物は皆、巣を自分たちで作る。唯一人間だけが他の人に作ってもらう。万物の霊長として生きるなら、あなた方も身の回りのことは自分たちで整えなさい』と言われています。ですから、皆が住む家はもちろん神様の御座所まで自分たちで建てるため、とくに男性は日中、激しい土方仕事をしているんですね。となると、体力気力をキープするためにもやはりお肉が必要なんです。神様は必要なものをお与えになります。ライオンの前にはシマウマやインパルを与えますよね。命の連鎖の中で与えられたものは有難いと思っていただく。そうして生かしていただく代わりに、万物万象の育みとなるような祈りをする。それが万物の霊長としての人間の役割だと先生は仰っています。

食材については、確かに添加物や保存料など余計なものが入っていない、厳選されたものを選んだ方がいいのでしょう。けれど、食べる人数が多いので、全てにおいて気を配るというのは経済的に難しい。僻地の山中では食材の選択肢も限られてしまいます。

テンプル――
砂漠や山岳地帯を何百キロも走り続けるという苛酷なマラソンがあるんですが、そのマラソンのトップアスリートの一人は、厳格な菜食主義の人なんです。私としては、菜食の行者が出現して、肉体労働と共に自分の霊的な高まりがどんな感じに変化するのか、試してみてもらいたいです(笑)。

山口――
そうですね、どんな感覚になるのか興味がありますね。でも反対に、もともと菜食の人が蛇の倉に住むようになったら、何でも食べるようになるかもしれませんよ(笑)。

テンプル――
皆さん断食はされるんですか?

山口――
行者の中には、断食を行として自分に課する人もいるとは思います。ですが、食べることは身体の中にいる神様への食でもありますし、食べることも行の1つととらえているため、基本的に行者が断食をすることはありません。とはいえ、食べること、食べないことを律することができるのも行者の本分です。たとえば食糧が無くなってオニギリが1つしかない時、自分は行者だから食べなくても大丈夫だと人様にそのオニギリを差し出せる。そういうコントロールが出来るのもまた行者だと思います。私はセラピストですから、体調への変化をみたり実際に体調管理をしたりするために、月に1度は4日間の断食を行っていたこともありますけどね。

テンプル――
神様というのはもっと厳しくて近寄りがたい存在なのかなと思いきや、まつられる場所にもこだわらないし、食を改める必要もないという。意外と大らかで身近な存在なのでしょうか。

山口――
私は神様が自分からかけ離れたところにいるというよりは、もっと生活に密着してくださっているような近しい存在だと思っています。まあ、素っ裸で手を合わせた時にはさすがに怒られましたけれど(笑)。とにかく大事なのは神様への感謝や敬意、慕う気持ち。礼儀作法も大切ではありますが、それ以前に神様は人間の心を見ていますから。神様にとって人間は皆、自分の分け御魂であり子どもです。その子どもたちが、この世に生まれてきたことを楽しんでくれることが何より嬉しいようですよ。そして、自分らしく生きながら、与えられた役割を気持ちよく全うしようとしていく人を、ことのほか可愛いと思ってくださるように思います。

テンプル――
さて、次は先祖供養の話題に移りたいと思います。山口さんは常日頃から、何を置いてもまず先祖供養をするようにと言われますが、それはどうしてなんでしょう。

山口――
ご先祖様というのは、木でいうなら根っこの部分にあたるんですね。その根が地中深く張っているからこそ、幹が太くなり葉っぱも生い茂ります。つまり、立派な幹を育てて葉を生い茂らせるために、根っこにたっぷりと栄養を与える行為。それが先祖供養なんです。今ここにこうして自分が生まれてくるまで命を繋いでくださった方々に、しっかりと感謝をすること。そして、その方々に安らかな気持ちになっていただき、あの世で働きやすいようにと祈りの言霊によってエールを送ること。そうするとそれに呼応するように、ご先祖様も私たちを助けてくれるようになるんです。先祖供養をしていくと体がDNAから変化するのか、体質が変ってくるようにも感じています。アトピーの人の肌が綺麗になったり、食事にアレルギーがある人が何でも食べられるようになったり。そんな例を多々目にしています。

テンプル――
先祖供養については、私自身も実感していることがありまして。広島にある私の幼馴染の家の話なんですが、そこは毎月の月命日にお坊さんがお経をあげに来るような家だったんです。そのおかげなのかどうか、田舎にあるごく普通の家庭ではあったものの、気付いたら子どもや孫が次々に増えて家系がどんどん発展しているんですよ。その様は、まさに『**家が繁殖している』と表現したいほどの勢いで。また別の友人宅は、家族全員が朝晩必ず仏壇に手をあわせてお経を唱え、お墓参りも欠かさないような家庭でした。そこは家族全員が穏やかで仲がよく、話していてとても気持ちがいいんです。私はその2つの友人宅をみて、先祖供養をきちんとしている家の見本のように感じているんですが、山口さんはどう思われますか?

山口――
根っこがしっかりすれば枝葉は豊かに繁りますから、その2つのご家族が繁栄されているのはやはりご先祖様のおかげだと思いますよ。子どもが欲しいなら、お位牌を作って手を合わせることをまずはお勧めします。子孫が繁栄し、仲良くするのが先祖の願いですから。

テンプル――
先祖供養の具体的なやり方についてお尋ねします。先祖にあげる祈りの言葉として、やはり般若心経を唱えるのが無難でしょうか。

山口――
もちろん般若心経は間違いのないお経なのですが、一番いいのは各ご家庭に伝わる経文を唱えることなんだそうです。真言宗でも天台宗でも、浄土真宗に曹洞宗、日蓮宗でもいい。またキリスト教にイスラム教、ヒンズー教etc……、宗教や宗派を問いません。家に代々伝わる祈りは、ご先祖様に馴染み深いものですから最も喜ばれるようですよ。もし家に伝わる経文が分からなければ、簡単に「南無妙法蓮華経」や「南無阿弥陀仏」、「南無大師遍照金剛」といった短い経文でもいいのです。とにかくお祈りをするということが重要です。
また、仏様に通じやすいと言われているとてもパワフルな経文がありまして。私たち行者はご供養の際に必ずこれを唱えていますが、皆さんにもお勧めします。今まで暗かった場所を明るく照らし、行先へと導いてくれるという有難いお経で、ご先祖様の魂を癒すだけでなく、ちょっと嫌な感じのするような場所に行ったときに唱えることで身を護ることもできるんです。

光明真言 「おんあぼきゃ べいろしゃなう まかぼだら まにはんどま じんばらはらばりたやうん」

テンプル――
家に仏壇がない場合はどうしたらいいでしょうか。

山口――
それも神棚の例と同じようにお考えください。高いお金を出して仏壇をしつらえずとも、綺麗に整えた場所にお皿を置き、お位牌とお線香を立ててお祈りをすればいいんです。お位牌がなかったら、かまぼこ板に戒名や「〇〇家先祖代々の霊位」と書いたものをお位牌代わりにしたっていい。要はご先祖様に「この世に送り出してくださいまして有難うございます」という感謝の気持ちを向けることが大事なんです。心をこめてお祈りすればご先祖様は喜んで、子孫をしっかり守ろうとか沢山インスピレーションを送ろうとか思ってくださいますよ。

テンプル――
お水や食べ物もお供えした方がいいですか?

山口――
できればそうされた方がいいと思います。故人には私たちが食べるのと同じようなものをお供えします。私の知り合いには、リンゴをむいたら爪楊枝まで刺してお供えするような丁寧な方もいらっしゃるんですよ(笑)。

テンプル――
成仏している先祖だと食べ物を必要としないということも聞きますが、それについてはどう思われますか? もちろん、先祖の中には成仏していない霊も沢山いるんでしょうけれど。

山口――
まあ、一家には沢山のご先祖様がいらっしゃるので、どなたが召し上がっているかは分かりませんが(笑)。ただ確かに物の味が変わるので、召し上がっているんだなということは分かります。神様や仏様、ご先祖様にお供えしたものと、そうでないものを味見して比較してみるとよく分かりますよ。面白いことに、お供えしたものは気が抜けたような味がするんです。

テンプル――
それは今まで気付きませんでした。先祖はお供えした食べ物のエネルギーを実際にとっていくんですね。ところで山口さんは、これまでご自分の先祖供養も、行者として人様の先祖供養も沢山されてきたと思いますが、何か興味深いエピソードがあれば教えて下さい。

山口――
私が蛇の倉に通い始めた頃の話です。私はそれまでに鍛えてきた霊力を使ったり、人に頼んで大きな法要をしたりしながら、できる限り自分の家の先祖供養をしてきました。ですから、先祖供養はもうこれでほぼ完璧だろうと思っていたんですね。そんな折、蛇の倉の先祖供養の大護摩に初めて参加することになって、ご供養のための護摩木を書いてお護摩に入れたんです。その時は、父方と母方のご先祖のぶんを各3本ずつ(先祖代々の霊位、水子の霊位、有縁の霊位)、さらに自分にご縁のあった人の護摩木を7本で、合計13本入れました。すると、奈良で護摩を焚いているのと時を同じくして、群馬にいる姪っ子、甥っ子に突然ブツブツと湿疹が出始めたんです。そして、その湿疹がポロポロとはがれた後、最後に金や銀が身体から噴き出てきました。甥っ子、姪っ子を通じて先祖の毒が解毒されたんだと思います。同時に、内部にまだこんなにも浄化されてないものが溜まっていたのかとびっくりしました。他の誰よりも熱心に先祖供養をしたと思っていたのに、足りていなかったんです。

つまり、以前しっかり供養したからもうそれでOK、ということではないんですね。毎日生きていれば、無意識のうちに汚れは溜まるし悪いこともやってしまいます。すると自分の魂のエネルギーだって落ちてしまいますよね。そうならないように汚れを日々浄化して、もとのクリーンな状態に戻すためにも、供養をやり続けることが大事なんです。昔から一家の長男が大事にされるのは、その家の墓を守っていく役目があるから。私は先祖供養の大事さを知るようになってから、子孫に受け渡すまで家族の墓を守り続けるという役目を担っている人が、大事にされるのも当然なのかなと思うようになりました。

テンプル――
霊力を使って先祖供養をしてきた山口さんでさえ、護摩焚きの時にまだ供養が足りていなかったのを実感したと言われましたよね。我が家の場合、父が霊や見えない世界が嫌いで、先祖供養に全く興味がなく、仏壇に手を合わせることもお墓参りすることも一度もなかった人だったんです。ですから、光田家はどれくらい供養をすれば他のご家族に追いつくのかと、暗澹たる思いがします。それをリカバーするべく、光田家の魂の長男として私も出来る範囲でやり始めてはいるんです。でも、そういった習慣がこれまで無かったので、忘れてしまう日も多々あるという。十分に先祖供養が行き届いたのかどうかが分かるような、目安らしいものはあるんでしょうか?

山口――
目安というのは家によって違いますね。その家の先祖が何をしてきたか、どういう徳を積んできたかによるんです。徳を積んだ先祖がいるお宅の先祖供養は楽でしょう。いっぽう先祖に戦国時代の武将がいて、多くの人を殺めてきたために深い念を残したというような事実があるのなら、供養には時間がかかるでしょう。ただ1つ言えるのは、人生に行き詰まりを感じている時や、何か困ったことが起きている時は先祖供養をすると良いということ。先祖供養をすることで先祖のエネルギーが底上げされるので、現実的に何かが変わってきます。ホ・オポノポノにしろ『ありがとう』を何万回唱えるということにしろ、それで自分の魂のクレンジングや過去の自分のネガティブな記憶を消去していくわけですよね。そうやって自分の魂の宿題というかカルマを解消しつつ、さらに幸せに生きていくために先祖供養をしていくというのが理想的。神様に何かお願いごとをしたとして、神様からの霊波はなかなか受け取れませんが、直に動いてくれる先祖から恩恵を受けることができます。

たとえば、ここに同じような状況にいる二人がいたとします。ともに同じように頑張って仕事をしながら、気学の方位をとり、神社に行くなど見えない世界にもアプローチをしている。それなのに、一人は出世してもう一人は何も変わらない。それは何故かというと先祖の徳が違うから。先祖の供養が足りているかどうかによって大きな差が出るんです。

テンプル――
ということは、徳のない先祖のもとに生まれてきてしまったら、なおさら先祖供養が必要になってくるわけですね。

山口――
実は、徳のない家はそういうことにすらまず気付けないんです。そして、そういうお宅は、先祖供養をしても先祖が光やエネルギーを受け取りにくいんですね。でも、もし供養の大切さに気付いたら、まずは心をこめて線香を焚き、手を合わせることから始めてみてほしい。そして地道に続けていくことが大事です。続けていれば必ず良い方向へと現実が動いていきますから。

テンプル――
先ほどお話にあがったお護摩についても質問させてください。家庭で行う祈りも重要ですが、もっとダイレクトに思いや願いを神仏に届ける方法というのが「護摩焚き」なんですよね。

山口――
その通りです。細長い木の板に、先祖供養や御祈願の願意を書いていきます。神様にこの護摩木を受け取っていただくための火を使ったご神事をするのが護摩焚きです。行者の法印や念力に加え、山の力、蛇の倉の神様の力などの総合力でもって行うわけですから、それはパワフルです。通常は、御祈願護摩とご供養護摩と分けて行います。

私は何としても蛇の倉の護摩は絶やしたくないと思っています。そのために行者の数を増やし、一人ひとりの行者が力をつけていかなければ。世の中に未浄化霊が多すぎますから。水子の霊も多いですよ。天に上がれない霊があまりに多くて地球が重くなっていると言われているくらいです。私たち一人ひとりの祈りも全く足りてないですしね。これからは行者育成にも尽力していきたいと思っています。

そういえば、御祈願護摩のエピソードにこんなことがありました。護摩木を炎の中に入れる前に、行者は一本一本それぞれに印を切っているんですが、私が担当をしていたときにどうしても印を切れず、法印が入らないものがあったんです。そこに書かれた願意は何だったのか読んでいないので分かりませんが、こちらとしては神様に願意をお届けするのが仕事ですから、何としてもということで印を切り、炎の中に入れました。あとは神様にお任せするだけですから。この一件から分かったのは、すんなり通るものとそうでない願いがあるということでした。

テンプル――
もし御祈願護摩を書いて願意が通らなかったとしたら、それはそれで神様の思し召しだということですね(笑)。

山口――
そうですね。ただ、その結果も受け取り方によっては良し悪しが変わってくるものですよね。後々これで良かったんだということもありますし。その人にとって一番いいと思うことを神様は選んでいらっしゃると思うんです。たとえば、こちらの大学に進学できなくて悔しいと思っていたけれど、合格した大学で一生の伴侶を得ることができたとか。その時には願いを聞いてもらえなかったとしても、長い目で見て良い結果に導かれるようにと神様が判断してくださっていると思います。

テンプル――
最後になりますが、読者にメッセージをいただけますか?

山口――
私はこれまでいろんな宗派の修行を垣間見てきましたけれど、蛇の倉七尾山では「作務」を一番重要視していました。「作務」というのは、行うことであり、働くこと。それに一生懸命に取り組みながら生きていくということです。それを教えているのが修験道なんですね。実は、皆さんはすでに行をしているのと同じなんです。日々、人間関係やお金などの問題を抱えながら、社会の中で秩序を保ち、周囲と仲良くしながら生計を立てていく、ということをしているわけですから。蛇の倉の場合、たとえ3時に起きて行をしたとしても、自分の部屋が乱雑だったり万年床だったら、それは行としては問題あり、となります。つまり自分の身の廻りや生活を正すこと、毎朝起きたら布団を上げることも行の1つなのです。普段の生活をきちんとし、同時に「祈り」を取り入れて、神仏を身近に感じていただければと思っています。そうすることでご加護がいただけて、より心豊かに生きていけます。

私もこれまで大変な人生を歩んできましたが、神仏との出会いがなかったら一体どんなことになっていただろうと、想像するだけで恐ろしくなります。きっと借金地獄から抜け出せないまま、病気にでもなってとっくに命をなくしていたでしょう。でも、そんな私のそばにいつも神仏がいてくださって、手助けをしてくださったから、ここまで来ることができました。これからも神仏には甘えさせていただきますが、そのぶんいつも感謝を忘れずにいたいと思います。皆さんも神様や仏様、そしてご先祖様を味方につけて、もっと楽しく生きてほしい。そう心から願っています。

今日は興味深いお話を聞かせてくださいまして、ありがとうございました。
インタビュー、構成:河野真理子、光田菜央子
このインタビューは、2016年11月30日に開催したお話し会の内容に、後日行ったインタビューを加え、再編集しています。

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